第65話 結界の向こう側

 どれくらい気を失っていたのか。


 手足の感覚を確める。

 ────セイヴァル?


 空を掴む右手。


 いつの間に離れてしまったのか。

 自分の身体にどこも異常が無いことを確認して上体を起こした。


 ここは結界の向こう側の世界。

 魔界?

 そんなことより無茶苦茶寒い。

 マントで体をくるんでみたものの、気休め程度に冷気を遮られただけだ。


 全体的に薄暗い石造りの建物内部。所々に備えられた灯りを頼りに辺りを見回した。

 無駄に広い空間に主のいない漆黒の玉座がある。黒い天使を思わせる繊細な細工が施されている。

 こんなに見事な装飾は中々ない。


 立ち上がり玉座に近付いた。

 細工をなぞる指先の感覚から、夢ではないことを悟る。


 ふと、玉座の後ろにある赤色の薄いカーテンの奥から声がした。


「・・・・・。」


 気のせい?

 洞窟で聞こえたあの声の主かもしれない。


 カーテンを捲ると直径1メートルはあるだろうか、赤黒い球体がぶら下がっている。

 黒い糸が無数に張り巡らされ固定されている様は黒い繭の様だ。

 繭の表面は粘膜で覆われているのか、濡れた様に光り、網目状に走る太い血管が一定のリズムで跳ねる。


 繭の中に何かいる。

 この繭は魔物の卵かもしれない。


 背後からの足音に気付き、近くの柱の後ろに隠れた。ズルズルと布擦れの音と杖を突く乾いた音が響く。足音が繭の前でピタリと止んだ。


「・・・起きて。」


 か細い女の声。

 俺に向けられたものではないのは明らかなのだが。

 一ミリもない邪気に、ここが何処なのか一瞬混乱してしまった。

 女が小さく溜め息を吐いた。


「起きていらっしゃるのでしょう?」


「・・・・。」


「お父様?」


「・・・・。」


 返事はない。

 お父様って。あの繭の中に女の父親がいるらしい。

 気配にハッとした。


「・・・・で、貴方はどちら様?」


 足音はなかった。柱の陰から覗き込む女の紅い瞳と視線がぶつかる。

 繭の胎動が自棄にはっきりと聞こえる。

 驚き過ぎて言葉がでない。


「貴方とってもキレイね。」


 女は俺に向かって柔らかく微笑んだ。

 まるで喪服の様なロングの黒いドレス、顔の半分が隠れるレースのついた黒いトーク帽と黒い皮の手袋。

 こいつは魔物なのか?

 生唾を飲み込んでから、意を決して尋ねた。


「・・・ここは魔界なの?おねえさん。」


「おねえさん!!?」


 女が目を丸くした。

 言葉の選択肢を誤ったか?


「なになに!?貴方可愛すぎるんだけど!!?」


 その反応は求めてないんだよな・・・。

 俺が思っているより若いのかもしれない。


「ヘル。うるさ。」


 繭が大きく脈打ち、中から声がした。

 この声は。


 メリメリと耳障りな音をたてながら繭が割ける。


「やっぱり狸寝入り。」


 女が溜め息混じりで呟く。

 いつの間にか俺の腕に女がぴったりとくっついていた。二十歳くらいか?

 俺が見ているのに気づいて女がニコリと微笑んだ。

 化粧とかちゃんとしたら美人だと思う。気のせいか、この女が傍に来てから一層寒くなった気がする。


 真っ二つに割れた繭の中に踞る人間。

 その背中を無言で見つめる俺。

 浅黒い肌。銀色の髪。


 やがてその指先がピクリと動いた。


「お目覚めは如何ですか?」


「やー、寝てた寝てたー。

 封印されてたー。」


「やっぱりお前かよ!?」


 両腕を伸ばして伸びをするルゥ。魔王っていうより、少年のまんまのルゥだ。

 ルゥが暫く俺を見つめてから、首を傾げた。


「誰だっけ?マモン?」


 は?

 マモンこそ誰だよ。


「お父様。ご無沙汰しておりました。」


「ヘルー。良いコにしてたかい?」


「ええ。とっても。」


 女は俺の腕から離れることのないままにルゥに挨拶している。ヘルという名前らしい。

 どう見てもルゥよりヘルの方が年上に見えるが。


「え?なに?まさか、ヘルの恋人???」


「やだ。お父様ったら野暮ですわ。」


「ヘルのお眼鏡に敵うなんてお初じゃない?キミは人間界ミズガルドの人間だよね?名前は?」


 本当に忘れちまったのかよ。

 俺と会ってたのは実体の無い仮の姿らしいから仕方ないのか。


「俺は・・・」


「・・・キャルロット・・・?」


 俺が名乗るより先にルゥが俺の名を呟いた。

 自分で言ったくせにルゥの目が驚いた様に見開いている。


「キャルロット!!

 そうだ!キミはボクの友達だ!

 ボク、君の夢をみてたよ!!」


 ルゥが仁王立ちで俺を指差した。

 聞いてるこっちが恥ずい。


「思い出してもらって光栄なんだけど、何か着たら?」


「あ」


 全裸のルゥはヘルから手渡された毛布を身体に巻き付けて床に座った。

 その毛布いいな。


「で、キャルロットは何でここにいるの?

 死んじゃったの?」


「死んでねーよ。」


 俺はルゥの隣に座って毛布の端を引っ張った。少しでも暖を取りたい。


「ここって魔界なんだよな?」


 ルゥより確実な答えをくれそうなヘルに尋ねる。


「ここは私のお城。死者の国、冥界ヘルヘイムのエーリューズニル城。

 冥界は魔界ニヴルヘイム人間界ミズガルドの間にあるの。」


「死者の国?」


 ヘルの言葉を繰り返した。


「ヘルは死者の国の女王なんだよ。」


「え?俺もしかして死んだ?」


 さっきは死んでないとか言い切ってしまったが、急に自信なくなってきたぞ。

 何回死ぬんだよ。


「貴方は生者よ。

 どうやってここに来られたのかは知らないけど。」


 ヘルが毛布を差し出して言った。

 それを遠慮なく使わせてもらう。


「女の声が聞こえてから、凄い力で引っ張られてここに。

 俺の他にもう一人来てる筈なんだ。」


「女の声?ヘル?」


 ルゥの問い掛けにヘルが首を横に振った。

 確かにヘルの声より年食った感じだった。


魔界ニヴルヘイムに迷いこんでしまったのなら、探すのは少し厄介ね。」


「俺達はその魔界に繋がる結界に吸い込まれたんだけど。」


「・・・。」


「じゃあ、キャルロットが迷いこんだ方なんじゃん。」


「2つの力が働いたのかしら。」


 チラリとルゥを一瞥するヘル。

 俺もそれに倣う。


「そういや、お前、俺の夢みたって言ってたな。」


「夢は夢だよ。」


 冷やかに見つめる俺達の視線を他所にルゥは無邪気にケラケラ笑った。


 と、思ったら突然笑うのをめて項垂れ、人形の様にピクリとも動かなくなった。

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