第56話 運命の歯車

 神殿内部へ向かおうと振り返った。


「ヤバいよなぁ。」


「わっ!!」


 その先にピッテロ様が立っていたので、危うくぶつかるところだった。

 幽霊でも見たかの様な蒼白い顔で何事かを呟いている。


「大神官殿。」


 ピッテロ様はシナノの呼び掛けに僅かに眉を動かしただけで、また思いに耽り始める。


「いやぁ、ホントにヤバイんだよ。

 困ったなぁ。」


「バーゲスト、という者のことがですか?」


 ピッテロ様が顔を上げ、俺達を見る。


「あれ?キャル君にシナちゃん。

 いたの?」


「遅っ。」


 てか、シナちゃんって。


「バーゲスト退治に僕も行かなきゃいけないんだけどね、緊急の用事もできちゃってさ。

 兎に角いろいろ不味いんだよね。

 はー、困った困った。」


 さっきのピッテロ様の表情でヤバいのはわかった。


「差し支え無ければ我等が大神官殿の代わりにバーゲスト退治に参りましょう。役不足とは存じますが。」


「え?本当に!?

 助かるなぁ。」


 出た出た出た。

 こうなったら駄々捏ねても無駄だと悟る。

 俺は長い息を吐いてから、ピッテロ様に向かって俺なりに精一杯の笑顔を向けた。勿論、皮肉もたっぷり込めて。


「ピッテロ様。

 で、俺達は何処に行けばいいんですか?」


「ありがとうキャル君!

 森なんだけどね、神殿から西に行ったところの。そこにウチの別邸があるんだ。」


 初めて魔女と出会い、ロザリオに再会したあの薄暗い森のことだ。あんなとこに別邸を建てるとは。と、思考を巡らすが、今更ピッテロ様及びビアンコ家に関して何の疑問も持つまい。


「ホント迂闊だったと反省すべきなんだけどね。

 あー、ゴメン。もう行かなきゃ。

 詳細はジンに確認して。」


 ピッテロ様はそう言うと、笑顔で手を振りながら足早に神殿の中へと戻っていった。

 困ってるとか言ってた割にたまたま通りかかった俺達にあっさり事を擦り付けるんですね。説明もざっくりし過ぎだし。


「取り敢えず参りましょう。」


 シナノの言葉に頷く。

 カルラは残っているだろうか。

 一応、鳥舎を確認しに向かう。


「クルルっ!!」


「パドマ!」


 パドマがピンク色の羽をバサバサさせて応える。鳥舎に1羽だけ残されていた所をみるとピッテロ様の為に待機していたのだろう。

 如何にも「乗れ」と指図する様に俺達の前に立つアネゴなパドマに促され、その背に乗り込んだ。


 気流に乗ろうと上昇するパドマの背の上でふと、思い出す。

 あの時、ロザリオの見つけた黒い仔犬。

 魔王かもしれないルゥが「ボクの犬」と確かに言ってたじゃないか。バーゲストについての知識はほぼないが、何故俺はあの時もっと疑うことをしなかったんだろう。

 ロザリオは無事なのか?


 ヴィシュヌはあの黒い犬を見て「運命の歯車」がどうのとか言っていた。

 運命。天命。定め。

 誰かの掌の上で転がされている。

 俺達人間はその何者かの創り上げた物語プログラムに導かれるまま抗うことができないのか?


 俺の前にいるシナノは神の気紛れで赤子の時に失う筈だった命を救われ、過激な集団の中で育ち、ワケわからん仙人により再び生き永らえて、更には縁も所縁もない異国ラグドールに連れてこられたのだ。ただの偶然の産物だと言い切れるのか?

 こうなると黄金の国にも面倒な神がいたもんだと、巻き込まれたシナノを憐れむしかない。


 ラグドール皇国に於いてヴィシュヌは最高神という立場だが、俺達にとっては崇拝すべき心の拠り所、願い事を叶えてくれるかもしれない存在、という以外何も求めてはいない。

 が、彼の性質や持て余した無限の時間を考えると、度々子供の悪戯ともいうべき面倒な事象を人間界に起こしていたとしても疑問はない。


「シナノ?」


「何でしょうか。」


 振り返らずにシナノが応えた。

 心なしかパドマの背に乗ることを楽しんでいる様にも見える。


「お前は自分の事を武器だと言ったが、俺達はそうは思わない。」


「・・・。」


「これは俺の命令だ。」


 パドマが降下の体勢に入る。目標を定める様に数秒滞空した。


「俺の為に命を棄てることは決してするな。」


 俺は自分がまだまだ未熟だと自覚している。魔王ルゥと戦うことになればこれから先、命の危険に晒されることがあるだろう。いや、実際に命を落とし兼ねない。

 そして、シナノは主である俺を護る為にその命を惜しまない。


「・・・御意に。」


 この時、何故『俺達』と言わなかったのか。セイヴァルなら同じことをシナノに言っているという慢心があったのだろうか。


 太陽が昇り始め、眼下に広がる森をキラキラと照らす。昨夜の雨粒が反射しているのだろう。


「あそこに見えるは神官殿達ですね。」


「ん?」


 よく見えるな。

 シナノの視線の先を追うが、木々に阻まれて森の中は何も見えない。

 更に言えば遥か空の上。見えたとしても蟻サイズだ。


「キャルロット殿。」


「んあ?」


「某は貴公を羨ましくも思うことがあります。」


「・・・?」


「格式高い家柄に慈愛溢れる御両親。

 そして兄弟が居られる。

 某も貴公の立場であれば、また違った価値観を持ち、更には人生も変わっていたのでしょうね。」


 シナノは男女の双子の片割れらしい。生まれた国が違うだけで俺達の置かれた境遇はこんなにも異なるのか。


「そしたら、俺とお前は出会っていないかもな。」


 数秒、シナノが目を伏せた。


「・・・お先に御免。」


「シナノ!!?」


 手綱を握る俺の前からするりとシナノの身体がすり抜けた。掴まえる余裕もなかった。

 この高さから堕ちたらいかに身軽なシナノでも、一貫の終わりだ。パドマも何が起きたのか判らず戸惑っている。


 ───ま、アイツに心配は無用か。

 一瞬、血の気が引いたがシナノは考えなしに無謀な真似をする奴じゃない。

 と、思いたい。

 妙な術も使えるし。


 シナノを案ずるのはどっかに置いといて、そのまま森に向かい降下するパドマの手綱を握り締めた。

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