第二章 アスターレン
第6話 幼子は衝動で動く
乱入した魔物に追っ手を押し付け、目立たぬように転移を使った。
転移魔法は便利だが、ひどく危険を伴う。始点は現在地で構わないが、終点の指定が難しかった。
まず自分が知っている場所であること、そこに障害物が存在しないこと。特に後者が重視される。なぜなら何か物や人の上に出現すればケガをする。
もっと最悪の事態を想定するなら、岩や壁の中に出現してしまい絶命する可能性があった。
つまり転移が使える魔術師は、事前に出現先となる終点を透視や遠見で確認しなければならない。そのため、自室へ戻る際に使う程度の汎用性しかなかった。便利なようで不便なのだ。
足が床に埋まるという初歩的なミスをする可能性もあり、使い方が難しい上級魔法に分類される。
だが、ジルは躊躇いなく終点を指定した。
―――アスターレンの首都ジリアン。
海がある南は生活にさほど不自由がないため、魔法はあまり重視されてこなかった。北の氷の大地に近づくほど国の抱える魔術師は数が増え、強力な魔力をもつ者ほど北の国々を目指す傾向がある。
その中央、東西南北すべての国の中央に位置するアスターレンは、交通の要所として繁栄し続けていた。首都ともなれば、その賑わいは他都市とは別格だ。
ジリアンの裏路地に現れたルリアージェは、久々の転移による眩暈に座り込んだ。自分の魔力で飛べば平気なのだが、他人の魔力に酔う。『あてられた』という表現が近いだろうか。
眩暈が治まるのを待って顔を上げれば、そこにジルの姿はなかった。
「ジル?」
名を呼んでも答えはない。見回してもいないので、ルリアージェは少し考え……すぐに切り替えた。
いないものはいない。なにか理由があるのだろう。まあ、彼が自分から離れてくれるなら、それはそれで望ましいではないか。
ジルが聞いたら項垂れてしまいそうな考えに至った美女は、浮かれた足取りで裏通りを後にした。
好みの屋台で買い食いをして、宿を決める。
順調に旅を楽しむ美女は、自分が目立つ自覚はまったくなかった。後ろをぞろぞろついてくる連中に気付かぬまま、ご機嫌で大通りを進んでいく。
気持ちが明るくなっているせいか、顔を隠すフードを外していた。珍しい銀髪が陽の光を弾いて輝く。
商業と交通の要所であるアスターレンの首都は、すべての道がレンガ敷きだった。いわゆる舗装なのだが、他の都市で裏路地まで舗装されることはない。
赤茶色のレンガに合わせたのか、屋根も同じ赤茶で統一され壁はすべて白。街の建物の色が揃っているため、とても美しい町並みが形成された。
この街の風景自体が観光資源なのだ。
「ママ?」
突然ローブの裾を掴まれて足を止める。下を見れば、レンガより明るい赤茶髪の少女が泣きそうな顔をしていた。母親を求める言葉とこの表情、間違いなく迷子だろう。
すぐに屈んで膝をつき、幼い少女と目線を合わせた。
「お母さんは黒い服を着ていたのか?」
子供の高さで周囲を見回しながら尋ねれば、彼女は小さく頷く。
確かにこの高さで見えるのは、大人の膝や腿だけ。大人の顔など見えない状況だから、手が離れてしまえば親の着ていた服を頼りに探すしかなかった。
「ならば、一緒に探すか?」
ジルがいれば即反対されただろう。彼はルリアージェが他人と関わることを嫌う。というより、自分以外にルリアージェの意識が向くと嫉妬した猫のように機嫌が悪くなった。
だが幸いにして、今はルリアージェ一人なので問題はない。
少女はすこし戸惑ったようだが、すぐに手を伸ばした。
「私はリアだ」
先に名乗って待てば、小さな声で「シルビア」と答えがある。
明るい茶色の髪を撫でてからそっと抱き上げた。小さな子供は猫みたいにぐにゃぐにゃ柔らかく、不思議な抱き心地だ。
「シルビアのお母さんはどんな人かな?」
抱き上げられた少女は慌ててルリアージェの首に手を回し、きょろきょろと周囲を見回している。急に視界が開けたこと、高い視点に驚いているのだろう。
微笑ましい気分で、シルビアと名乗った少女の髪を撫でた。頬が赤く染まった少女から甘い匂いがする。
「おねえちゃんみたいなふくで、おなじいろなの」
少女は自分の赤茶色の髪を指差した。
慣れてきたのか、少しずつ話をしてくれる。そのたびに吐息が首筋にかかってくすぐったいのだが、不安らしくしがみ付く少女を引き剥がそうとは思わなかった。
「同じ色か……」
見回す人の流れに茶髪はいるが、この子に近い赤茶の髪は見当たらない。
陽に梳けるとオレンジ色に見える髪は珍しい色だった。他者と間違える心配がないのはいいが、見つからないのは困る。
