23.***不罪***

 屋敷の中に数日振りの火が灯る。着替えた真桜が大きく伸びをして板の間に腰掛けた。まだ足が少し痺れる気がする。違和感の残る膝を撫でながら、隣でしょぼくれたままの親友を振り返った。


「せっかく買ってきたんだ、飲めよ」


 器に濁った酒を注いで差し出せば、恐る恐る伸ばされた手が受け取った。触れた瞬間に揺れて、器の酒が手に零れる。


「まあ事情は聞かないけどさ、やらかすなら先に相談くらいしてくれ」


 相談してくれたら構わないと笑って終わらせようとする真桜に、アカリは何も注意せず隣に腰掛けた。肩を竦めた真桜が自分の器をアカリに渡し、酒を並々と注ぐ。くいっと飲み干したアカリが器を一度振って水分を切ってから、真桜の手に戻した。


「…真桜」


 促された視線の先で、華炎と華守流は腕を組んでいた。怒っているのは一目瞭然だ。呆れ顔の黒葉は付き合いが長い分だけ、他者を許してしまう真桜の性格を見抜いていたのだろう。床に座った藤姫はなぜか背を向けている。


 景気づけのように酒を一気に煽った北斗が、覚悟を決めて尋ねた。


「なぜ許そうとする。おれはおまえを裏切った」


 辛そうに呟く大柄な男は、ほがらかな普段の姿が嘘のように背を丸めている。かなり小さく見えた。その肩をぽんと叩いて真桜は屈託なく笑う。


「お前もオレが守ると誓った対象だからだ」


 怪訝そうな顔に、真桜は肩を竦めた。


「オレが人じゃないと知りつつ受け入れただろ。母の好きな地を守りたいと願ったオレを、理解しようとしてくれた。それだけで十分だ」


 北斗がしたことは裏切りかもしれない。怒って関係を断ち切るのは簡単だった。だが……それが何を生むのだろう。理解者を失い、友人をなくし、この地上への執着の楔を抜く行為だ。


「オレの影が呪詛の元凶だとして、影に札を作る能力はない。ならば札を渡せたのはお前だけだ。影に操られた術師が何を望んだか知らないが、すでに彼は鬼籍に入った。誰もお前を断罪する者はいない」


「……おれは、おまえを馬鹿にする奴らが許せなかった」


「ああ」


 相槌を打ちながら、空になった北斗の器に酒を注ぐ。茶碗より浅い平たい皿は白い。乳白色の酒を口に運んだ北斗は目を伏せた。ぐいっと飲み干して器を床に置く。


「陰陽師に頼るくせに、陰陽寮の功績を認めない。呪詛で呪い殺してやろうと何度思ったか」


「そうだな」


「今回の冤罪だってそうだ。あいつらは自分勝手で……っ」


「わかってる、お前はオレを守ろうとしてくれただけだ」


 ついに声を詰まらせて涙を滲ませる親友の肩をとんとん叩いた。呆れ顔のアカリは手酌で酒をあおり始め、人外たちは顔を見合わせて溜め息を吐いている。


「オレだって怒ることはあるさ。ただ、貴族連中と同じ土俵で争ってやる必要はない」


 顔を上げた北斗の赤い目に苦笑いした友人が写る。お人好しで、常に貧乏籤びんぼうくじを引き続けるくせに、決して折れない。明るい茶の髪と青紫の瞳を鬼と罵る輩もいるが、誰より優しいことを陰陽寮の人間は知っていた。


「今回の騒動を起こした中将を操った奴を炙り出すから、ちょっと協力してくれるか?」


 北斗は目を見開いた。裏切ったと告白した者を、まだ信じて頼ろうというのか。その懐の深さと広さに言葉が詰まる。何も言えずに、必死に頷いた。

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