20.***白贄***

 きんし――それは複雑な意味を含んだ響きだった。『金紫』であれば瑠璃姫を示す。『金糸』と捉えれば、帝の血筋を繋げる糸である姫を指す。そして 『近親』と読み解けば、狙われる帝の近くに敵が潜むことを滲ませた。


 言霊を恐れて声にしなかった『禁止』という響きは、この国の終了を意味する。


「覚悟は出来ているか?」


 黒いかさねを捌いて座る真桜しおうが確認する。鎮守社ちんじゅしゃである屋敷の庭に、立派な祭壇が作られていた。敵を切る響きを宿した桐材の香りが場を清める。清涼な香りに誘われて、国津神の一部が姿を見せていた。


 それらはこの国に固有の動物や鳥の姿をまとい、闇の神王の息子を見下ろす。木々に宿った神が、風もないのに葉を揺らした。知らぬ只人ただびとが見れば、異常な光景だろう。


「はい」


 祭壇の前に白い衣の子供が座る。真白な肌に、老婆より白い髪を垂らし、赤い瞳は血のようだった。まれる白子と呼ばれる姿は、月光の下で溶けてしまいそうなはかなさを纏う。


「気をつける点はひとつ。決してこたえてはならない」


 藤姫と黒葉がすでに同じ注意を口にしていた。何度目か忘れるほど言い聞かされた内容は、すべて異口同音だ。


 同情しても泣いても構わないが、声や眼差しで応えてはならない。その存在を無視し、霊がどれほどあわれを装い手を伸ばしたとしても、見えない振りを貫くのだ。


 親や周囲に疎まれた赤子を、我が子同然に育てた乳母を助けるために、愛し子は育ての母に応えない。言葉や道理は理解しても、実際にその場面で彼が手を差し伸べて声をかけたら終わりなのだ。


 危険は贄役にえやく藍人あいとだけではなく、周囲で結界を張る藤姫、黒葉くろは華守流かるら華炎かえいにも及ぶ。もちろん術者の真桜が一番危険だった。それでも後ろに引く手はない。国の存亡に関わる儀式を、己の命を惜しんで取りやめる選択肢はなかった。


 北を黒葉、対となる南に藤姫、東を華炎、華守流が西。それぞれに札を手に位置を取った。今回の祭壇の正面は南だ。北を背にした祭壇の前へ藍人がゆっくり横たわった。


「真桜、我が神力も使うが良い」


 人形を脱ぎ捨てて神としての姿で微笑むアカリが、ふわりと後ろに座る。南は天照大神あまてらすおおみかみの方角だ。眷属であるアカリが立つことで、夜に弱まる日の力を補うことが出来た。


「助かる」


 小さなネズミや鳥が真桜の身体に舞い降りる。肩に留まり、座った膝の上に飛び乗った。国津神の化身である彼らも協力してくれるのだろう。この国を黒く染めるけがれは、彼らにとっても他人事ではない。


糺尾くおん、絶対に動くな」


「わかった」


 軒先に封じた空間へ残された子供が頷く。九尾の狐の子であっても、まだひとつ尾だ。彼の霊力は当てにできず、逆に敵に取り込まれたら厄介だった。これ以上藍人の負担を増やせば、心が持ち堪えられない。


「始める」


 危険を承知で子供達を使わねばならぬ。これが陰陽師としての道を選んだ覚悟であると理解しても、やはり自分の力不足が辛かった。人の身を捨てれば選べる手札が増える。しかし鎮守社の護り手が見つからぬ今、鎮守神ちんじゅかみである真桜が消えるわけにいかない。儘ならぬ不自由さに手足を縛られながら、真桜はゆっくり呼吸を整えた。


「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……」


 数えて十で息を一度止めた。唇を尖らせてすべての息を吐き切る。くらりと目眩が襲うほどの時間をかけて吐き、再び同じ長い時間をかけて空気を吸い込んだ。


《ひふみよいつむななやこののたり》


 区切らずに九字を言霊に吹き替えた。空の雲が晴れて月が光を降らせる。用意していた札を空に舞い上げて、落ちる前に霊力を含ませて固定した。


《我が名をおそれよ。月よ、我が手におそれを。迷いし黒きたまを導きたまえ。じゃでありじゃとなったじゃおそれることなかれ。白き贄に黒きたまく》


 空中に静止した札が一斉に地に落ちた。そこに記されていた墨文字が消えている。風がない庭で、真桜の赤茶色の髪が舞い上がった。指先が文字を描くたび、文字がぽたりと地面に染みる。それらが札に書かれていた墨文字と混じり、大地を黒く彩った。


《白き贄に連なる者よ。来たれ》


 現れた女性は透けており、鼠色ねずみの衣を羽織っていた。黒髪は白髪が混じり、老齢だと一目でわかる。穏やかそうな表情を浮かべ、彼女は藍人の上に降り立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る