「思春期症候群」は異能力に含まれるだろうか?

味噌わさび

第1話 「日常」の「異常」

「……はぁ。なんで俺まで」


 海辺の道をあるきながら、俺……船橋孝雄はボヤいていた。


「いいじゃない。どうせ暇でしょ」


 隣を歩く黒髪の乙女は、俺の幼馴染である市川凛だ。俺たちは、放課後、ある場所に向かっていた。


「……帰りたいんだけど」


 俺がそう言うと同時に、俺自身の気配は周囲から消えていなくなってしまった……ような感じがした。


 いや、実際に俺は、自分自身の気配を完全に消すことができる。嘘のように聞こえるが、本当だ。


 「思春期症候群」……それが、俺がそんな不思議な現象……いや、不思議な能力を身につけた理由だ。


 「症候群」の話は、都市伝説だと思っていたが、それは実在し、現象として、俺に不思議な能力を付与した。


 不思議な能力とは俺が嫌だと感じる時やめんどくさいと思う時、自分の気配が完全に遮断されるというものだ。


 すると、周囲は俺のことを完全に認識できなくなる。このおかげで、授業をエスケープし放題、屋上で昼寝し放題という、不思議ではあるが、ある意味幸運な現象に見舞われた……


 と思っていたのだが……


「駄目よ。そこにいるのはわかるんだから」


 凛はピシャリと言った。俺は気配を遮断するのを諦めた。


 そう。残念ながら「症候群」の「発症者」は俺だけではない。


「一定範囲内の生物の存在を認識することができるようになる」……現象により、そんな不思議な能力に目覚めたのが、市川凛であった。


 おかげで、俺が授業をエスケープしようものなら、鬼の形相で追ってくるというわけである。


「……わかったよ。委員長様」


「わかればいいのよ。さっさと行くわよ」


 俺は、俺にとって最悪な相性の能力に目覚めた幼馴染と共に目的地へと急いだ。



「……ここか?」


 俺と凛は一軒の家の前で立ち止まった。


「ええ。亀戸エリカさんの家ね。先生が言っていた住所はここよ」


 亀戸エリカ……入学式から今に至るまでずっと不登校の俺のクラスの女生徒だ。


 担任の先生がクラス委員長である凛に亀戸の家に行き、様子を見てくるように頼んだ。そして、凛はなぜか俺を連行して、亀戸の家にまでやってきたというわけである。


「とりあえず、インターホンを押すわ」


 凛はインターホンを押す。ピンポーンと間の抜けた音が響くが、返事はない。


「……いないのか?」


「いるわよ。亀戸さんはずっと家に引きこもっているらしいから。それに……家の中には誰かいるわ。はっきり分かるもの」


「……親とかじゃないのか?」


 俺がそう言うと、凛は目を閉じ、集中した様子を見せる。


「……家の中……いるのは一人……二階ね。ずっと動かない感じ……どう考えても引きこもりの少女だと思うのだけれど」


 凛は集中すると、相手の動きまで把握することができるらしい。完全に超能力である。


「とりあえず、出てくるまでインターホンを押し続けるわね」


 凛はインターホンをまた押す。俺はやめたほうがいいと思ったが……次の瞬間だった。


『……はい?』


 インターホンから、霧の彼方から聞こえるような声が聞こえてきた。俺と凛は思わず顔を見合わせる。


「私、市川凛よ。アナタのクラスメイトなんだけど……ちょっと会えない?」


『……うん。いいよ。ドア、開いてるから。入ってきて』


 しばらくの間があったが、亀戸は俺達が家に入るのを了承した。


「……開いているわね。いくわよ、孝雄」


 凛は玄関のドアを開くと、遠慮なく家の中に入った。俺は、なんとなく嫌な予感がしていた。


 亀戸の反応から考えると、ドアは最初から開いていたことになる。まるで誰が入ってきても構わない……それこそ、家の中に招いているかのような……


「ほら、二階、行くわよ」


 考えがまとまらないままに、凛のその言葉で、玄関からすぐ近くに見える階段をのぼり、俺達は家の二階へと進んでいった。



