第3話 馬子にも衣装

 あの恩知らずめ。


「……次に会ったらぜってぇ殺す」


 物騒な呟きがジルから零れる。ついでに殺気も駄々漏れなのだが、ルリアージェは「まだ子供なのだろう、許してやれ」と的外れな返答をよこした。


 魔物の年齢は人間以上に見た目で判断してはいけないのだが……。



 ちなみに、彼女は散ってしまった白い花の、折れた茎を助けようと苦戦している。近くに落ちていた小枝を添えて、なんとか立たせることに成功した。


 灰色だった空は徐々に切れ間があらわれ、鮮やかな青が時折見え始めた。まだお昼前のため、予想していたより早く雨が止んだ形だ。厚い雲の様子から、夕方まで降ると考えていた。


 まさか……あの魔物が雨男(?)だったりして。逃避しかけ、ジルは首を横に振った。こんな無駄をしている場合じゃない。


「どうする? 移動するなら準備しないと」


 雨が止んだなら、敵襲された同じ場所に留まるのは危険――ジルに言わせれば面倒――だった。しかもリベンジを誓って捨て台詞を吐く魔物だ。再び襲われる可能性を想定するのは当然だろう。


 幸いにして、仲間を連れて来襲するのは考えにくい。


 魔物は人間より優れた種族だと自認しており、負けたからと他の魔物に泣きつけば自分の弱さを吹聴するのと同じだ。そのおかげで、同時に複数の魔物と戦う状況はほぼなかった。


 その滅多にないはずの状況で、しっかり全ての魔物を封じたルリアージェという規格外もいるが。



 頭上から降り注いでいた雨は止んでも、木々の葉から滴る粒はしばらく続く。


「ぅひゃ……っ」


 首筋に落ちた雨粒に、規格外魔術師ルリアージェが悲鳴を上げる。


 冷たくて驚いた姿は可愛いが、整った見た目に反した微妙な声にジルが吹き出した。大笑いする青年の頭をひとつ叩き、まだ笑い続ける様子に唇を尖らせる。


「……ごめん、謝るから、ね?」


 許して欲しいと懇願しながら、拗ねたルリアージェの後ろから抱きしめる。そのまま銀髪をすこし指で梳いて、首筋に唇を押し当てた。



 木漏れ日が差し込んだ森の中で、美女を抱きしめる王子様―――



 御伽話に出てきそうな風景は「うっ」という呻きで崩れた。頭ひとつ高いジルの腹部に、ルリアージェの肘鉄が食い込んでいる。


 手加減なしの本気だろう。かなりえぐい角度だった。


「…ひどっ」


「酷くない」


 蹲ったジルの抗議を一言で黙らせた。睨み付けるルリアージェの顔は真っ赤で、男女の機微に疎い彼女にしては上出来の反応だ。


 無言でテントの中の荷物を纏め始めたルリアージェに苦笑いし、身を起こしたジルも片づけを手伝い始めた。テントを含め、すべての荷物を一箇所に積み上げる。


「忘れ物はないな」


 周囲を見回したルリアージェが荷物の山を結界で包む。


 ポーチから取り出した小さなガラス玉に吸い込ませる形で、荷物の山を消してしまった。


 結界の中では質量も重力も消える。その特性を利用し、ガラス玉に荷物を封印するのだ。つまり結界に包むことが出来るならば、屋敷ひとつでも持ち歩ける。


 問題点があるとすれば、生き物は対象外という制限だろうか。


 商人が見れば垂涎の能力だが、結界を張れる魔術師でなければ使えなかった。そのため、一般には普及しない技術なのだ。


「うーん、いつ見ても変な術だよね」


 この魔術、ジルには使えない。実は試したこともあるが、成功しなかった。


「向き不向きってあるんだな」


 気にした様子なく、さらりと話を流すジルがにっこり笑った。




 ――◆―――◇―――◆―――◇―――◆――




 この大陸を支配する9つの国は『テラレス』『シグラ』『タイカ』の順で南側の海沿いに並んでいる。中央に『ウガリス』『アスターレン』『シュリ』『サークラレア』が続き、北の凍りついた大地を『リュジアン』『ツガシエ』の2国が治めていた。


 海沿いの国は少し小さい。北の山脈の向こうは氷の大地で、人が住める場所ではないと伝えられていた。事実、過去に確かめた魔術師がいるが、氷と雪で覆われた地表は硬く冷たかったという。




