9.選択の結末

 「勝負あった、な」


 姿勢を戻し、ニィ、と歯を見せて笑うヒドゥン。


「これで……」


 善夜にトドメを刺そうとするように無数の鎖を蓄えた腕を振りかぶり……


「…………ん? ――!!」


 ――ある場所から漏れ出し漂うアニマが視界に入ったところで、彼は異変に気付いたようだった。


「しまっ……」


 構わず身を翻し、駆け出すヒドゥン。

 その先にはソファー――に、突き立てられた剣の欠片。切り口からはアニマのような黒いモヤが、風船から抜ける空気のように勢いよく噴出している。その流れが激しすぎるのか、ソファーは今にも破裂しそうな様子だった。


「やめろおおおお!!!!!」


 悲鳴に近い叫び声と共に、ヒドゥンは床を蹴りつつ精一杯腕を伸ばすけれど、彼の手が届く前に。

 ソファーはその傷口から真っ二つに弾け破れ、爆風のように広がり充満するアニマによって、すぐに見えなくなった。 

 これで善夜は、オフィサーから託された使命を果たした……


 ……――のだろうか?


 視界はゼロだし、身動きは取れないまま。目的は果たせたけれど、不安は消えない。――と、


「――っうぐ……あ……」


 突然だった。彼女を戒めている鎖が一層強く締まったのは。喋ることはおろか、息もほとんどできない。

 アニマのモヤの中から現れたのは、顔に何の感情も張り付けていない――ヒドゥンだった。

 怒りを通り越した時になる、あの表情である。手にはいつの間にか、善夜を締め付けているのであろう鎖の束が握られていた。


「お前……やってくれたな……?」


 口調は静かだけれど、ますます締め付けられる鎖が彼の怒りの大きさを表している。

 骨の、軋む音まで聞こえてきた。


「俺の『貯蓄』が台無しだ。領域に投資したかったのに。思う存分楽して暮らせると思ったのに……」


 ズルして貯めたくせに何を偉そうに。……と、話せる状況だったら言ってやるのだが。


「――俺の夢が全部パアだ!」


 ヒドゥンの怒りがついに爆発した。


「簡単には死なせねぇ……――全部、この場で弁償してもらうからな!!」


 恐ろしいセリフと共に、ガッ!と鎖の束の1本を引っ張ろうとした、その時。


 硬い金属音が、消えゆく意識の中に響いた。


 同時に体の鎖が緩み、解放された善夜はそのまま床に崩れる。

 不足していた空気を急いで取り込むように、口を大きく開けて何度も呼吸をする。

 視界には白黒チェックのカーペットに突いた自分の両手と切断された鎖――そして、見覚えのある黒い靴のつま先。


「オフィサー……さん……!」

「ご苦労様でした。やれば出来るようですね」


 呼吸を整えつつ見上げて嬉しそうに呼びかける彼女に、黒靴の主・オフィサーは手を差し伸べながら、いつもの無機質な口調で答える。

 彼は、『以前の姿』に戻っていた。

 変わらない表情のお陰で、褒められた嬉しさも8割減ではあるが。


「だいぶ命の危険に晒されましたけどね!」

「死に至らなくて幸いです」


 手を取って立ち上がる際に放った彼女の皮肉を一言で簡単に流しつつ。


「そしてあなたも――非常に惜しかったですね」


 次の言葉を彼――目を見開き呆然と立ち尽くすヒドゥンへ向けて投げかける。


「お前……最初から……『これ』を……!?」

「善夜さんから相当アニマを巻き上げていたようなので、『隠し場所』を感知するのにさほど時間は掛かりませんでした」


 未だ放心状態から抜け出せていないのか、ポツリポツリと真相を尋ねる彼に淡々と答えるオフィサー。


 そう、彼らがヒドゥンの領域に来た理由とは、その貯蓄を「いただきます」することでオフィサーを復活させることだった。

 

 本人曰く『犯罪が露見次第その人物の口座は凍結されますので、彼は全財産を領域内に保管しているはず』とのこと。

 善夜ら人間がしばしば銀行や金庫を利用するように、魔人社会にもどうやら銀行や金庫的なものがあるらしかった。


「――というわけですので、緊急措置としてあなたがコツコツと貯めてきた『不法収入』を少々頂きました」

「ふざけんな!!」


 オフィサーのこの発言によってようやくスイッチが入ったのか、ヒドゥンは怒りの形相を浮かべて喚き散らす。


「何が少々だ!! 全財産ごっそり没収しやがって……!!」


 見ると、少ししぼんだソファー――アニマ保管庫の裂けた所が赤い札のようなものでペタペタと塞がれていた。札に印字された魔界文字(?)には、きっと『差し押さえ』という意味でもあるのだろう。

「資格外活動で得た利益の所有権は暫定的に政府に移ります」


(それにしても……犯罪者にも丁寧に理由を説明してくれるオフィサーさんって、意外といい人なのかもしれない)


 ――と、善夜はそんな彼を眺めながら密かに感心していた。


『――それでは』


 感心していたら、いつの間にか剣に姿を変えたオフィサーが彼女の右手にあった。


『改めて、公務執行に入ります』

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