03*オオクニヌシの誤算

***

 南北に生駒山地と金剛山地。生駒山地と金剛山地の間に流れる大和川を、西側の河内国から東側の大和国へと遡り、竜田川と合わさった処、竜田に国ツ軍が東の本陣を構えてる。

 スサノヲが本陣に着いたときは夕刻を過ぎてた。戯言が考えつかず、足踏で遅れてしまった。

 稜に沈む陽を眺める。篝火が点され、スサノヲの横顔を照らす。軍議を終えたオオクニヌシが近づく。拳を合わせ、再会を喜ぶ。

『兄神はどこだ?あっちこっち探したんだが』

『ツクヨミ様はワタクシの軍とカラス衆を率い、カワチのトミビコの処に行かれました』

『そうか、残念だな。……ということは、今頃はカワチで宴か、羨ましい』

『いえ、宵のうち、トミビコはヤマトに戻し、ツクヨミ様はキイのナグサに動いていただきます。たぶん天ツ軍は東の海に廻りましょう』

『ナグサか。天ツ軍を迎える最高の戦場(イクサバ)だな』

『キイを知り尽くしたツクヨミ様に敵うものはないでしょう』


 天ツ軍は、難波ノ海(大阪湾)、難波江、草香江(河内湖)を渡り、河内国草香で上り、まずは竜田道を越えて大和国に攻め入ろうと謀ったが、道は狭く険しく諦めた。つぎに生駒山を越えて攻め入ろうと謀った。しかし生駒山の孔舍衞坂でトミビコ軍に阻まれた。

 河内国からの進軍を諦めた天ツ軍は紀伊水道を通り、紀伊半島を廻り、紀伊国からの進軍を謀る。東の軍師クエビコは、ツクヨミ軍を紀伊国名草に動かす。


***

 昼。ドアチャイム。

 朦朧とした頭を振り、ドアを開けると、隣室の眼鏡好男子が立ってる。

「どうぞ」

 初めて男子をへやに入れる。昨晩は入れたわけでない。

 チェストの上でキューピーちゃんは寝てる。時々、寝がえる。もう、私が居ようと居まいと、気づこうと気づかまいと、自由気儘。裸で寒かろうと手ぬぐいを掛けてあげたら、剥がされた。


 私は眠れるはずなく、スマホでオオクニヌシとスクナヒコと、ツクヨミのことを調べた。

 オオクニヌシとスクナヒコは葦原ノ中ツ国を造った国ツ神とか、天ツ神に国を譲ったとか。ツクヨミは、イザナギに夜ノ食ス国を治めるように命じられた後は出ないとか。まあ、出ないから、調べられない。

『じゃ、オオクニヌシ、眼鏡で画像検索』

 スマホを片手に、私はにやつきながら疑問点と質問順をノートに書き、オオクニヌシさんを待った。あるんだ、眼鏡好男子の画像。


「昨晩は申しわけございませんでした」

 座るなり、オオクニヌシさんは深々と頭を下げる。

「い、いえ、こちらこそ、助けていただいてありがとうございます」

 昨日の検索画像を思いだし、オオクニヌシさんの顔が見られない。

「いえ、ツクヨミ様を守るのがワタクシの務め。当然です」

 私の態度をかんちがいしたのか、ますますと畏まったオオクニヌシさんは、立ちあがり、キューピーちゃんを叩き起こす。そして隣に座らせ、床に着くくらいに頭を下げる。私は頭をあげるように頼む。

「ワタクシの名はオオクニヌシ。この人形はスクナヒコと申します。スクナヒコは神霊のみの存在となり、憑代がないと居られません」

 そのへんは聞いた。

「スクナヒコの嫌疑で、思わず、ドアチャイムを押してしまいました」

 ああ、なるほど。

 でも、オオクニヌシさん、昨晩の態度と、ずいぶんと違うよね。

「昨晩、ツクヨミ様を襲ったのは物ノ怪と申します。夜ノ国へ祓われた穢れや禍いが、物ノ霊と合わさり、悪しき物に化しました」

「夜ノ国?物ノ霊?」

「葦原ノ中ツ国は人の居る昼ノ国と、神の隠れる夜ノ国に別けられました。人の言う現世(ウツシヨ)、隠世(カクシヨ)です。物ノ霊は精霊。全ての物の霊。神霊、人霊と同じです」

