04*仮面の神ニギハヤヒ

***

 森が開け、上空を飛んでる烏が見える。

 飛んでる烏は眼下の熊野の山に横たわるカラス衆の骸を見てる。

 骸を、暗い闇と黒い霧が隠す。熊野の山神は戦を嫌うためか、骸を忌むためか、または烏から守るためか、闇と霧は戦場に広がる。かすか息のあるツクヨミの周囲だけが、わずか明るく、頭上を黄蝶が舞い、死にいざさう。闇と霧は少しずつツクヨミににじりよる。

『姫、姫。いま、使い烏を飛ばしました』

 トミビコはツクヨミの手を握る。

『クマノの山神よ、いましばらく姫を隠さないでいただきたい。連れていかないでいただきたい。姫は国ツ神、中ツ国になくてならない存在でございます』

 トミビコの手がツクヨミに解かれる。

『……ワ、ワタシは、だ、大丈夫だ。……だからトミビコ、あ、天ツ軍を追え』

『ひ、姫』

『……め、命令だ。ヤ、ヤマトを、中ツ国を、ま、守れ……』


 陣幕を剣で撥ねあげ、進むスサノヲ。追うオオクニヌシ。風が吹き、雨が降る。

『大軍将はオオクニ、オマエだッ。任せたッ』

『クエビコのいうとおり、いま、へたに動くと……』

 東の動揺が、善戦中の西に伝わり、戦意を削がしたくない。スサノヲに堪えてもらいたい。スサノヲの性格を知るオオクニヌシは必死に縋る。しかし武神スサノヲの力に敵わず、暴風雨の中をズルズルと引き摺られる。

『ヘタに?へたに動くとどうなるというん……』

 振り返り、オオクニヌシに問うたとき。

『な、なにッ。西で、う、うらぎりがあったと、いうのか?』

 陣幕からのクエビコの叫ぶ声がスサノヲの言葉を制する。戻るオオクニヌシ。

『どういうことですか?』

 オオクニヌシが促す。

『だれがうらぎったんだ?』

 スサノヲが訊す。

『わ、わからない。しかし、せ、戦況は芳しくない……』


 3羽目の使い烏は、西の軍の負戦の報せ。

『西の軍将コトシロヌシ様が降伏を申しでました』

『笑える。と、とても笑える。西は返忠、ひ、東は奇襲。どちらも勝機を前に、なぜか計るように、負ける。いや、あ、天ツ軍が諮ったのかな?』

『コトシロが言うならばしかたがない』

 オオクニヌシが肩をおとす。

『うらぎりで負けたんだぞ。しかたがないといえるのかッ』

 スサノヲは憤る。風が荒れ、周囲の陣幕が風で煽られる。

『おちつけ、ス、スサノヲ。敵と戦う前に、オ、オマエに殺される』

 クエビコが諌める。

『スサノヲ様は独り戦っても勝てるかもしれない。しかし神威の弱い国ツ神は助け合い、戦わなければ勝てないのです。軍形が乱れてしまった。コトシロも悔しいでしょう。しかし戦を続けると、もっと戦況は悪くなります。コトシロの判断は正しい』

『み、身内贔屓にとられる発言は、やめたほうがいい。そ、それに、いつもコトシロの判断が正しいと、か、限らない。ぐ、軍将として……』

『クエビコ殿の言うとおりでございます』

 陣幕を上げ、トミビコが鬼気のある声を放つ。

『東の軍は、オオクニヌシ殿に任せてましたが、本来、ヤマト国はワタシの領地。ワタシが守るべき国でございます。東の軍は、まだまだ戦えます』

『戦い急ぐな、トミビコ、まずは戦況を知れ、戦場を見ろ』

『そんな弱気な軍将に率いられましたら、勝てる戦も勝てません。姫も、ワタシに戦えと命じました。オオクニヌシ殿、東の軍将はワタシが務めます』

 幕外に言い放つ。

『本陣をミワに移す。トミビコ軍はヤマト国に戻る。ニギハヤヒに報せろ』


 トミビコは東の軍を智略に長ける出雲神に任せ、みずからは戦場で戦うことを望んだ。自軍をふたつに分け、前陣をトミビコが、後陣となる大和国三輪を弟神ニギハヤヒが率いた。三輪は古(イニシエ)の山神を祀る三輪山の麓にあり、大和国の祭事と政事(マツリゴト)の中心。ニギハヤヒは天ツ神だったが、義兄弟の契(チギリ)を交わし、ともに国を守ろうと誓った。