 テラレス、ウガリス、シグラに指名手配されたルリアージェの現在地は、アスターレンとシグラが国境を接する森の中だった。


 テラレスに所属する魔術師だったルリアージェは、『大災厄』の所為で故郷を追われたのだ。


 ひどく気の毒な状況のようだが、彼女は故郷という概念を持たず環境や土地にも執着しないため……飄々としていた。もちろん、追われる不便さは身にしみている。



「ねえ、ルリアージェ。服を買わない?」


「要らない」


「えー、着飾る費用は出すから! せっかく美人さんなんだもん」


 着飾らせたいとごねる連れに、ルリアージェは大きく息を吐いた。溜め息より深呼吸に近いほど大きく吐いて、その分だけ大きく吸い込む。


「いいか? 私はお尋ね者で、今は逃げているんだぞ。ちゃらちゃら着飾っていたらおかしい…」


「だからいいんじゃない! 着飾ってるお嬢さんが追われてるなんて、思わないでしょ?」」


 正論を吐く唇を指で押さえ、言葉を重ねて遮る。


 きょとんとした顔で見つめてくる美女へ、再度言葉を重ねた。


「いい? 普通追われてる人はルリアージェみたいな考え方をするから、地味な黒やグレーのフード付きローブで顔を隠す。逆に着飾って注目を浴びる美女が、まさか手配された犯罪者なんて思わないでしょ。注目されれば、周囲の目を気にして襲ってくる奴も減る。しかもオレの目の保養になるから、一石三鳥じゃん」


「……最後だけおかしい」


 反論が見つからず、ルリアージェは小さな不満を口にした。


 半日も歩けば次の町が見えてくるため、到着後の予定を話しているのだとわかる。


 彼の言い分もある意味正しく、魔術師である証明となっているローブが悪目立ちする可能性が捨てきれない。


 顔を隠す事情があると判断されたら、ならず者に絡まれ襲われる機会も増えるだろう。騒ぎを起こせない立場を見越して絡まれたら、ルリアージェの分が悪かった。


「わかった」


 しぶしぶ了承すれば、ジルの足取りが軽くなる。浮かれているのは一目瞭然で、その姿に『さっきの理由は方便か』と疑いの眼差しを向けた。


「そうと決まれば、早く行こう」


 ルリアージェの視線を無視して、先に歩き出す連れの背中へ大きな溜め息を吹きかけ、重い足取りで彼女は後に続いた。





 服を何枚も並べ、ジルは唸る。


「青、いや紫も似合いそう……深い赤とかもいいな」


「こちらはいかがでしょうか」


 店主が差し出した淡いクリーム色のドレスはレースがふんだんに使われ動きにくそうだ。追われた時に逃げにくいだろう、そんな意味の目配せに苦笑いした。


 着飾る時点でもっと開き直って欲しいのだが、なかなか気持ちの切り替えは上手くいかない。


 さらに数点のドレスを見比べ、ジルが首を横に振った。


「白系はやめよう。最初に見た青いドレスと、あと深紅のをもらうよ。黒のショールはある? 花模様のレースのやつね。それから奥に飾ってる紺のワンピースも。これと、それ……あ、こっちもいいな」


