第52話 堕天使

 俺とセイヴァルは生まれた時から『神の御子』『天使』と謳われてきた。

 騎士の名門ソーヴィニヨン家という裕福な家柄の子息ということもあり、何不自由なく恵まれた環境と他人より優れた容姿、生まれ持った剣の才能。

 正直、チヤホヤされてきた。


 俺達にこんなに敵意を剥き出しにしてくる人間を、俺はコイツ以外知らない。

 当然の如く俺は兄が嫌いだ。


「何が神の御子だ。」


 目を剥いたまま兄が俺達に向かって言い放った。血に塗れながらその息遣いが荒くなる。


「俺はお前達が生まれた瞬間に思ったよ。

『この家に悪魔達がやって来た』とな。」


 まだ5歳だった兄。

 それまでソーヴィニヨン家の嫡男として周囲の愛情を一身に受けてきたものが、見事に引っくり返ってしまったのだから無理もない。

 彼に取っては天地が入れ替わってしまった程の出来事だったのかもしれない。

 が、俺達を恨むのはお門違いも良いところだ。


「可哀想な男ね。ソーヴィニヨン家に生まれなければ違っていたことでしょう。神の御子が弟達でなければもっと貴方が注目の的になり思い通りの人生だった筈。

 弟達がいなければ。」


 ゆっくりと呪文の様に紡がれる魔女の言葉。

 いつの間にか兄の背後にセシリアが立っていた。辛うじて結合した彼女の腕からはまだ血が滴っている。


「そうだ。」


 その言葉に導かれる様に兄の瞳が虚ろになっていく。


「俺は子供の頃からずっとお前等が大嫌いだった。大嫌いだ。

 邪魔ばかりしやがって。ずっと邪魔だった。

 お前等がこの世から居なくなればいいんだ。消えてしまえ。消えろ。

 消えろ。」


 正面から真っ直ぐに向けられた憎悪の念に立ち竦む。

 セシリアが兄の耳元で囁く。


「異国では双子は家を滅ぼす存在として忌み嫌われ殺されるのよ。」


「俺がソーヴィニヨン家を守る。」


 兄が剣を構えた。

 魔女はその後ろで微笑みを浮かべる。


「さぁ、殺しなさい。」


 兄の剣は俺に向くことなく、背後のセシリアの細い首を斬り裂いた。斬り口から噴き出す鮮血。


「・・・セシリア先生・・・。」


 蚊の鳴く様な声に振り返る。

 ヤバい。どうやら香の効果が切れてしまったようだ。顔面蒼白のアリアが両手で口を覆ったままソファの上で固まっている。

 その数歩手前で更に青い顔で突っ立っているセイヴァル。

 ・・・おいおい。


「セイヴァル」


「消えろ!」


 セイヴァルに声を掛けようとしたところを兄の剣が襲ってきた。振り向き様に受ける。

 さっき交えた剣より力が強い。


 崩れる様にセシリアの体が床に倒れるのが視界の隅に映る。

 俺を睨みながら何事かをブツブツと呟く兄。

 恐らく俺達・・・俺への悪口とか言ってるんだろうが、その眼は俺の知っている兄の物では無い。

 根拠のない言い得ぬ不安が胸を襲う。


 コイツは本当に俺の兄なのか?


 剣で兄を押し返し間合いを取る。

 もしかしたら、魔物が兄の姿に化けているのかもしれない。兄の体が魔物に乗っ取られているのかもしれない。

 それなら、俺は目の前の敵を殺しても構わない。殺られる前に殺らなきゃいけない。

 震える手で剣の柄を握り直した。


 何故震えているんだ?

 目の前の兄が魔物かもしれないから?

 いや、目の前にいるのが本物の兄だとしても俺は斬る。

 俺を殺したい程の憎悪の持ち主だ。

 何を遠慮することがある?

 殺らなきゃ殺られる。


 殺れ。




「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛───────────ッッ!!!!」


 突然の悲鳴に似た叫び声に耳を塞ぎたくなるのを抑えた。

 対峙する兄も叫喚の声に顔を歪めている。


 セイヴァルの方を振り向いた。

 いつも穏やかなセイヴァルがこんなに感情を剥き出しにすることがあっただろうか。

 天を仰ぎながら叫ぶその目から止めどなく涙が溢れる。

 俺は赤ん坊の様に全力で泣き叫ぶ姿を茫然と見つめることしかできなかった。


 ふと気付く。

 これは俺の声、俺の姿だ。


 何時の間にか自分の片割れに共鳴していた。

 ずっと一緒だった。

 俺達はこの身体が形成される前、魂だった時から一緒だった。

 成長するにつれてその時間は減っていったけど、いつも傍らに互いの存在を感じていたんだ。


「ーーーーーーーーーーっ!!!」


 兄が何か叫んでいるが俺達の声に掻き消される。

 幼少期の記憶が甦る。

 俺とセイヴァルは2、3歳だろうか。

 今日も兄から虐められて泣いている俺達。兄は慰める筈もあやす筈もなくただ冷やかに見下ろしている。

 その内に我慢の限界に達した兄から更なる罵声と暴力を受けるのだ。


 あの頃から変わっていない。

 何も変わらない。


 俺達はいつだってただ泣き叫ぶことしかできない。


 不意に俺の横を何かが通り抜け、数秒後にそれがセイヴァルだということに気付いた。

 銀色に光るセイヴァルの剣。

 その刃が兄の胸の中心を捕らえていた。先刻、俺が斬り裂いた箇所と重なる。


 セイヴァルがやらなきゃ俺がやっていた。

 俺達は対で一つの存在。

 片翼が無けりゃ翔べない。


 一陣の風。

 背後に感じる気配に俺達はその方向を見遣った。

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