第36話 不幸を司る女神

「まあ、不幸とは己基準の問題だからな。」


 自分の白い髭を撫でながらシャスラーが言った。


「己の顔に痘痕あばたができたことを苦とも思わぬ者もおれば、不幸だと嘆く者もいる。

 天変地異が起これば多くの者にとっての危機的災難を、力の見せ所や金儲けの好機だと俄然張り切る者もいる。」


 何となくわかったような・・・。

 兎に角、アラクシュミーがいると何かしらの善からぬ事が起こるってことだ。


「近頃は神界で穏やかに暮らされていたと思っていたが、仲の良い姉妹故にラクシュミー様を追って来たのだろうか。」


 俺は世界樹の根元に腰を下ろした。

 それなら俺の出番はない。

 ラクシュミーに全て任せて神界に連れ帰って貰えばいいんだ。


「あ。」


 シャスラーが小さく声をあげた。


「洞窟が占拠されてしまった。」


 は?

 ここから洞窟見えねぇけど。


「ネェちゃんも行くぞ。」


「俺、濡れるのヤだ。」


 洞窟に行くには泉を渡らなければならない。パドマも戻ってくる気配もない。


「我が儘な奴だ。」


 そう言ってシャスラーは泉に手を翳した。そして、見る間に凍っていく水面を進んでいく。

 お、スゲェ。

 俺は身体を起こして、キラキラと青白く光る水面を眺めた。

 やっぱ魔法っていいな。

 恐る恐る爪先で水面を突付いて完全に凍っているのを確認した。


「早く渡らぬと溶けるぞ。」


 渡り終えたシャスラーがこちらを振り返って言った。


「うっそ!」


 魔法の効果は長くない。

 焦りながらも脱兎の如く泉を走りきった俺。


「嘘だ。」


「おい。」


「そう言わぬと永遠にチョンチョンしてそうだったからな。」


 チョンチョンって何だよ。

 足早に洞窟に向かうシャスラーの後ろを付いていく。

 洞窟が占拠されていると言っていた割りに、外観には何ら変わりはない。至って不気味な洞窟だ。


「いやあああー!!!」


 洞窟の奥から響く女の悲鳴。

 早速、災難にでも遭ったか?


「ラクシュミー様の声だ。

 御身に何かあったのかもしれんな!!

 こうしちゃ居られん!急ぐぞ!」


 言うや否や洞窟の中に向かって疾走するシャスラー。

 心なしか嬉しそうに見えたが。まさかこの期に及んで手柄を立てて株を上げようとか考えてねーよな?

 俺を置いてあっという間に見えなくなってしまったシャスラーを足許に気を付けながら追う。こんなゴツゴツした岩の上で転んだら血塗れ決定だ。それもある意味不幸か?


「フアアアアーーー!!!」


 何!?シャスラーの悲鳴?

 曲がりくねった洞窟のシャスラーと初めて出会った場所に辿り着く。弱火に焚べられた寸胴鍋の前に蹲るラクシュミーとシャスラーの姿が目に入った。


 何があったんだ!?

 まあ、この場合当然ラクシュミーに駆け寄って微かに震えている体を起こす。

 ラクシュミーは顔を両手で覆ったまま俯いている。


「・・・妾の・・・妾の顔が・・・。」


「顔?痛いのか?」


 こわっ。何?

 顔だけ化け物にされたとか?


「其方には見せられぬ。この様な醜い顔など。」


 醜い顔になることがラクシュミーにとっての不幸ってことか?

 妹でも神相手でも容赦ないらしい。

 どんな風に醜くされてるのか、怖いもの見たさで確かめたくなった俺。

 ラクシュミーの手を掴む。


「無体な。」


「絶対、驚かないって約束する。」


 面白い顔だったら笑うけどな。

 俯いたまま手を離したその顔を覗き込んだ。


「・・・・。」


「どうじゃ?醜いであろう?」


「全っ然、変わりないんだけど。」


「嘘を申すな。

 妾は立ち直れぬ程、心が傷付いておるのだ。見よ。烏の爪跡じゃ。」


 ラクシュミーが自分の顔の目尻辺りを指差す。カラスのツメアト?

 何もない。更に言うなら焚き火だけが光源の洞窟の中じゃ暗くて見えない。


「綺麗な顔だけど?」


「!!」


 目を見開き顔を指差したまま固まるラクシュミー。口がポカンと開いてるが、美の女神と自負しといてその顔は無いだろ。

 ラクシュミーは問題ない。シャスラーは・・・放っておこう。

 所でアラクシュミーは?

 見渡すと奥の暗がり、結界のある方に人影。

 アラクシュミー?

 目を凝らす。


「キャルロット。」


 ん?

 俺の袖を引っ張るラクシュミーを見た。

 何故か頬を赤く染めて潤んだ瞳で見つめている。


「もう一度、先の言葉を聞かせて給う。」


 何だっけ。

 てか、それどころじゃなくないか?


「妾の顔が」


「ああ、綺麗。」


「はうっ!」


 ラクシュミーが何かに射たれた様に胸を押さえる。

 病気になる不幸でも与えられたか?神なのに?


「・・・其方の賛辞は破壊力半端ではないの・・・。」


「ラクシュミー様!!?

 貴方様の美しさを称える賛辞ならば我が如何いかなる時でも幾らでも述べましょう!」


 倒れていたシャスラーが凄い勢いで匍匐前進したまま俺達の方に近付いてきた。


「其の方の世辞など聞き飽きたぞ。」


 ラクシュミーがツンとしてそっぽを向く。

 てか、シャスラーの白い髭が・・・。

 俺の視線に気付き、シャスラーは慌ててその髭を両手で隠した。

 直毛だった髭がチリチリになっていたのだ。


「我の自慢の髭がこの様な不幸に見舞われるとは・・・・無念。」


「剃った方がいいぞ。それ。」


「良い機会ではないか。妾は髭が嫌いじゃ。」


「ええ!?」


 ラクシュミーの言葉にシャスラーが愕然とした表情になった。

 ヴィシュヌも同じこと言ってたな。

 流石、夫婦だけある。

 俺は再び結界の方向へと視線を移した。

 さっきの人影がない。


「おい、アラクシュミーは?」


「まさか、姉様・・・結界の中へ?」


「え?結界の中って入れんの!?

 魔界に通じてるんじゃないの?」


 自分の意思で入ったのか、引摺り込まれたのか定かじゃないが、この洞窟の結界のある空間の先に逃げ道はない。と、なるとそういうことになる。

 厄介なことにならなきゃいいが・・・。

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