第4話 誤解と思い込みの舞台
「……見られている」
「アジェが美人だからでしょ♪」
隣で浮かれるバカは、自分も注目を集める一員になっている自覚がないようだ。にこにこと笑顔を振りまく美形に女性陣は熱い眼差しを送り、同時に隣のアジェに射殺さんばかりの鋭い視線を向ける。
針の筵という言葉が脳裏を過ぎった。
ああ…強い嫉妬を向けられると、肌は痛みを覚えるのだな。何かが突き刺さるような感覚に、つい現実逃避しかけたアジェだが、腰に回されたジルの手から逃れられずに足を進めた。
ぐらぐら揺れる足元の不安定さに、ルリアージェの表情が強張る。
「歩きづらい?」
こっそり耳元でささやく声に頷いた。
低めの声は耳元で囁かれると、擽ったい。首を竦めて見上げると、満面の笑みの青年がするりと腰を撫でた。その手を叩き落とそうと伸ばすが、先に足がふわっと楽になったことに気づく。
小首を傾げるルリアージェへ「ちょっとズルしちゃえばいいさ」とジルが笑った。
足元を見れば、きちんとヒールの靴は履いている。しかし普段の底が平らな靴と変わらないくらい歩きやすいのだ。
まるで足元に地面の反発がないような、ふわふわとした不思議な心地だった。
腰を撫でたジルの手を払おうとして動きを止めた指が、まるで彼と手を絡めるみたいな位置で止まる。
「助かった」
素直に礼を言って笑う美女――腰を抱いて微笑む青年。
はたから見れば外でいちゃつくバカップルにしか見えないが、ルリアージェにその自覚はなかった。もちろんジルは計算尽くの行動だ。
鈍い彼女に手を出されないよう、しっかり周囲に釘を刺す必要があった。
着飾ったルリアージェはお世辞抜きに人目を集める。
当然キレイなお姉さんを好きになる人もいれば、よからぬ悪さをしようとする連中も出るだろう。
どちらもけん制しておかなくては、ジルの仕事は増える一方なのだ。もちろん、本人はその騒動を含めて楽しむつもりだが。
腰に回した手に絡んだ指、ほっとした顔で礼を口にする令嬢、どう見てもお似合いの美形青年は微笑を浮かべて抱き寄せる。こんな甘い空気を割って入れる強者はいなかった。
しかし……空気を読まない輩はどこにでもいる。
見つけた屋台の食べ物に目を輝かせるルリアージェの為に、串焼きをもって戻ったジルが凍りつく。彼女を取り囲む数人の男達、ガラが悪い連中は無造作に美女へ手を伸ばした。
「ねえちゃん、こっちにきて……」
遊ぼうとか、そんな定番のセリフを続ける予定だったのだ。しかし……振り返った美女は普通じゃなかった。
「待てっ!」
制止の声を上げたジルより早く、ルリアージェは伸ばされた手首をつかんで捩じる。たいして力を込めているように見えないが、膝をついた男は呻いて動けなくなった。
慌てて駆け寄ったジルが溜め息を吐いて、ルリアージェに声をかける。
「あーあ、そこはオレが来るまで大人しく待っててくれないとさ」
『お姫様を守るのは騎士の役目だと思うわけ。取っちゃダメだろ』
「お前が悪い」
『遅い。助けたいならさっさと来い』
彼らの本音を知れば…あまりにも色気のないやり取りである。ドレス姿の美女に一捻りされて呻く男を無視して、会話は続いた。
「ええ? 頼まれたから買いに行ったんだよ、ほら」
文句を言いながら串焼きを差し出すと、ルリアージェは嬉しそうに手を伸ばした。町の住人のオススメ店で豪華なディナーを考えていたが、大食いな彼女は質より量らしい。
確かに屋台で見かける食べ物は基本的に美味しくて安いことが多かった。しかも目の前で調理するので、焼き上げる香ばしい匂いにつられやすい。
「ありがとう、ジル」
捩じりあげた暴漢の手をあっさり離した美女はドレスの裾を摘んで歩み寄ると、無邪気に串焼きの包みを受け取った。
「熱いよ」
「わかった」
取り出した串をふーふーと冷ます姿は、整った顔立ちの冷たさを和らげてくれる。嬉しそうに串に齧り付く美女の姿に、周囲の視線が集中した。
溢れる肉汁が赤い唇をグロスのように輝かせ、口の端を伝いそうになったタレをジルの指が拭えば、羞恥心の薄い美女がその指をぺろりと舐める。
顔を赤らめる女達はジルの甘やかしぶりに己を投影して喜んでいた。その近くでルリアージェを見つめ前かがみの男達は……言うに及ばず。