「で、でも、今まで、今の今まで現れたことないよ」

「キイ、今の和歌山ですが、あちらに居られたときはクエビコやトミビコも居ましたので」

 まだ、ニューキャラが出るのか。

「こちらに越されたとき、空室が1室だけで、とりあえずワタクシが越してきました。ツクヨミ様の行動範囲が、ここと学校と、近所だけとわかり、ならばワタクシだけで充分と思い……」

 現れなかったのは、私の行動範囲が狭かったからと言いたいのか。

「しかし世界の変化は思ってたより大きくなってました」

「世界の変化って?」

「わかりません。ただ、なにかしらの事象により、世界に変化が起き、神域のみで交わってた昼ノ国と夜ノ国の境界があやふやとなりました。神域外で物ノ怪が現れたとなると……」

「でも、なんで私の処に?」

「ツクヨミ様の弱いながらも神威に惹き寄せられたのでしょう」

「私のせい?ツクヨミという自覚というか、記憶というか、まったくないんだけど」

「わかってます。これまでは陰で守ってましたが、これからは傍で守ります。御安心を」

 だったら、もっと早く物ノ怪が現れないように、私が襲われないように守ってほしかった。物ノ怪に襲われなかったら、私がツクヨミという設定も知ることもない。物語が始まることもない。たぶん始まるだろう過酷な物語や、たぶん知るだろう悲惨な設定もなく、『今晩も肉じゃがね』というくらいの、4コママンガのネタくらいの人生を楽しんでた。なのに、なんで?

「なるほど。オオクニヌシさんがひとりで充分と思ったから、こうなった。いわゆる、誤算」


***

『スサノヲ様、ツクヨミ様がッ』

『なんだ、なにがあった』

 朝の支度中のスサノヲは呼ばれ、顔をあげる。

 吉報を聞けると思い、幕を上げ、呑気に聞く。


 4羽の使い烏が、国ツ軍の負戦を報せる。


 数日前。軍議は揉めてた。

 ツクヨミからの1羽目の使い烏は、天ツ軍の進軍の報せ。

『な、なぜ、キノ川を遡らなかった。なぜ、け、険しいキイの山々を、登るんだ』

 天ツ軍は紀伊国の紀ノ川を遡って大和国に攻め入ると考えた。河口の名草にツクヨミ軍を動かし、本陣も大和国長柄に移すつもりだった。先の戦と同じく上陸地に前陣を隠し、国境の麓に本陣を構えるつもりだった。長柄は南方に紀伊国との国境となる紀伊山地、西方に和泉国との国堺となる金剛山地、東方に伊勢国との国境となる高見山地に囲まれた南北に長い大和(奈良)盆地の南端にある。大和国に進むなら、必ず、ここを通らなければならなかった。

 紀伊国(木国)は国名のとおり木と山の国。平地は紀ノ川だけ。他の川は紀伊山地を蛇のように流れ、軍船は通れない。故に水軍を率いる天ツ軍は紀ノ川を遡るしかない。事実、天ツ軍は名草に寄り、戦死者を葬った。しかし早々に紀ノ川を下り、更に紀伊半島を南に廻り、熊野(熊野国)で軍船を捨てた。そして山に入った。山に入られると、行軍がわからなくなる。