 持って来させた服を確認し、今度はルリアージェを見つめる。色合わせというより、サイズのチェックだろうか。


「試着なさいますか?」


「胸以外は問題ないんだけど」


 余計な発言をした青年にルリアージェの蹴りが入る。


 脛を蹴られると痛みに蹲るのは、万国共通のようだ。蹲って痛みをやり過ごすジルを、店主は気の毒そうに見つめた。


「痛いよ、アジェ」


 普段は『ルリアージェ』と呼ぶ。口説き始めると『リア』の愛称で通す。


 今は逃亡中のため、名前をそのまま呼ぶ危険性を考え『アジェ』と偽名を使っていた。



「うるさい」


 切り捨てた美女に反省の色はなく、しばらくして立ち上がったジルが会計を済ませた。


 会計させられた上に蹴られた青年へ『変わった趣味の男?』という疑惑の眼差しが突き刺さる。


 金払いがいい客なので、店主はにこにこと愛想よく応対しながら服を包んだ。


「このワンピースに着替えて行こうか」


 最後に選んだ紺のワンピースを渡され、ルリアージェは小さく頷いた。


 シンプルなパンツとシャツだけの美女を試着室へ見送り、ジルは店主に話しかける。


「ところで、アクセサリー売ってる店でいいとこある?」


 剣士ではないため、指輪も平気だろう。着飾らせるなら徹底的に! 普段はなかなか着てくれないのだ。このチャンスを逃すまいとジルの発言にも力が入る。


「それなら妹がジュエリー関係の店を出しております。ご紹介しましょう」


 ジュエリーという表現は、アクセサリーより高額と考えた方がいい。しかしルリアージェを着飾らせる費用をケチる気はないので、大きく頷いた。


「頼む」


「装飾品はいらない」


 直後に着替えを終えたルリアージェが近づく。銀髪に紺や紫などの強い色が似合う。二の腕までを覆うシンプルなワンピースは、身体のラインを浮き彫りにした。


「これ羽織ろうか」


 肩から胸元まで大きく覆う形で薄いショールを羽織らせ、大きくリボン結びをして胸元を飾る。胸が大きく見えるため、全体のバランスが整った。


「うん、これなら胸が目立たな……っ」


 パチン! 大きな音が響く。


 無言でいきなり頬を叩いたルリアージェが唇を尖らせる。胸元をさりげなく両手で隠している様は、普段の凛々しさではなく可愛らしく見えた。


「アクセサリーだろう、さっさと行くぞ」


 怒ったまま店を出て行く美女の後ろを、張られた頬を押さえ荷物を抱えてついていくハンサム。どうみても『下僕認定』された『お財布』扱いだった。



 慌ててジュエリー店の地図を渡した店主は、深々と頭を下げて見送った。どんな性癖をもっていようが、人格が歪んでいようが……金払いのいいお客様だ。


「いくら美人でも、あんな気の強い嫁さんは御免だな」


 顔を上げた先で、必死に彼女のご機嫌を取る青年がいる。気の毒だが、きっと妹の店でも大金を落としてくれるだろう。


 生温い目を向けながら、彼は店を振り返った。


 そこに貼られた手配書には、ルリアージェの名前がしっかり記載されている。しかし店主は気づくことなく、広げたままの服を片付け始めた。




 指輪、ネックレス、ピアス…大量のジュエリーを購入し、様々な化粧品まで抱えて宿に戻る。


「着飾ってご飯食べに行こうよ」


 渡されたのは紫系の艶やかなドレス。いつものルリアージェなら絶対に身に着けない選択だった。


 本心では断りたいが、一度承諾した話を覆すのは彼女の信念に反する。文句を心の中だけに留め、ルリアージェは諦めてドレスを受け取った。


 治せばすぐ消える傷を頬に残したまま、ジルは嬉しそうにルリアージェの顔を作り始める。厚化粧にならないよう目元を強調して、唇は薄く色をつける程度に抑えた。


 化粧映えする彼女に満足げに頷き、諦めて大人しい美女の首にネックレスを飾った。嫌がる指輪やピアスもつければ、どこから見ても『貴族令嬢』に相応しい艶やかな美女が出来上がる。


 琥珀色の宝石が連なるネックレスとピアスは同じデザイン。虹のようなグラデーションの指輪は、中指だけでなく周囲の指にもかかる大きさだった。


「隣に並んでも遜色ない格好しないとね」


 パチンと指を鳴らしたジルが一瞬で衣装を変える。正体を知っているルリアージェは溜め息ひとつで済ませるが、他の魔術師に見られた大事件だった。


 なぜなら、こんな便利な魔術は存在しないのだから。



「今宵、美しい貴女様をエスコートさせていただけますか?」


 高いヒールの靴を履いたルリアージュに跪いて手を差し出す美青年へ、美女は静かに頷く。


「ああ、そうしてくれ。一人で歩けそうにない」


 この靴で転ばずに歩く自信がないし、何より仮装状態で外を歩く度胸もなかった。お姫様さながらの美女という自覚はルリアージェにない。


 絶世の美貌を誇る母を知っているから、余計に自分を過小評価する癖があった。


「これなら捕まる心配ないし、何よりオレが役得♪」


 優雅に立ち上がり、美女の細い腰へ手を回す。倒れそうな身体を支えてくれるジルへ、しっかり寄りかかってバランスを取るルリアージェは必死だった。


 スカートの先を踏みそうで、そっとスカートの一部を摘んで持ち上げる。


「では参りましょう」


 ご機嫌で宣言されたジルの一言により、ルリアージェは町へと連れ出されたのであった。

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