 俺たちは凛を先頭に階段を登っていく。そして、階段を昇った先のドアの前に立つと、凛が強めにノックする。


「亀戸さん。いるんでしょ?」


 凛がノックしながら呼びかけるが、亀戸は扉を開けなかった。


「……中にいるんだよな?」


「当たり前でしょ? インターホンで応答したじゃない。仕方ないわね」


 すると、今一度凛は扉をノックしてから、ドアノブに手をかける。


「亀戸さん。入るわよ」


 俺が止める間もなく、凛は部屋の扉を開けた。


 部屋の中は薄暗く、足元にはゴミが散乱している。そして、ベッドの上には家の中だというのにジャージを着ている死んだ魚のような目をした少女が座っていた。


「はじめまして、亀戸さん。私、市川凛。こっちは船橋孝雄。よろしくね。いきなりで申し訳ないんだけど、学校、来ないの?」


 凛はストレートでそう言った。さすがにそれはないだろ……と俺も思ったが、妙だったのは亀戸は微笑んだことだった。


「……学校? 行く必要なんてないよ。どうせ、誰も僕のことなんか覚えてないんだから」


「そんなことないわよ。ほら。こうして私達知り合いになれたんだし」


 優しく微笑む凛。すると、亀戸は目を大きく見開く。


「……だったら、今すぐ僕と会ったこと忘れてもらうから」


 ……瞬間、俺はヤバイと感じた。同時にその場から逃げたいと思ったために、自動的に俺自身の気配は遮断される。


「……あれ? 私、なんでこんなところにいるの?」


 その直後、凛はそんなことを言って、不思議そうな顔で亀戸を見ている。


「え……アナタ……誰?」


 凛が戸惑った表情でそう言うと、亀戸は満足そうにニヤついていた。


「……さぁ? それよりいいのかい? 見ず知らずの人の家にはいるなんて犯罪だよ? 今すぐ出ていかないと通報するから」


 亀戸にそう言われ、凛は怖くなったのか、慌てて部屋から飛び出していった。


 ……なぜ凛は唐突に亀戸のことを忘れた? いや、そもそも、あの様子だと亀戸の家にやってきたことさえ忘れている。


 それこそ、まるで不思議な現象にあったかのように……そう。不思議な現象だ。


 俺は理解した。この現象を起こしたのは間違いなく、凛と直前まで話していた亀戸が原因だと。


 そして、今、俺の目の前にいる亀戸エリカも「思春期症候群」の「発症者」だということを。



 さて……困ったことになった。


 凛は帰ってしまった。そして、部屋には俺だけが残されている。残されているというか……気配を遮断してしまったので、目の前にいる亀戸が気づいていないのだ。


 しかし、まさか亀戸が「症候群」の「発症者」だとは……運が悪いにもほどがある。


 亀戸は俺に気づいていないようである。ベッドの上に座ったまま死んだ魚の眼でぼんやりとしている。


 ……このままじっとしていても仕方がない。俺は行動に出ることにした。


「おい」


 俺の気配遮断は自分の声を出しても解除されない。解除されるのは間違えて空き缶なんかを踏みつけて音を出した時だけだ。


「え……誰?」


 周囲を見回し不安そうな顔をする亀戸。


「船橋だ。お前のクラスメイトだよ。俺も『発症者』なんだ。ちなみにさっき帰っていったやつも『発症者』だぞ」


「『発症者』……じゃあ、君も『思春期症候群』の……」


「ああ。『症候群』の影響で俺は自身の気配が遮断される能力が引き起こされたんだ。で、お前は?」


 俺がそう言うと亀戸は悲しそうに俯いてしまった。


「……いいよ。僕の能力なんて。どうせ、君だって、僕のことなんて忘れちゃうんだから」


「忘れる……ああ。お前が『症候群』によって引き起こされたのは『忘れさせる能力』だな?」


 亀戸は少し驚いた顔をしたが、自嘲気味に微笑んだ。


「ああ。そうだよ……ただ、残念だ。僕の能力は相手のことを認識していないと発動されない……君の姿が見えないから、僕は君に、僕のことを忘れさせられないんだ……いや、別にいいか。どうせ、この能力がなくたって、誰も僕のことを覚えてないんだ……君も帰ってよ。僕のことなんて、どうでもいいだろ?」


