3.***色呪***

 子供がいるので早めの夕餉を終え、藍人に割り当てた部屋の四方に札を貼った。きっちり東西南北を出した部屋の方角に貼られた札とは別に、小さな要石を置く。


 元の姿で過ごすよう言い含められた藍人は、偽装の術を解いていた。真っ白な髪を肩の下まで垂らし、赤い瞳で真桜の言葉に聞き入る。


「この石を朝まで動かすな」


「はい」


「あと、この屋敷は外から視えぬよう結界を張ってある。招かれても返事をするな、外に出るな」


「はい」


 大人しく返事をする藍人を前に、真桜は不安が増していた。この年齢の子供は大人しそうに見えても、やんちゃで悪さをすることが多い。多少の騒動は構わないが、結界を中から破ったりすれば百鬼夜行が押し寄せる。それらを退ける能力がない子供を残していくのは、不安だった。


「うーん、誰か残すか……華炎」


『嫌だ』


「華守流」


『……嫌だ』


 即答する式神2人に、真桜が溜め息をついた。これは黒葉でも呼ばなければならないかと思ったとき、意外な名乗りが上がる。


『主様、私が残っておりますゆえご安心なさいませ』


 藤姫はにっこり笑う。以前は見せなかった微笑みだが、守護者になってからはよく見せていた。彼女の微笑みに驚いたのは藍人だった。彼女はいつも笑った振りで、口元を隠して俯いてばかりいたのに。この屋敷では、他の人と同じように笑い、顔を隠さずに応じている。


「じゃあ頼むか。やばくなったら、オレでも黒葉でもいいから、すぐに助けを呼べよ」


『お気遣いありがとうございます。されど私も守護者にございますので、闇のあやかし風情に後れは取りませんわ』


「それでも! 守られてる立場で言うのも変だが、女性だからな。気を付けるんだ」


『かしこまりました』


 嬉しそうに口元を袖で覆って顔を赤らめる藤姫に、藍人は思わず見惚れた。かつて藤姫を遠めに見たときは、これほど美しい人だと感じたことはない。それだけ様々なしがらみに抑圧されて生きづらかったのだろう。


 帝の血を引く皇家の者は、大半が天津神の色彩をどこかに受け継いでいた。それはこの国の黒髪黒瞳と明らかに異なる。異端を嫌う民草から姿を隠すため、帝は公家にすら姿を見せなくなった。


 藍人の白い髪と赤い瞳も、帝や青葛の君の金髪や青がかった瞳も同じ。その中で藤姫は一番特徴が少なかった。前帝の腹違いの妹姫という血筋の濃さから考えられないほど、美しい黒髪の姫だ。もし彼女が異端の色を持っていたら、今も宮中の奥深くに幽閉のような状態で閉じ込められていたはず。


「行ってらっしゃいませ、お師匠様」


 藍人がきっちり挨拶をすると、真桜は困惑した表情で「師匠、ねぇ」と呟いた。人の地位や上下関係を気にするような人ではないのだろう。


「真桜、急がねば三日月の約束に遅れるぞ」


「いけねっ! じゃあ後は頼む」


 ふぅと最後に息を吐いて、域を整える。簡単そうに術を使った真桜が部屋を出ていき、玄関が開く音がしないのに屋敷から気配が消えた。


「陰陽師ならば」


 僕の居場所になってくれるのか。親には鬼の子と蔑まれ、周囲も遠巻きにするだけ。年の離れた弟は黒髪黒瞳だったため、母に甘える弟の姿にどれだけ羨んだか知れない。


 霊力が高いせいか、他人の気配や考えを敏感に察してしまう。化け物と罵られて屋敷の奥の部屋に押し込まれ、彼らが楽しそうに食事をする気配に涙した。あんな思いをさせないでくれるなら、陰陽師という仕事を引き受けようと思ったのだ。


『……あなたもさぞつらい思いをしたでしょうね。そのお姿ですもの。私は天津神様の色を受け継がなかったから、外に捨てられてしまったわ。遠縁なのに先祖返りしたあなたは、もう1人の私なのよ』


 透けた姿ながら、衣を上品に捌いて歩み寄った藤姫が淡く微笑んだ。両手を広げて待つ彼女に、藍人は驚きの表情を見せる。


『おいでなさい。私はあなたを拒んだりしないわ』


 愛しい人に捨てられた藤姫は、親に見捨てられた藍人の気持ちが人一倍沁みる。だから同情や哀れみではなく、互いの傷の舐めあいでもない。癒し癒されたかったのだ。


 おそるおそる近づいた藍人へ『少しだけ霊力を貸してくださる?』と藤姫が声をかける。高めた霊力で己の姿を維持すると、藤姫は藍人を自ら迎えに動いた。抱きしめて膝の上に頭を乗せ、小さな声で歌を口遊くちずさむ。


 やがて、膝の上の子が眠るまで――。

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