第113話 けついー
「ぶったな!親父にも殴られたことがないのに!」
「………今、それを言う必要があったか?」
律義にもそう返してくれたシンは、私を殴った金髪の男を蹴倒し、そして捕縛した。いや、ほら、こういうときくらいしか言えないじゃん?
殴られた右ほおを抑え、私は立ち上がる。まだ多少痛いけれども、中級ポーションを飲んだおかげで動けないほどではなくなった。
「冗談冗談……。で?何の用?」
「貴様が我々に……」
「私は、ジャックに……そこのフードをかぶった男に声をかけたから、あなたたちには何も言っていないのだけれども?」
私がそう言うと、男が私を睨みつける。だけれども、シンに取り押さえられている現状だと一ミリも怖くない。
地面に押し付けられたその男を無視し、私はシンに声をかける。
「で、ジャック。そいつらに何を言っても話を聞かないから意味がない。こっちに来る人が怪我をしない程度に配慮して、私たちの作業に戻ろう。」
「……ああ。わかった。それと、護衛なのにもかかわらず、こいつの攻撃を許した。本当に申し訳ない。」
「気にしないでよ、挑発したのは私なわけだし。」
私が右手を軽く振ると、シンは男を拘束していた手を放し、こちらに歩み寄って来る。立ち上がろうとする男に、私は言う。
「正直、女性の顔を何の躊躇もなく殴るとかどうかしていると思う。でも、私たちには時間がないの。だから、これ以上は私たちに関わってこないで。私も関わらないから。」
「……!」
男は何かを言おうとしたが、やめたらしい。口を閉じて天使のそばへと戻っていった。あー、怖かった。
そのあとは彼らから離れ、私たちも薬を配るのを手伝い、その日中に薬を配るのを終えた。晩御飯前までは入院している人々の分の食事をつくるのを手伝う。
元貴族の別荘ということもあり、厨房は設備が整っていた。薪割りでは一ミリも手伝いをできないことは昨日学習したため、料理を手伝うことにしたのだ。
大きな鍋の中に切り刻んだ野菜と肉片を入れ、牛乳と小麦粉で煮込む。今日はいわゆるホワイトシチューだ。あとは大きなかまどで大量の無発酵パンを焼き上げ、配膳する。食材は領主提供だ。
味を調えるのに使うのは、例の如くコショウに味と風味のよく似た野草。しっかり乾燥させてから料理に入れる。味見をしても特に違和感はない。
「おばさん、これで大丈夫ですか?」
「ええ。いい風味ね。配膳もユリィと一緒に頼むわ。」
「はーい。」
おばさんにチェックをしてもらってから、配膳用の大きなワゴンにシチューの鍋を乗せ、ユリィ……ロゼの村からついてきてくれた若い女性とともにシチューを配る。
ここにいる人々はかなり体調が悪い人ばかりだ。むしろ、軽症の貴族はお帰り願った(シンが)。口に巻いたマスク代わりの白い布をきつく結びなおしてから、私は重傷者が眠る部屋の扉を押し開ける。
装飾品の施された重い扉の隙間から、病気に侵された人々のすえた臭いが漏れ出す。彼らは、中級万能薬では治すことのできなかった合併症を負った人々だ。
口をぐっと横に閉じる。
彼らは、今の私では助けられない可能性が高い。上級万能薬の材料は手に入っておらず、さらに、それらの材料は高級すぎて手が出せないのだ。
でも、不安に思わせてはいかない。助けるのだ。絶対に。
「……今日の晩御飯はシチューです!私が作ったので味は保証されません!」
「ははは、そうかいお嬢ちゃん!」
「ふふっ、ありがとうね!」
柔らかい笑みを浮かべ、私たちを迎え入れるおじいさんやお姉さん。彼らは『神の試練』によって体を蝕まれたせいで力なさそうにベッドに横たわっていた。
悲しい顔をしてはいけない。
憐れんではいけない。
彼らを助けるのだ。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうねぇ。フードのお嬢ちゃん。」
すっかり白髪になってしまったおばあさんが、私にお礼を言ってシチューとパンの乗った木皿を受け取る。そして、ポンポンと頭を撫でた。
体温の低い、力の弱い撫で方。
出そうになる声を噛み殺し、こぼれそうな涙をこらえる。
__不甲斐ない。私に、もっとMPがあれば。MP代用ができれば。材料を使わずに上級万能薬が作れるのに……!
笑顔を必死になって浮かべ、私の頭を撫でたおばあさんに言う。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。元気になってね!」
できるだけ明るい声をあげる。できるだけ明るくふるまう。
二日も働き続けた。疲れているし、何ならおなかもすいている。MPを使いすぎたせいで頭も痛いし、気分も悪い。
でも、元気づけなきゃ。治療する私が悲しい顔をしていたら、彼らはもっと悲しいし、絶望する。それは、だめだ。いやだ。
絶望させない。悲しい思いをさせない。不安にさせたくない。
そうするために、私は笑った。
「おいしく食べてください!」
一人一人にできるだけ声をかけてから、私はフードを外して笑顔を見せる。隣に立っていたユリィが息をのんだことに気が付く。
そりゃそうか。マスクも外しちゃったし。
でも、笑顔を見せないと。安心させないと。
無力な私にできるのは、それだけだ。
赤い瞳と白い髪の毛を見たベッドの上の彼らは、一瞬だけ驚いたような表情を見せるが、少ししてから私に笑顔を返した。
「ああ、いっぱい食べて、すぐに元気になるよ。」
「あなたも、頑張って。」
「ありがとう。」
笑顔をうかべ、こみ上げた感情を飲み下す。
分厚い扉をユリィが閉じたのを確認してから、私はユリィに謝る。
「ごめん、ちょっと、配る分の薬をつくってくるね。」
嘘だ。薬はもう、アレドニアの街の薬師が作れるようになった。だから、作らなくたっていいのだ。
だけれども、ユリィは気を使ってくれたらしい。重たいワゴンをおして、軽症者の眠る部屋へと移動していった。
私は、人気のない廊下を歩き、初日に比べればずいぶん人の少なくなった下の広間を通り抜けてから別荘の外に出た。
外は、そろそろ冬に近づこうとしているのか、涼しい風が吹いていた。澄み渡った夜空には雲一つなく、満天の星が一面に広がっていた。
日本にいたころのように、家々の明かりが邪魔をしない夜空は、まさに宝石箱をひっくり返したような輝きだった。
きらきら、きらきらと瞬く星を茫然と見つめていると、唐突に星が歪んだ。
いや、星が歪んだのではない。視界が歪んだのだ。
目からこぼれた涙が頬を伝う。嗚咽がこみ上げる。
「なんで、私のステータスは低いの……?何で私じゃあ彼らを救えないの……?」
弱い。よわい。私は、無力だ。
はたはたと涙が地面に落ちる。屋敷の前に突っ立ったまま、私は夜空を睨んだ。
「絶対に、家に帰る。元の世界に戻る!」
みんなで。クラスの皆で。私は。
そのためには、探さなくてはならない。家に帰る方法を。
当てなどない。正直、帰れるかどうかすらも怪しい。
でも、帰るのだ。
「だから、強くなる。誰も、欠かさずに日本に帰るために……!」
私じゃあ力不足なのはわかっている。でも、だからこそ、力をつけなくてはいけない。私は、天を睨みつけた。
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