第5話 逃げるが勝ち
ガシャン!
テラレス王宮に何かが割れる音が響き、怒鳴り声が続く。手にしていたグラスを叩き付けた青年は、忌々しげに口を開いた。
「まだ見つからぬのか!」
広い執務室に2人だけ、正面に座る青年は苛立ちを隠さない。自分の孫ほどの年齢差がある男は主に見えない角度で、顔を僅かに歪ませた。
尋ねる形をとった言葉の端に『能無し』という棘が顔を覗かせる。
目の前に散らばるガラスを見つめながら、首を垂れた初老の男性は「申し訳ございません」と詫びを口にした。
テラレス――海沿いに発達した都市はレンガ造りの町が広がる。海から得られる塩や水産資源は豊かで、シグラやタイカなど他の海沿いの国と比べて恵まれた地域だ。
気候も温暖で、台風などの天災被害が少ないことも国が発展する大きな一因だった。
若きテラレス王は、先代の急死によって跡を継いだばかり。そのため家臣は先代からの年配者が多かった。それが王を追い詰める。
己より経験豊富な家臣達は、容易に本心を見せない。まるで主とは認めないと宣言されたように感じていた。
政を行う人間が簡単に腹のうちを見せるわけがない。それが主であろうと、常に一線引いて己の保身と策略を巡らす。
極々当たり前のことなのだが、己の父より年上の家臣達に囲まれ押さえつけられる若い王に、そんな理屈は通じなかった。
不信感もあらわに宰相へ怒鳴る感情的な王――その様が他の貴族の目にどう映るのか。彼はもう少し考えるべきなのだ。
血筋で王となった彼は、まだ臣下から信頼を得られていない。見極め中に未熟さを露呈したら、貴族達は離れていくだろう。
そうでなくても、今、国内は混乱しているのだから。
国宝として保管されていた大粒の金剛石『海の雫』――アティン帝国を滅ぼした『大災厄』を封じた証と伝えられる。その意味は不明ながら、宝石としての価値もあり大切に保管されてきた。
貴重な、この宝石が砕かれたのだ。
その犯人はいまも逃亡中であり、冒頭の感情に任せた怒鳴り声の原因だった。
戴冠式で使う王杖の上部、握りに嵌め込まれた金剛石は無色透明だ。どうやって研磨されたか不明の、すり傷ひとつない大きな宝石は常にテラレス王の傍らにあった。
王家の象徴とも呼べる『海の雫』に僅かながら曇りが出たことで、テラレス王族の間に動揺が走った。
すなわち『王太子は、次代の王に相応しくない』のではないか?
そんな疑惑の種になったのだ。先代の喪が明けたばかりのタイミングで、この噂は命取りだった。王太子の姉妹が嫁いだ他国にしてみれば、絶好のチャンスとばかり介入するだろう。
他国に散らばる血縁者と血で血を洗う争いが起きる可能性を否定できない。豊かな海に開けた国は狙われ続けているのだ。
これは不吉の予兆にあらず――そう証明するために呼ばれたのが、他国にも名が知られた魔術師だった。
彼女に求められたのは、新たな王の即位が不吉でないと示すこと。しかし彼女は金剛石の中に生じた黒い靄の正体を確かめようとした。
なんのことはない、ただ真面目すぎたのである。
研究熱心だったと言い換えることも出来るが、とにかく彼女は金剛石を探ろうとして……途中経過は省くが、最終的に宝石は砕けて粉々になった。
「必ず捕らえよ!」
テラレス王の命令に、宰相はただ静かに深く頭を下げる。
アティン帝国滅亡の『大災厄』につながる証が失われたことは、情報統制をしていた。国家の最重要機密扱いで漏洩を防ぐ必要がある。しかし、王がこうして騒ぐ限り無駄だった。
それゆえに、宰相は口を噤む。
愚かな王―――己の言動が間者に筒抜けだと、なぜ気付けない。
若き王の姉妹が嫁いだウガリス国、シグラ国はすでに動きを見せた。
詳細を知るべく、逃げた魔術師に何らかの容疑をかけて指名手配したらしい。王の命令で同様に手配を行ったテラレスだが、彼女は追っ手の目を掻い潜り逃げ続けていた。
退室した宰相は、大きな溜め息をつく。どこに間者の耳が潜んでいるか。そう考えると愚痴をこぼすことも出来ず、2つ目の溜め息を飲み込んで歩き出した。
その頃――元凶である魔術師は、必死に走っていた。
「ルリアージェ、こっち」
手を引くジルに従い、左に急旋回する。普段運動などしないルリアージェの息は上がっていた。もう苦しくて動きたくない。しかし止まったら捕まる。黒いローブの裾を翻し、全力で走り続けた。
「……も、む…り」
切れ切れに零した呟きを聞いたジルが、ルリアージェの手を引き寄せる。そのまま彼女を腕の中に抱きこんだ。ひょいっと抱き上げたジルの足がぴたりと止まった。
「少し休もう」
木の幹に背を預けているが、ローブの端は見えているだろう。聞こえてくる足音は十数名分、隠れる場所がない林の中で2人の逃げ場は断たれたように思われた。
「『消して』いい?」
「ダメ…」
物騒な提案を即座に否定すれば、ジルは不満そうに唇を尖らせた。
消してしまえばいいのに……なぜ煩わされるまま逃げなければならないのか。彼には理解できない。
一方、ルリアージェにしてみれば…追いかける人間にも家族がいて、彼らの死を悼む者がいる。逃げる手段があるなら、それ以上の害を与える必要はないと考えていた。
とことん噛み合わない2人である。
「見つけたぞ!」
まだ足音が遠い状況で、上から聞こえた声に顔を見合わせる。そのまま同時に見上げた先で、先日襲撃して撃退された魔物がこちらを指差した。
先日斬られた両手が復活するまで待って、再襲撃を決め込んだようだ。長い爪もしっかり元に戻っていた。
「あれれ?
