第23話 蜥蜴

 ラグドール皇国内に魔界との亀裂を防ぐ結界があちらこちらに多数ある。殆どが大昔に神官が作った物らしいが、こんな山奥にまであったとは。

 その魔法陣からズルリと這い出たのは、蜥蜴みたいなヤツだった。大きさは2.5メートル位はあるだろうか、地面に這いつくばったままでこちらの様子を窺っている。

 俺とセイヴァルが同時に剣に手をやった。

 シャスラーは蜥蜴には目もくれず黙々と肉を食っている。


 正直にいうと、魔物を見るのは初めてだ。

 ラグドールで滅多に見ることのない魔物は、大抵が出没した瞬間に神官がやっつけてしまうからだ。アイツらは直ぐに浄化するから俺達が魔物の死骸すらも目にすることはない。


 蜥蜴がゆっくり2本足で立ち上がり、右手に握られたでっかい斧を構えた。こちらに一歩近付く蜥蜴。

 セイヴァルと顔を見合わせて斬りかかるタイミングを見計らった。


「案ずるな。」


 シャスラーが低い声で言った。

 俺達は体勢を変えずに目線だけを一度シャスラーに向ける。

 瞬間。また一歩こちらに歩みを進めた蜥蜴が雷に打たれた様にバリバリっと身を震わせた。


「奴等にも学習能力というものがあるらしい。

 3年前は秒と待たずに飛び出してきたのに、今では数時間に1体しか出なくなったからな。」


 少し焦げた蜥蜴が切り倒された大木の様に地面に崩れ落ちた。まだ電流の名残りを残しピクリとも動かない蜥蜴。


「魔法ですか?」


 セイヴァルがシャスラーに尋ねたが、シャスラーが他の魔法使いがするように手を翳したり、呪文を唱える素振りは全くなかった。


「まぁ平たく言えば結界か。」


「結界?」


「我の周りの一定距離内で、我に敵意を向ける者に罰が下る。

 ネェちゃん達が我に仇なす者でなくて良かったな。」


 俺はラグドールに伝わる魔法書を穴が空く程隅々まで何度も読み込んだ。が、魔法書の何処にもそんな記述は無かった筈だ。


「アナタはもしかして・・・。」


 呪術師。

 魔法と呪術は似て非なる物らしい。

 魔法は素質が無ければ使えないが、呪術であれば俺の様に魔法の素質が無い者でも使える。呪術に必要なのは『念の力』であり、それを修得するには並々ならぬ苦行に耐えなければならない。悪魔払いや病気を治す等の善行もしていたらしいが、多くの人々が呪術師に求めたのは他人を呪い、貶める事だった。

 魔法使いや神官を光とするならば、呪術師は影。


 その昔、当時のラグドールの大皇が即位する度に呪術師の力で次々に暗殺される事態が起きた。そして起きたのが大規模な呪術師狩りだ。

 もうラグドール皇国に呪術師はいないと思っていたが・・・。


「我は呪術も使えるが、魔術も使える。

 極東の国では我を仙人と呼んだか。」


「仙人・・・。」


 ヤベェ。

 なに?この人。

 俺とセイヴァルは顔を見合わせた。

 セイヴァルの瞳が益々キラッキラで瞳孔が開きまくっているが、多分にして俺も同じ表情になっていることだろう。

 視線をシャスラーに戻すと、そこにいるはずのシャスラーが居なかった。さっき黒焦げにした蜥蜴の解体をしている。

 そういや、さっきの鍋の中身が魔法陣から出てくるって言ってたけど、もしかしてコイツか?


「お手伝いします!」


 セイヴァルが懐からダガーを取り出して蜥蜴に駆け寄った。セイヴァルもソイツが食料だと認識したらしい。


「初めて食べたけど、魔物って食べられるんですね!?」


「煮込めば食える。」


「焼く方が簡単そうですけど?」


「筋肉の塊だからスジっぽい。燻製にしても美味いぞ。」


 ・・・意外にグルメだな。

 サクサクと解体していく二人を眺めてから、俺は結界に近付いた。地面に円をいくつも描いた図形に古代文字が複雑に絡み合っている。足で踏み荒らせば簡単に消えそうだ。


「古い結界には亀裂が生じる。」


 シャスラーの言葉に俺は振り返った。

 長年かけてできた小さな亀裂から魔物が出入りしてるということか。神官達の仕事の中で結界の見回りがある筈だが、ここは彼等に忘れられた結界?

 まぁ、塞がれたらシャスラーの食料は手に入らなくなってしまうわけだ。

 シャスラーとセイヴァルがぶつ切りになった蜥蜴を寸胴に放り込み、また火に焚べた。


「シャスラーさんはコモンドール山脈に来る前はどちらにいたんですか?

 極東と言うとシャーペイ辺りでしょうか。」


「シャーペイにも長く居たが、その先の東の海を渡った『黄金の国』と呼ばれる島国にも居たぞ。」


 ええっ!?


「カルラで行ったんですか?」


「いや?馬とか船とか。」


 修行の為なのだろうか。

 それとも単なる放浪の旅?

 何にしてもシャスラーからは色んな話が聞けそうだ。彼の機嫌にも寄るだろうけど。


「お師様。」


 俺達がここに来た方向の暗がりに黒い人影がある。

 大きさ的に俺より小柄な印象から明らかに子供だ。


「戻ったか。」


 音もなくこちらに近づいて来る人影は、焚き火の明かりに照らされるにつれ姿を現す。頭から爪先まで全身を黒に包んだ子供。隙間から覗いた眼光がやけに鋭いのは、俺達に警戒しているのだろう。


「紹介しよう。シナノだ。

 シナノは黄金の国の人間だ。」


「・・・・。」


 シナノは俺達に軽く頭を下げて、シャスラーの眼前で片膝をついた。そして、背負っていた大きな四角い箱を彼に差しだす。


「このネェちゃん達はこの山にいるという神を探しているそうだ。」


「神?」


 シナノが俺達を交互に見た。


「お前はどう見解する?」


「我が祖国では八百万やおろずの神が居られ、あらゆるモノに神が宿ると謂われておりますが、果たして山の神とはその山に生命を持つ植物、大樹に居られることが多いかと。」


 シャスラーの問い掛けに淡々と答えるシナノ。


「じゃ、このネェちゃん達をそこまで案内せよ。」


「・・・・御意ぎょい。」


 要らんこと言ってしまった、というシナノの心の声が聞こえた気がした。

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