母親も子供を捜しているだろうと考え、あわただしい動きをしている人間を探すが……それでも該当者はなかった。
もしかしたら、少し離れた場所から来たのだろうか。迷っている間に、意外な長距離を歩いている可能性もあった。
子供は疲れや時間の感覚が鈍い。本人は「さっき」と表現しても、ずいぶん長く迷子になっていることもあり得た。
シルビアにどう尋ねたものか。
こういった事例はジルが強い。もちろん彼が協力してくれるとは限らないが、人との関わりはジルのほうが秀でていた。
不向きな自覚はあるが、ないもの強請りしても仕方ない。
「今日は何を買いに出掛けたか、わかるか?」
固い口調だが、シルビアは気にした様子なく口元に手を当てて考えている。思い出したのか、突然顔を上げた。表情がどこか嬉しそうだ。
「あのね! シルビアのおようふく!」
「服?」
「かわいいふく」
つまり洋服を探す母親がちょっと目と手を離した隙に、何かに気を取られた子供がはぐれてしまった。
この周辺は食べ物を売る屋台が並んでおり、日用品や洋服を売る店はない。たいていの都市は通りごとに同業者が集まって商売をしているのが通例だった。
「では服を売っている通りに行こう」
屋台で飴を買ってやり、ついでに服を扱う店舗が並ぶ場所を確認する。気のいい屋台のおじさんは、子供が迷子だと知って飴をひとつおまけしてくれた。
嬉しそうにお礼をいって口に放り込むシルビアを抱いたまま、ルリアージェは左側のわき道へ入る。左側2本目の通りに服屋が集まる場所があると言う。
寂れた脇道は薄暗く、じめじめした湿気を帯びた空気が漂っていた。
食器など日用品を扱う通りを渡り、その先の通りへ足を進める。
路地から出た先は明るかった。メインの大通りなのだろう、今までの通りより広い道にたくさんの露店が犇く。子供服を扱う店は一箇所にまとまっており、そちらへ向けて歩き出した。
大通りの中央は馬車が通れるように開けられている。数台の馬車が行き来する真ん中を避け、両側に店が並び、その前に客が群がっていた。活気がある。
抱き上げられたシルビアは飴に夢中になっている。
突然彼女が「あ、ママ!」と叫んで一箇所を指差す。母親を見つけたらしい。
ほっとしたルリアージェの目に映るのは、通りの反対側にいる白い服の女性だった。赤茶色の髪は確かにシルビアとそっくりだ。上に白いブラウスを着ているが、きっとスカートは黒かそれに近い色だろう。
母親の姿を見た少女は、ルリアージェの腕の中で暴れ始めた。下りて駆け寄りたいのだ。
身を乗り出す子供を落とさないようゆっくり下ろした途端、シルビアは走り出した。
大通りの中央は馬車が通っており、母親とおぼしき女性がいる反対側へ渡る必要がある。
「待て! シルビア」
叫んだルリアージェの注意より早く、少女は人々の足元を抜けて通りへ飛び出した。
馬車が往来する通りに駆け出したシルビアが、馬の嘶きに怯えて足を止める。一際大きな馬車が走っていく先には、立ち竦んだ少女がいた。
「シルビア!!」
「危ない! どけ」
通りの反対側にいる母親らしき女性の悲鳴。必死に叫ぶ御者の声。
時間がゆっくり動く気がした。
1秒を数十倍に刻んでいるような、不思議な感覚だ。スローモーションで動く人を掻き分けて走っても間に合わないと判断したルリアージェの唇が、呪文を刻む。
『縮地転移』
途中の詠唱は出来ない。そんな時間はなかった。
見える場所に転移するための魔法陣が、ルリアージェの足元に一瞬刻まれて消える。青白い光を放ったルリアージェの身体が消え、次の瞬間、馬車の前に放り出された。
詠唱を破棄して発動したため、終点の座標が不安定なのだ。
目の前のシルビアを抱き込んで、一気に床を蹴った。
馬の足が持ち上がり、ゆるやかな時間の流れの中で落ちてくる。己の速さが上がったわけではなく、ルリアージェ自身もゆるやかな刻に取り込まれていた。
舌打ちしたいほど遅い回避行動を取るが、おそらく間に合わないだろう。
馬の蹄がかすめるかも知れない。
痛みを覚悟して少女を腕の中に強く抱きしめた。
少なくとも彼女だけは無事に母親に渡したいと強く願う。
「…ジル」
小声で名を呼んだ。
まだ数ヶ月の付き合いしかないが、隣で守ってくれる存在として認識し始めているのか。いない者を呼んでも仕方ないのに……唇を噛んで痛みに備える。
左肩に焼けるような痛みが走り、身体がレンガの路面に叩きつけられる記憶を最後に、ルリアージェは意識を失った。
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