第51話 妄想

 開け放たれた窓から聞こえる激しい雨音。


 兄の白い騎士服が返り血を浴びて赤く染まっている。何で正装が白なのだろう、とか余計な事ばかり頭の中を巡る。


 死を目前にしても不気味に微笑む魔女に違和感を覚える。逃げようという意思さえ見受けられない。この状況下で俺が斬らなくても、兄が斬るだろうが、もしかして、俺達が自分を殺さないという確信があるのかもしれない。

 確率的にはセイヴァルが一番止めてくれそうだが、今はアリアを守ることが優先か。


「兄上、剣をお納め下さい。」


 セイヴァルが泣きそうな声で言った。

 おいおい、なんでお前が泣くんだよ・・・。

 セイヴァルは昔から感受性豊かで他人と同調しやすい。騎士としては・・・命取りだと教えられてきた筈だ。


「何故、愛する人の命を奪わなければいけないのですか?

 兄上はセシリア先生をあんなにも愛していたではないですか!?」


「裏切ったのはこの女だ。

 そして俺を侮辱した。」


「しかし、命まで奪うのは。」


 兄がセシリアからやっと視線を外して、セイヴァルを睨み付けた。

 絶対、セイヴァルに斬らせる気だろ。

 コイツの性格の悪さは筋金入りだ。

 子供の頃から気に入らないことがあって立腹すると、従順なセイヴァルに八つ当たりをするのが習慣化していた。気に入らないことの原因の大半は俺が全く兄の言うことを聞かないっていうことだったりするが。

 同じ顔のセイヴァルを苛めて憂晴らしをしてた様な奴だ。


 セイヴァルにセシリアは斬れない。

 俺は剣を魔女の喉元に突き付けた。


 頭に血が上っている今の兄の心に余裕は見られない。俺達以外の人間が入ってきてくれるのを待ってここは納めて貰おう。

 さて、どうやって時間を稼ぐか。


 てか、この騒ぎにフレドニアはどうして現れない?

 フレドニアの部屋の気配を探るが、さっきから物音ひとつ聞こえないところを見ると・・・。

 ───まさか、な。


「ベルゼっていう名の魔物に心当たりは?」


 魔王の手下か、という質問は上手くはぐらかされた。表情からも真意はわからなかった。

『女は平気で嘘付く』と言ったのはラリーさんだったか。

 況してやこの女に関してはずっと兄を愛している振りをし信じ込ませ、婚約まで漕ぎ着けた魔女だ。しかし、幾ら結婚願望強い男とはいえ、何度も失敗してんだからいい加減女に耐性付きそうだけどな。


「ベルゼ?蝿の王のことかしら?」


 ベルゼ・・・。蝿の王ベルゼブブ!

 子供の頃読んだ異国の本にそんな悪魔がいたっけ。

 あの本の挿絵とベルゼの姿がかけ離れすぎて全く結び付かなかったが、蝿の王とはアイツにピッタリだ。羽虫の大半は黒やギラギラした蝿だったし。ベルゼの分身を手引きして城の内部に侵入させたのはセシリアかもしれない。


「仲間なのか?」


「違うわ。」


 俺を見上げて微笑むセシリア。

 ・・・・わかんねぇ。


「早く殺れ。」


 明白に苛立ちを見せる兄。

 うぜぇ。少し黙らせるか?

 魔物に襲われたていってことで誤魔化せないだろうか。

 こんな時、シナノがいてくれたらサクッと眠らせてくれるんだろうな。あれから結構時間経ってるが、アイツ何処まで追いかけてったんだ?

 地獄の果てとか嬉々として行きそうだし。


 いかんいかん。思考がすっかり脱線してしまった。


「お前はいつもそうやって俺を馬鹿にしやがって。」


 案の定、兄のコメカミに青筋が浮かび上がり、ギリギリと歯軋りまで聞こえてきた。

 別に兄を虚仮にしている訳ではないのだが、昔から彼はそう思い込んできたらしい。

 無言でその顔を見つめていると、とうとう我慢の限界が訪れた兄が舌打ちをした。


「お前はっ!!」


 兄の殺意が俺に向いた。

 幾らボンクラでも自分の技量は判っている筈なのだろうが、俺に向けて剣を振り下ろしてきた。それを軽く迎え討つ。

 意図せず時間稼ぎの切っ掛けになったということなら、暫く相手をしてやるか。ダガーで戦っても負ける気はしないが流石にそれは兄の沽券に関わる。


 頭が沸騰した奴の攻撃は単調だ。ただ、力だけは何時もの数倍は発揮しているせいで、まともに受け続けると此方の武器が使い物にならなくなる。最小限の動きで相手の攻撃を受け流す。

 益々動きが大きくなると、息が上がり体力の消耗も激しくなりやがて疲労のピークがくる。


 兄の額に汗が滲むのが見える。

 その必死な形相から繰り出される剣を受けながら、自分の中に苛立ちとは違う別の感情が芽生えてくる。

 俺には勝てる筈がないのに無謀とも思える戦いを続ける兄を憐れにさえ思えてきた。


 ───せめていっそのこと楽にしてやろうか。


 そう俺が心に浮かべた瞬間、兄が後方に飛び退いた。

 無意識に視線だけが兄の急所を追っていたのかもしれない。俺も兄も本能がそうさせたかの様に思えた。

 俺が確実に外し、兄が躱した筈の俺の攻撃。


 あれは本当にイメージだったか?


 向かい合う兄が己の胸に手を当てた。その裂けた服の辺りがみるみる血で染まっていく。


「兄上!!」


 セイヴァルが兄の元に駆け寄ろうとした。


「近寄るな!」


 大きく見開いた兄の瞳が俺とセイヴァルを捉える。


「お前達は不幸を招く魔物だ。」


 呪いの呪詛を唱える様に兄が低い声で呟いた。

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