困った奴だと言わんばかりの口調だが、ジルの口角は上がっている。にやりと表現するのが似合う笑みは、悪役そのものだった。
襲われる被害者側なのだが、まったく逆の立場に見える。
揺れる黒髪をなんとなく掴んだルリアージェが小首を傾げた。
「……誰だ?」
「「は?」」
ジルと魔物がハモる。
煽る目的ではなく、本当に覚えていないらしい。
「ルリアージェ? つい先日、襲われたじゃないか」
「雨の日に会っただろう!!」
ジル、魔物にそれぞれ告げられ、ルリアージェは考え込んでしまう。興味のないことは一切覚えない彼女らしい言動だが、さすがに魔物が哀れになる。
「雨の日に白い花を弄ったのは覚えてる?」
すると彼女はこくんと頷いた。己の手で折れた茎を直した花の記憶はあるようだ。そこからジルが誘導する言葉を並べた。
「あの日にお茶飲んだでしょ?」
「ああ、膝の上に零れて着替えた」
「零れた原因覚えてる?」
「……結界が壊れたから」
「まあ、壊れたっつうか。壊されたんだけど…あのとき、オレが魔物を捕まえただろ」
「……魔物???」
「ほら、オレの足の下で地面に顔を押し付けられてた負け犬」
「おい!」
さすがに失礼な言い方に我慢できなくなった魔物が口を挟むが、ジルは右手をあげて遮った。
「『逆恨み』の奴」
「ああ」
やっと思い出したと納得の表情で頷く美女。彼女を温い眼差しで見つめる美形。怒りに毛が逆立った魔物――三者三様の微妙な空気を、追っ手達がぶち壊した。
「見つけたぞ!!」
「それ、さっきも聞いた」
ぼそっと吐き捨てたジルが芸のない言葉を切り捨てる。シグラ国の辺境警備兵の制服を着た彼らは、この場に魔物が混じっていることに気付いていなかった。
肌が粟立つような冷たい風が吹く。
「捕縛しろ」
隊長の命令に従おうとした兵の前に、魔物が降り立った。完全に足が地面につく直前、わずかに浮いた状態で人間を睥睨する。
淡い金髪を揺らした魔物は傲慢な態度で吐き捨てた。
「こいつらは渡さない。俺の獲物だ」
「「「え」」」
指名手配された魔術師を追いかけてきたのは仕事だから。
人型の魔物と戦うのは想定外だった。装備はもちろん、支援の魔術師がいない状態で辺境警備兵が戦っても勝てない。しかし国の命令を無視して逃げ出す選択肢は選びづらかった。
どうしたらいい?
顔を見合わせる部下に「死んで来い」と命令できる筈もなく、隊長も怯えた顔で後退る。
じりじり後ろに下がる男達の姿に自尊心が満たされたのか、魔物は右手を差し出した。その周囲に出現した氷の刃が光を弾く。
「ひっ」
誰かの悲鳴が引き金だった。
「た、退却!!」
隊長が必死に搾り出した声が上ずって掠れる。
しっかり聞き取った兵達が一気に背を向けて走りだした。彼らの気配が感じられない距離に離れたことを確認し、金髪の魔物は氷を消す。
振り返った先に……
いる筈の2人の姿はなかった。体よく利用されたのだと悟る。
「あいつら……絶っ対に殺してやるっ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます