4.***地祇***

 三日月の空を見上げ、ぐるりと南西へ視線を向けた。今宵は特別な夜だ。北東の方角で鬼の門が開き、一部の亡者が地上に還る。お盆とは違う意味で、先祖がかえる日だった。


「さて、どこで見張るか」


「真桜、鬼の王が協力してくれそうだ」


 袖を引くアカリの視線を追うと、鬼門きもんに腰掛けた青年が手招きしている。燃える赤毛が遠目にも目立つ。にやりと口元を歪めた真桜が、呟いた。


「酒を用意しないといけないかな?」


「それならば、我が持っているぞ」


 酒が入った瓶子へいしを揺するアカリの手回しの良さに、後ろの華炎を振り返った。控えていた式神は、さりげなく視線を逸らす。なぜ用意したことを隠そうとするのか。


『俺ではないぞ』


「華炎だなんて言ってないだろ」


 じっと見つめる視線に勝てず、思わず自白した華炎に肩を竦めて笑う。華守流がこっそり笑みを浮かべるが、睨みつける華炎に気づくと表情を隠した。


 生温い風が吹く。気味の悪い風に眉をひそめて周囲を窺う。しかし異常は感じられなかった。気のせいだと自らに言い聞かせて、真桜は溜め息を吐いた。


「嫌な風よ」


 同じように感じたアカリが言葉をこぼす。しかしすぐに表情を和らげ、天若てんじゃくが待つ鬼門へ足を向けた。後を追う真桜とともに、ふわりと門の上に舞い降りる。


 術に使った式紙を散らして、真桜は天若の隣に腰を下ろした。


「お疲れさん、今年も無難に終わればいいが」


「不吉な言霊ことだま吐くなよ。監視役も大変なんだぞ」


 昨年は大した問題もなく終わった。しかし一昨年は数人の魂が、己の子孫に憑りついたり脅かしたりして騒動を起こしたのだ。その後始末にひと月ほどかかった。


「まあそうだろうが……今年だけおれを呼び出した理由は?」


 毎年開く三日月の鬼門から地上に戻る魂は、闇の神族たる国津神くにつかみの選別を受けた者達だ。黄泉平坂よもつひらさかではなく、鬼門から魂を放つ理由はこの行事が国津神の神事ではない点にあった。


 天津神あまつかみとも違う、地祇ちぎと呼ばれる者達は土着の神族だった。国津神より後からこの国に根付いた彼らは、独自の儀式を数多く執り行っている。そのひとつが、この三日月の先祖返りだった。


 先祖の霊を身の内に宿し、智慧ちえや信仰を蓄える。地上に残された生者せいじゃたる子孫のための儀式だった。しかし天津神を祭る今の世で、彼らの宗教は迫害対象となりうる。


 三日月の夜に予想される騒動を事前に防ぐのが、国津神の息子である真桜の役目だった。


「うーん、今年は間違いなく問題が起きるんだ」


「予言か?」


「問題が起きるように手配したからな」


 にやりと笑う真桜の隣で、アカリは袖から取り出した平たい小皿のような杯に酒を注ぐ。手酌する彼の姿に、真桜が慌てて手を伸ばした。


「自分で注ぐなよ」


「話が終わるまで待てなかった」


 基本が自分勝手なアカリのこと、咎められても気にしない。微笑んで杯を捧げるから、受け取った真桜が一息に飲み干した。振って水気を切り、杯をアカリに返した。


「ほら」


 アカリの杯を満たしてやると、隣で自分の杯を取り出した天若が酒をせがむ。空の杯を揺らして待つ友人に苦笑いして、瓶子を傾けた。少し濁った酒を注ぐと、両側で勢いよく飲み干される。つんと鼻に届く酒気に頬が緩んだ。


「そんで、問題を起こす理由は?」


「九尾の美人に頼まれてね……我が子を預けたいんだとさ」


 九尾は狐の妖怪の代名詞だ。長く生きるほどに妖力を溜めこみ強くなる。しかも九尾は最上級の狐妖怪を示す単語で、現在この国には1匹しかいなかった。


「へぇ、あの女狐がね」


 いつ生んだのやら。そんな口ぶりの天若が二杯目を飲み干した。


 渡された杯を干した真桜が、ふと気づいて瓶子を振る。中に入っている量と注いだ量が合わない気がしたのだ。そしてその予感は当たっており、振った瓶子はまだ大量に酒が残っていた。


 どこから瓶子を持ってきたのか感づいた真桜の顔が引きつる。隣のアカリは軽く酔いが回ったらしく、少し外れた音の鼻歌で寄りかかってきた。


「アカリ、これ……」


「うん? ああ、天照大神の神殿から借りてきた」


 本当に借りたのか、勝手に持ち出したのかわからない。


「明日返せば、バレないかな?」


「お前も毒されてきたなぁ」


 天若の冷やかしを聞きながら、足元の門から出てくる魂を数える。華守流と華炎が見守る京の都に、地祇の先祖が散らばっていった。

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