08.***女難***

 ゆらゆらと影は牛車の中へ入っていく。


 悲鳴を上げて腰を抜かす牛飼童が1枚の紙となって散る。護衛として着いた車副が、人外の半透明の姿に変わった。華炎と華守流が顔を見合わせ、中を覗き込んだ。


「終わったぞ」


 心配はしていなかったが、ここまで無事だと腹立たしい。複雑な心境の華炎が眉を寄せた。赤茶の髪を珍しく上に結い上げた真桜がひらひら手を振っている。


 その手元に黒い悪意の塊が蠢いた。


 通常の人間が触れたら生気を吸い取られ、忽ちのうちに絶命させられる強力な呪詛だ。それを平然と手の中に収め、アカリが書いた守護札によって封じた。


 闇の神族の血を半分引いているとはいえ、規格外すぎる。華炎が眉を顰めるのも当然だった。華守流は苦笑いして肩を竦める。


 本当に守り甲斐のない主だった。だが、彼が窮地に陥って本気で助けを求めるような事態ならば、華守流や華炎の力は及ばないだろう。


『ふむ……これは呪詛か』


 半透明の神様が味見をする。黒い悪意の一部を指先で摘んでぺろりと舐め、軽く首を傾げた。


「アカリ、変なもの食べるなよ」


『わかった……だが、これはまた……』


 言い淀んで、複雑そうな顔を見せる。


『女難の相、というのだったか』


 女難……つまり、悪意の主は女性らしい。前回の騒動も瑠璃の姫による嫉妬が原因で、今回もまた呪詛の先は女人――真桜は女難の相が現れている。神様の宣言に、華炎が整った顔を顰めた。


『……女は情に流されやすい』


 苦虫を潰したような顔で告げる華炎は、何か嫌な過去があるのだろう。女性が絡むと辛らつさが増す傾向にあった。逆に華守流はそういった柵はないらしい。


『女難か、言いえて妙だ』


 素直にアカリの表現に感心して同意した。


 艶のある黒髪の神様が小首を傾げ、未だに呪詛を掴んでいる真桜の手を引き寄せる。じっと見つめてから、悪意の塊にふっと息を吹きかけた。


「ちょ、アカリ? ダメだろ」


 注意する前に、呪詛は白い鳩となって空に舞いのぼる。月が暗い闇夜の空に、白い鳥は鮮やかに浮かび上がった。


『さて、追うぞ』


 勝手に呪詛を返してしまったアカリの奔放さに言葉をなくした真桜は、少しの間頭を抱えてぶつぶつ文句を言っていたが……諦めたように牛車を降りた。


「はいはい」


 ……ったく、みんな勝手に動きやがって。


 人外である神族1人と式神2人の主人であるにも関わらず軽んじられる真桜の文句は、声色にも言霊にもならず――闇に解けて消えた。

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