第5章

第54話 夜明け前

 未明。いつもの様にラグドール神殿へと通じる街道を馬をひた走らせる。


 先刻前に俺達は、ラグドール皇国の安全神話に亀裂が入った瞬間を見てしまったのかもしれない。


 一つの疑問が浮かび上がる。

 この騒ぎに何故神殿の人間は動かない?

 名目はラグドール大神官ピッテロ様との鬼ごっこだが、妙な胸騒ぎにいつもより早く城を出た。


 兄は兎も角、セイヴァルにはまだ会えていない。神殿から戻ったら直ぐ会いに行こう。

 セイヴァルは俺より繊細だから、きっと要らぬ思案をして落ち込んでいるだろう。俺達は悪魔に唆されたということにすれば少しは罪の意識も軽くなるかもしれない。


「・・・魔族・・・。」


 つい声として言葉が漏れる。

 無邪気に人間を殺したあの時に判っていた。

 浅黒い肌の少年の人を小馬鹿にした微笑みを思い出す。ルゥはやはり魔族だった。

 いつもの様に肝心なことは何も教えてはくれないまま、仲間と思われる牛女と共に俺の目の前で忽然と姿を消した。

 いつだったかルゥは俺と『友達』だと言った。

 ずっとセイヴァルと一緒だったお陰で同年代の友人と言える人間が俺にはいない。

 むず痒いあの感覚は、不覚にも嬉しいとか思ったせいなのかもしれない。


 背後に響く馬の嘶きに振り返った。

 小雨の降る中をセイヴァルの馬がグングン近づいてくるのが見える。

 だが、手綱を握っている人影はセイヴァルではなくシナノだった。


「キャルロット殿。」


「何かあったのか?」


 鬼ごっこに自分も行きたい、って感じじゃないな。顔まで覆う黒い頭巾で表情は見えない。


「セイヴァル殿をお師様の許へ連れていきます。」


「は?」


 コイツはコイツで時折、突拍子もない行動をしようとする。どっちが主かわからん。


「騎士団長殿と奥方様の了承は得ました。」


「今日中に戻ってくる話じゃないってことか?」


「左様。」


 シナノの背中の大剣に目を遣る。

『魔切信濃丸』

 ルゥは神剣だって言っていた。


「単刀直入に申し上げます。セイヴァル殿を救えるのは、お師様しか居りません。」


「?

 どういうことだ?」


「このままではセイヴァル殿の心が壊れます。こうなる前に、もっと早くお師様の所で心身共に鍛練させるべきでした。」


「急に何を言うかと思えば・・・。」


 端と気付く。

 シナノの様子が何時もと違う気がする。

 何事にも動じる事のないコイツに余裕が見られない。アリアの部屋に浸入してきた時からか?


「お前、昨日あの虫を追い掛けてってゴスロリの本体に会ったのか?」


「いいえ。あの虫はコモンドール山脈の辺りで死に絶えました。」


 おいおい、あの時間内に走ってコモンドール山脈まで追い掛けたっていうのか。女神ラクシュミーの力を得たパドマなら可能だろうか。他は賢者か魔術師、神官辺りか。

 コモンドール山脈にはシナノの師匠シャスラーの住まう洞窟がある。


「ちょっと待てよ。

 俺はシャスラーを信用する訳にいかない。

 シャスラーとルゥは顔見知りだからな。」


 あ、でもシャスラーの正体はブラフマーっていう神なんだった。シナノも知ってるのかは確認していない。

 神と悪魔が仲良くしてるとはどういうことだ?


「ルゥとは、昨夜の少年ですね?」


「ああ。」


の少年を味方にするも敵にするも貴公次第。」


「味方に・・・?」


 できんのか???


「まぁその可能性は万に一つも無いでしょうが。」


 何なんだよ。


「俺もシャスラーの所に行く。」


 シナノの瞳が真っ直ぐに俺の目を見ている。


「・・・御意。」


「神殿行った後にな。」


 取り敢えず神殿の様子を軽く探ってからコモンドール山脈に向かえばいい。運が良ければ神殿にいるパドマを借りられるかもしれない。ヴィシュヌから授かった翼が使えれば便利な筈なのだが。ロザリオに再会したあれ以来、何度か試したものの現れる事はなかった。


「お前はセイヴァルと先に行っててもいいんだぞ。」


 何故か俺の後を付いてくるシナノを振り返った。それでもシナノは無言で速度を上げ俺を追い抜く。

 この期に及んで競争かよ・・・。

 シナノに続いて馬を降り、神殿へと続く心臓破りの階段を駆け上がった。


「シナノ。」


 先行するシナノの背中に呼び掛ける。


「・・・余裕ですか。」


 そういう訳じゃないけど。


「お前、何でセイヴァルを止めたんだ?」


「何故、と言われましても」


「本当にたまたま偶然間に合っただけなのか?」


 自分でも何でこんな些細な事が気になったかわからない。これじゃまるでシナノのことを疑っているみたいじゃないか。


「キャルロット殿。」


 立ち止まり此方を見ている。

 怒っているかは判別できない。


「少しは他者を疑うことを憶えた様ですね。」


「お前まで俺を小馬鹿にすんな。」


 シナノがフッと息を洩らした。

 笑ったのか?

 コイツが笑うとこ初めて見たぞ。

 シナノは直ぐに踵を返して階段を上り始めた。


「少し某の話を致しましょう。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る