第76話 魔界の花園

 美術館まで来てはみたものの、入り口が無い。

 一周してみたが入り口どころか窓さえもないのだ。

 ふと、下天使の事を思い出した。


「俺が天使ならば扱える・・・?」


 いやいや、ヴィシュヌから翼を貰ったからといって所詮人間は人間だ。

 しかし、意に反して本物の天使を欺いたのは確かだ。


「下天使。この中に入れてくれ。」


 ─────しーん・・・。


 だよな。

 途方に暮れて壁に寄り掛かる。

 と、壁がぐにゃりと溶けて俺の身体が壁にめり込んでしまった。

 そのまま倒れ込む。


 目の前に下天使の白い顔がある。


「あ・・・ありがとな。」


 微かに笑った気がしたが、俺が立ち上がる間にもう居なくなっていた。


 外界と隔離された無機質な空間。

 余りの静寂に時間さえも止まっているかの様だ。

 俺が中に入った時に空いた穴はそこにはなく、目の前に一つだけ扉がある。

 ここにセイヴァルが本当にいるのか?

 意を決して扉を開けた。


 目に飛び込んできたのは色取り取りの満開の花だ。

 その甘い香りに噎せ返りそうになる。

 何処までも続く花園にここが室内である事を忘れてしまうとこだった。

 ひらひらと無数の蝶が花の周りで舞っている。

 その内の一羽が俺の頭上に飛んできた。


 ・・・蝶じゃない!?


「ご機嫌よう。天使様。

 きゃっ??」


 飛んでいるそいつを潰さない様に掴んだ。


「妖精?」


 手の平サイズの透き通る華奢な身体に虹色に偏光する薄羽。

 その羽をパタパタさせ驚いた顔で俺を見つめている。


「お前もアエーシュマの収集品なのか?」


「違うわ。私達はお花の管理人よ。」


 特に脅える風でもなく妖精が甲高い声で答えた。

 魔界の花園に妖精の管理人???


「俺と同じ顔の人間がここに来てないか?」


「あなたと同じお顔?」


 妖精は目をクリクリさせて俺を見つめている。


「ごめんなさい。わからないわ。

 ご自分で探してみたらいかが?」


「探すって」


 どこを?

 という言葉を呑み込んだ。

 背の高い草花に埋もれて気付かなかったが、俺の足元に白い彫像が転がっている。

 大きさは赤ん坊位の天使だ。


「起こさないようにそっと探してね?」


 起こさないようにって彫像だろ?

 ひらひらと妖精が俺の手から飛び立った。

 花園の不自然な窪みに近付き、覗くと女の天使が横たわっていた。

 広大な花園に何体の彫像が転がっているのか見当もつかない。

 この中からセイヴァルを探さなきゃいけないのか。



「やれやれ。」


 溜め息混じりの声に振り返るとアエーシュマが腕を組んで立っていた。


「勝手に歩き回るとは・・・礼儀を知らないのか?」


 表情は変わらないのに先刻までとは明白に違うアエーシュマの纏うオーラ。

 それが単純に領域に踏み込まれての感情なのだろうか。

 ピリピリと刺す様な空気を肌に感じる。


「勝手にここに入ったのは謝る。

 でも、俺は弟を探してラグドール国に戻らなきゃならないんだ。」


「そんなに弟に会いたいか?」


 俺に近付くアエーシュマ。

 無意識に俺の足が後退する。

 アエーシュマの言葉を頭の中でもう一度反芻してみる。

 その後でアエーシュマの瞳を見据えて答えた。


「そりゃ、俺の弟だからな。」


 愛すべき俺の片翼。

 今まで口に出して言うことは無かった。

 近くにいても離れていても自分が一人じゃないと安心させてくれる居て当たり前の存在。

 いなくなればこんなにも不安で胸がざわざわして落ち着かないものだとは。


 魔法の素質はない。

 無いからこそ俺の本能が言っている。

『セイヴァルはここにはいない。』


 微かに花が揺れた。


 勝ち誇る様に悠然と笑みを浮かべる悪魔。


 ふと、自分の体が硬直しているのに気が付いた。

 妖しく光るアエーシュマの瞳から逸らすことが出来ない。

 あー、やっぱり俺は彫像にされちゃうのか。

 妖精達は俺達を他所に、忙しく花園を飛び交っている。

 まあ、最初からコイツらに期待はしてないけどよ。

 下天使に助けを求めるか?

 なんて願えばいいんだ?

 俺を助けろ???


 下天使に助けてもらった時、言葉では表せない嫌悪感を感じた。

 何度か見た下天使の顔は虚ろで哀しそうな表情を思い出すと、下天使に頼ってはいけない気がした。


 俺は出来る限りの空気を肺に詰め込んだ。

 そして、声として一気に吐き出す。


「俺はここだぁぁぁーーーー!!!」


 ・・・・ゴゴゴゴゴ・・・


 ドォォーーン!!!


 爆風と共に巻き上げられた土と花がバラバラと体に降り注ぐ。


「ヨル・・・!!」


 掠れた声で銀色の大蛇の名を呼んだ。

 出した事の無い声量に俺の喉が限界だった。


「キャルロット!!

 キミ、ちいさいから見つけるのたいへんだったよ!」


 ヨルがその頭をもたげ、赤い瞳で俺を見下ろす。

 相変わらず体に不釣り合いな声だ。

 ヨルの体からフェンリルが降り立ち、俺とアエーシュマの間に立ちはだかった。


「遅くなってごめん。花の匂いのせいでキミの匂いがわかんなかったんだ。」


「フェンリル。」


 フェンリルが全身の毛を逆立たせアエーシュマに向かって低い唸り声を上げている。

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