 悲しそうにそういう亀戸。なんだろう……少し、俺は共感する部分があった。


 俺自身、気配を遮断できるのは嬉しい側面もある。だが、このまま誰にも永遠に気配を感じられなかったら……と、恐怖を感じることもある。


 もっとも、俺の場合は凛がいるから、それは絶対にあり得ない。だが、亀戸は違う。そういう恐怖が存在している。


 そう考えると俺はなんだか亀戸が可愛そうに思えてきた。


「……なぁ、俺のことを認識できなければ、お前の能力は発動しないんだよな?」


「え……あ、うん……」


「だったら、俺はお前のことを忘れない。少なくとも今は、だ」


「そりゃあ、今はそうかもしれないけど……」


「いや、せっかくここまで来たんだ。俺は仮にこの能力がなくてもお前のことを忘れな――」


 そう言おうとして、亀戸に近づいた瞬間だった。部屋に転がっていたペットボトルを俺はどうやら踏みつけたらしい。グシャッと音がして、俺の能力は解除される。


「あ……」


 俺はそのまま、亀戸の前に姿を現した。亀戸は俺のことをマジマジと見つめている。


「あ……どうも。改めて……よろしく」


 亀戸はジッと俺のことを見ている。不味い、このままでは亀戸の能力が発動されて……


「……本当に、忘れないでいてくれるんだよね?」


 しかし、亀戸は能力を発動させなかった。その代りに、ギリギリ聞き取れる小さな声でそう言った。俺は反射的にうなずいた。


「ああ。まぁ、クラスメイトだし……」


「わかった……僕、亀戸エリカ。よろしくね」


 俺がそう言うと、亀戸は嬉しそうに微笑んだ。引きこもりながら、普通に可愛い笑顔だった。



「……それで、何事もなく帰ってきたって言うわけ?」


 亀戸の家に行った次の日。投稿時に、凛は不機嫌そうな顔で俺にそう言った。


「あ、ああ……なんでそんな怒っているんだ?」


「別に。ただ、幼馴染が帰っちゃったのに、そのまま放置っていうのは、どうなのかな、って思っているだけだけど」


「……悪かったよ。しかし……良かったな、亀戸の能力が一時的なもので」


 実際、翌日会った凛は亀戸の家に行ったことも、自分が唐突にそのことを忘れてしまったことも覚えていた。どうやら、亀戸の能力は時間的な継続性はないらしい。


「そうね。孝雄の話だと、亀戸さんも学校に復帰しそうだし……あ。もしかして、私が孝雄のことを忘れちゃったかもしれないって、不安になったの?」


 嬉しそうな顔でそう言う凛。そんな心配はしていなかったが、少し俺は考え込んでしまう。


 もし、凛が『症候群』によって引き起こされた能力がなかったら、俺は凛にさえも、気づかれることなく、ずっと孤独になる……


 そう考えると、やはり怖くなってしまった。


「どうしたの? 急に黙っちゃって? まさか、図星?」


「違うって……なぁ、凛。その……『思春期症候群』ってなんなんだろうな?」


 俺は唐突に訊ねてしまった。凛は怪訝そうな顔をする。


「なにそれ? 知らないわよ、そんなの」


「……まぁ、そうだよな」


 しかし、凛は少し考え込んでから俺の方を見る。


「そうね……『思春期症候群』は不安定な精神状態によって引き起こされるって聞いたわ。精神が不安定だからじゃない?」


「精神が不安定って……俺はそうかもしれないけど……お前は、不安定なのか?」


 俺がそう言うと凛は首を横にふる。


「別に。不安定ではないわ」


「……だよなぁ。お前、不安定という言葉と無縁そうだもんな」


「でも、不安はあるわ」


 はっきりと、それでいて明確に凛はそう言った。その言葉はなぜか俺の耳に強く響いた。


「……不安?」


「ええ。だって、私達これからどうなるかわからない年頃でしょ。不安はあるに決まっているじゃない。不安を持っていることが不安定だとは言わないけれど、誰しも持っているものじゃないかしら」


 俺は思わず驚いてしまった。凛は結構無神経なタイプと思っていたが、今の発言は、とても思慮深いものに思えたからだ。


「……そうか。なんというか……勉強になった」


「良かったわね。まぁ、私の不安は強いて言うならば、不安定な幼馴染がある日突然どこかに行ってしまうんじゃないか心配……ってところかしら」


 悪戯っぽい笑顔でそういう凛。俺は思わず苦笑いしてしまった。


 「思春期症候群」……未だ謎の多いこの名称と、引き起こされる現象……凛の言葉が正しければ、俺の周りに『発症者』は俺の想像以上にいるのかもしれない。


 確かにそれは異常だ。でも、この空と海に囲まれた美しい街で、俺たちの日常は、そんな異常を内包しつつも、続いていくのだろう……俺はそんなことをなんとなく考えたのだった。

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