『か、河童が、キ、キイの山々を越えられるのか?』

 紀伊山地は修練を積んだカラス衆も迷う。先の河内国草香の戦といい、戦術が稚拙。稚拙ゆえにクエビコを悩ませた。

『ほ、ほんとうにツクシの最強のクメ水軍か?……の、脳髄が弱いのか?』

『クエビコ、どうしますか。今からツクヨミ様をクマノに……』

『ツ、ツクヨミだけなら、翔べるが、ぐ、軍がクマノに着く頃は、天ツ軍は山の中だ』

 ツクヨミ軍は金剛山地、和泉山地に沿い、天ツ軍を遠目で見ながら進んでた。船足は速く、追いつけなかった。急ぎ、クエビコはトミビコ軍で山戦に強い一軍を熊野に動かした。


 そして今朝の2羽目の使い烏は、ツクヨミ軍の全滅の報せ。

『兄神になにがあった?』

 軍議中の陣幕に駆けよる。

 陣中がスサノヲを見る。いつも涼やかな顔が、赤らんでる。

『奇襲です。ワタクシの誤算です。トミビコが向かってます』

 オオクニヌシが頭を下げる。

『いいッ。オレが行くッ。オレが兄神を守るッ』

 激高に応じるように突風で陣幕が捲り上がる。

『ス、スサノヲは動くな。トミビコに、ま、任せたほうがいい』

 クエビコが制する。

『だまれッ、カカシ。兄神を守れないならば、大軍将にならん』


 ツクヨミは天ツ軍の名草から熊野への進軍を本陣に報せ、カラス衆を連れ、船足よりも速く熊野に動いた。熊野古道・紀伊路を走った。

 そして。

『来い、天ツ神』

 ツクヨミは天ツ軍の上陸地を定め、隠れた。

 熊野の海岸は熊野灘といわれ、礫浜で、岩礁、暗礁が多い。慣れないと操船にとまどう。最強のクメ水軍といえど軍船を着けてから山に入るまでの間が襲撃の好機。

『少数だが、勝てる』


***

 夜。ドアチャイム。

 いまだ朦朧とした頭を振り、ドアを開けると、眼鏡をかけてないオオクニヌシさんが立ってる。にこやかに手を振る。

「ハーイ、クエビコとトミビコを連れて来たよ」

「姫、トミビコでございます。御無事でなによりで……」

 ヨロヨロと、いまにも倒れそうな神様が、担いでた十字架をドアに立てかけ、私の手を握る。荊冠を着けたら、どこかの神様みたい。

「ぶ、武神が、泣くな」

 ボロボロで、いまにも崩れそうな十字架が喋る。

「ワタシが御傍にいなかったばかりに申しわけございません」

 ポロシャツにジャケットとチノパン。全身筋肉痛で、時々、辛そうな吐息を洩らす。昨日のゴルフでちょっとはしゃいだた感じ。

「とりあえず、どうぞ」


 ひとり暮らしの女子のへやに、眼鏡をかけてないオオクニヌシさんと、トミビコさんと、キューピーちゃん(スクナヒコさん)と……。

「カカシですか?」

 チェストに立てかけた十字架(クエビコさん)がいる。

「そ、そうだ」

 キューピーちゃんは喋らないが、十字架、改めてカカシは喋る。布で作った顔に、マジックでへのへのもへじと書かれてる。口の処のへの字が喋ってる。昔は蓑と笠、今は古着と麦藁帽子が定番と思ってたが、体は竹を十字に結わえただけ。東京(の隣の埼玉)に持ってくるとき、じゃまなので外したらしい。シュール。

「ツクヨミというよりドロシーの気分」

「ハハ、うまいこと言うな、オマエ」

 肩を引き寄せられる。な、なんだ。オオクニヌシさんが馴れ馴れしい。なんかへんだ。

「あの、オオクニヌシさん、さっきと、なんか違いませんか?」

 すっと避ける。

「なンか違うかな?オレ、がんばってオオクニヌシっぽく喋ってンぞ」

「いまはナムヂ殿でございます」

 トミビコさんが答える。

「オオクニヌシ殿は死んだり甦ったりされたため、いつものオオクニヌシ殿のときと、ナムヂ殿のときと、シコヲ殿のときと、あ、あまり現れない、ウツシ殿の……ハァハァ、め、めんどうな体になってしまわれました」

 長台詞に倒れそうなトミビコさん。大丈夫か?

「つまり多重人格ということ?」

「そ、そうだ」

 崩れそうなクエビコさんが言う。こっちも大丈夫か?

「それでオオクニヌシさんはどうしたの?」

 私の顎に指を添え、顔を近づけ、オオクニヌシ(ナムヂ)さんは言う。

「そうだな。オマエの一言で傷ついたンじゃない?」

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