ちょっと刺激が強すぎたようだ。
捩じられ赤くなった腕を庇う男が舌打ちする。
彼を取り囲む仲間達も視線が鋭く、敵対心をむき出しにしていた。それを無視していちゃつく2人に、彼らを煽った自覚はない。
「ふざけるな!」
「この腕の分、しっかり身体で払ってもらうぞ」
「ただで済むと思うな」
掛けられる物騒な……しかし独創性がなく聞き覚えのあるセリフの数々に、ジルは首を傾げた。隣のルリアージェも大した違いはなく「欲しいなら買って来ればいい」と的外れな言葉を吐く始末。
「誰がメシの話をしてるっ!!」
男が怒鳴った途端、巻き添えを恐れた町の人たちが後退る。まあ当然の反応だろう。いくら気の毒だと思っても、男達に対抗する武力や権力がなければ、関わらないのが生きていく知恵だった。
数人が警備兵を呼びに走るが、戻るまで彼と彼女が無事でいられる保証はない。
「アジェ、あいつら怒ってるけど……他に何かした?」
「いや」
「……片付けていい?」
「任せる」
『私はまだ食事中だ』
声にならないルリアージェの本音が、残った串の肉を頬張る行為に透けている。煽る気はないのだが、無自覚に彼女は男達の怒りを増大させた。
「後悔するなよっ!」
「「キャーッ」」
町中で剣を抜いた男に、観衆から悲鳴が上がる。ルリアージェは肉の間のネギに夢中で背を向けている。任せた以上、関わる気はないのだろう。
呆れ顔で彼女を見守っていたジルの口元が弧を描いた。
相手が先に武器を向けた――この事実は揺るがない。これだけ観客がいるのだから、一方的に悪者扱いされる心配はなかった。
「後悔……ねえ。一度してみたいかも」
憎まれ口を叩いた美形へ振り下ろされる刃に、誰もが凄惨な光景を予想した。
高い位置で結んだジルの黒髪がふわりと風に揺れ、屈んだ彼が一気に踏み込む。突然標的が消えた形になった男の前に飛び込んで身を起こし、手にした小型のナイフを男の首筋につきつけた。
屈んで踏み込んだ先で相手の急所を取る。言葉にすれば簡単だが、恐怖心で竦んで動けなくなるのが普通だ。
振り翳した剣を下ろすより早く突きつけられた刃に、男の喉がごくりと唾を飲む。わずかな動きに、喉の表皮に朱が走った。
「……終わり?」
尻尾のように黒髪を揺らした青年のバカにした態度に、しかし男達の仲間は動けなかった。ルリアージェもジルも、外見から想像できない実力の持ち主だと認識されたのだろう。
はぁ……、溜め息を吐いてナイフの刃を外す。
「この程度の腕でケンカふっかけるなっての」
『期待しちゃっただろ』
滲む本音が実力差という残酷な現実を突きつけた。
ドレスを捌いたルリアージェが近づき、食べ終えた串を差し出す。当然のように受け取ったジルが、ルリアージェの唇についた肉の脂を指で拭った。
ぺろりと指を舐めて「あ、美味しい」と呟く。
「もっと食べたい」
「他の店も回ろうか」
彼らの姿は絡まれた被害者には見えなかった。毛並みの良さそうな飼い猫に手を伸ばしたら、凶暴な虎の子だった……みたいな想いが人々の脳裏を過ぎる。
遅まきながら駆けつけた警備兵が数人、額に汗して走ってくるのが見えた。
「ケンカがあったと聞いた! 全員そこを動くな」
ルリアージェの顔が強張る。追われている自覚が芽生えたのか、そっとジルを盾にして後ろに下がった。そんな彼女の仕草に微笑んで、腕の中に抱きしめ直す。
しっかり顔が隠れるように気遣っているため、ルリアージェも大人しく寄りかかった。
青年の胸に顔を埋めて怯える美女――に見えなくもない。
「ケガ人は?」
「こいつが仲間の腕をっ!」
「そうだ、いきなりケンカ売りやがったんだ」
暴漢側がいっせいに口を開いた。ルリアージェに一捻りされた腕は赤くなっており、確かに危害を加えられたと言える。
加害者だと思った側がケガを訴えるゴロツキ、被害者に見えるが無傷のカップル。兵達にはさぞや奇妙な光景に映っただろう。
「……?」
首を傾げる兵に対し、町の住人達は口々にカップルを擁護し始めた。
「こいつらが先に彼女に乱暴しようとしたんだぞ!」
「彼は女性を守っただけだ」
「こんな奴らの言葉を信じるな」
必要以上の攻撃をしたわけではなく自己防衛の範囲だ。