 出雲国にワカヒコという天ツ神がいる。オオクニヌシと義親子の契を交わし、出雲国を守るために、西の軍で天ツ軍と戦ってる。

 トミビコは、オオクニヌシにワカヒコのことを聞くたびに羨ましいと思った。頑固な性格ゆえに一族に疎まれたじぶんを、ニギハヤヒは兄神と慕ってくれた。

 オオクニヌシに対する嫉妬と焦燥。混沌とした感情がトミビコを動かした。


 忍坂に軍を残し、トミビコは三輪のニギハヤヒ軍に居る。

『姫……。ヤマト国は絶対に守ります。この戦は絶対に勝ちます』

 掌のツクヨミの血痕を見つめる。黒色に変わってる。黒穢は死穢。強く握りしめる。

 紀伊国熊野の上陸、行軍を許した天ツ軍に対し、大和国は、東の軍の、西の軍の降伏後の国ツ軍の最終防衛戦線となる。


『戦に勝ち、ヤマト国を守りましたら姫は助かります』

 トミビコは、三輪山の山神に誓(ウケイ)をたてる。


『兄神ィ、話がある』

 陣幕をあげ、ニギハヤヒが現れる。赤色の武具を纏い、仮面で顔を隠す。

『あいかわらずハデな身なりだな』

 強ばった体をほぐすため、肩を回す。

『兄神こそ、ボロボロだなァ。替えたらどうだァ』

『いや、姫の仇をとるまで替えない』

 立ち上がり、ニギハヤヒの肩を叩き、前を歩く。

『西の軍も敗れェ、東の軍もオオクニヌシ、シキヒコ、兄神の軍だけ。オレはァ、天ツ軍にヤマトを献じ、無血降伏を申し……』

『ダメだ。ヤマト国はワタシが造った国。天ツ神に決して渡さない』

 振り向かず、じぶんに言い聞かせるようにニギハヤヒの言葉を遮る。個人的感情もあるが、大和国、中ツ国を守るために、天ツ軍と戦ってる。国ツ軍の軍将として戦い抜かなければならない。

『……そうか。ならばァ兄神……』

 ニギハヤヒは剣を構え、トミビコの口を手で塞ぎ、ゆっくりと剣をトミビコの背に刺す。

 トミビコは振り向き、ニギハヤヒの顔を見る。仮面で目は見えないが、口角をあげてる。そしてじぶんの胸を見る。剣は体を貫いてる。血で手が赤く濡れてる。

『正しい判断のできないィ軍将の下で戦えない』

 力が抜け、屈するトミビコ。ニギハヤヒは剣を抜き、血を振り落とす。

『なぜ……』

 去っていくニギハヤヒを、朦朧としながら見つめるトミビコ。

『ひ、姫。約束を、……ヤマト国を守れませ……申しわけございません……』

 トミビコは赤く染まった視界をゆっくりと閉じる。


 ニギハヤヒは、幕外で待ってる同じく赤色の武具を纏い、仮面で顔を隠す女神に、血のついた剣を渡す。ニギハヤヒ軍の前に立つ。

『聞けェ。トミビコはァオレサマに東の軍将を命じたァ』

 右手を高く掲げる。鬨が響き渡る。鬨を聴きながら、隣の女神を見やる。

『ニギハヤヒ様……』

 女神が拭った剣を渡す。

『違うゥニウ。オレサマは国ツ大神、いやァ、国照大神(クニテラスオオカミ)だァ』

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