口を揃えて庇われ、一部の女性達は兵とカップルの間に立ち塞がっていた。抱きしめていたルリアージェを背に庇い、ジルは警備兵に向き直る。
隙を突いて逃げようとしたゴロツキだが、警備兵が見逃す筈はなかった。
即座に縄で縛りあげて転がされる。じたばた暴れる彼らの暴言が聞き苦しいのか、住民から口縄代わりの布を提供される始末だった。
町の警備を担当する男達は、町の声を確認しながら2人へ慎重に声を掛ける。
「君達は……?」
見慣れた町の住人ではない。確証をもって尋ねる兵の姿に、ジルは優雅に片足を引いて一礼した。
「名を明かせぬ非礼はお許しいただきたい。こちらのお方は某国の王族ゆかりの姫君です。私は騎士として護衛を仰せつかっております…が、お忍び旅ゆえ貴国への滞在申請を行っておりません」
他国の民が旅行する際、基本的には滞在先の許可を得る必要がある。友好国同士であれば、民間人や商人は滞在許可を免除されるが、王族や貴族は必ず申請が必要だった。
だがお忍びであれば、国同士が内々に承諾していても通知されないことがある。そのシステムを利用して滞在許可がないことを誤魔化す気なのだろう。
無言のルリアージェは、ちらりと護衛の背中から兵の様子を窺う。しかし目が合うと、すぐに顔を伏せてしまった。
怯えたような仕草、整った顔立ち、護衛騎士の毅然とした態度――すべてが彼の言い分を裏付けている。
お忍びにしては少し派手な出で立ちも、世間知らずの王族とその騎士だから……と言われたら、そんな気もしてきた。
堂々とし過ぎていて、逆に疑う余地がない。
「……わかりました。ですが、このように民に混じっての旅は危険です。町にはガラの悪い連中もいます」
もっともな忠告に、ジルが穏やかに応じた。
「これは王からの温情なのです。近々嫁ぐであろう姫様に『僅かだが自由な時間を与えてやりたい』と仰せでした。姫様は以前から孤児院などへの慰問を希望されていましたし、侍女から聞いた屋台にも興味を示しておられ……」
『ささやかな願いを叶えて差し上げたい』
言葉を途中で濁す。彼女の破天荒な行いも、これで誤魔化せる。
聞いていた兵が「まあ……そういうことでしたら」と理解を示し始めた。
周囲の人々もどこか同情的な眼差しを向けてくる。
直系でなくとも王族ならば、自由に町を歩くことは出来ない。ましてや買い物や屋台の食べ物は経験する機会がないのが普通だった。
嫁ぎ先が他国や王族ではなく一貴族であっても、これからの彼女に自由な時間など与えられないだろう。
自国の王族の在り様を思い浮かべた人々の脳裏に、不憫という言葉が浮かんだ。
衣食住に不自由しないが、代わりに恋愛や自由を諦める――自由を謳歌する民から見れば窮屈で、代わりたいとは思わない。
階級制度がはっきりしているだけに、誰もが姫君の生活を容易に想像できてしまった。しかもいまだに騎士の上着の裾を掴んだまま俯いているのだ。
美しい女性の項垂れた姿は哀れを誘う。
ましてや、彼女は『近々、政略結婚で顔も知らぬ相手に嫁がされる』のだ。
実際は誰もそこまで詳細に聞いていないが、ジルが意図的に言葉を濁した所為で、人々は勝手に想像を膨らませていた。
「彼らは余罪を含めこちらで処罰します」
2人については見逃す、いや出会っていないと言い切った。警備兵の決断に、住民から拍手が沸き起こる。足元で転がる連中は青ざめていた。
礼を言って頭を下げたジルの後ろで、ルリアージェも無言で一礼する。
「お任せします。私は姫様の護衛の任がありますから」
にっこり笑うと、ルリアージェの顔を覗き込む。少し肩が震えているのを、そっと抱き寄せて歩き出した。寄りかかって歩く美女の後姿を見送る群集の思いはひとつだった。
『お気の毒な姫様、きっと騎士のことを慕っているのでしょう……政略結婚の前に、王様が最後の温情として一緒の旅行をお許しになられたのだ』
あまりに思いがけない展開におかしくて笑い出してしまいそうなルリアージェ、
「声を漏らさないでね、バレるから」と忠告するジル。
―――人々の感動を踏みにじる2人は、温かな眼差しに包まれながら舞台を降りた。
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