8.選択の向こう

  家々の屋根を、張り巡らされた鎖を、あるいは電線を利用して、2人はとにかく上へ向かった。

 

 ――善夜の発していた負の感情・アニマが流れていく先を目指して。


 そこへ下方から飛んでくる鎖。それをオフィサー剣が文字通り――身を削って弾き返す。

 再度契約はしたものの、ダメージの肩代わりが無効になっているため衝撃が直接彼女に伝わってくる。腕が痺れるほど重くて、痛い。


「オフィサーさん……!?」


 翼を広げたまま空中で停止する鳩の群れの1羽に着地し黒い魔剣の安否を確認すると、刀身が先ほどよりも更に大きく欠けて、ナイフ程のサイズになっていた。


「そんな状態で逃げられるとでも思ってんのか?」


 ヒドゥンの嘲る声が聞こえると同時に次の攻撃が襲い来る。

 これ以上彼に頼れば……


『私を気遣っている暇はありません……早くあの鉄塔に……』

「気遣います!」


 善夜は敢えて命令に違反し、体勢が崩れるのを利用して鎖を回避。その拍子に今乗っている鳩から足を踏み外すも、群れの中の別の鳩に引っかかり、すぐに立て直す。


 私にも頭脳プレー(?)ができた……!!


 数十センチとはいえ落ちた衝撃の痛みに耐えながらも感動に沈み――込む寸前で、善夜は何とか我に返り、


「オフィサーさん、頑張ってください! もうすぐゴールですからね……!」


 急いで命令に戻って、鳩の群れを前方――負の感情を取り込んでいる、虚空に浮かぶ真っ黒な『丸』に向かって突き進む。


 それは球体なのか穴なのか、それとも他の何かなのか。


 正体不明な物体に対する恐怖は感じるものの、オフィサー曰くこれが『唯一の活路』である、この状況を抜け出すのに他の選択肢は無い。

 善夜は意を決して先頭の鳩の背中を蹴って、謎の『黒丸』――ヒドゥンの領域に向かって大きくジャンプした。


「うぶっ……」


 『黒丸』にぶつかると同時に激しい目眩に見舞われ目が開けられない。ゆっくりと何かに埋まっていく感覚が数瞬続いた後、不意にどこか開けた場所に着地したように、体が何かの上に降り立った。


 そこは部屋だった。

 大きさは学校の教室くらい。

 コンクリート質の真っ赤な壁に白黒チェックのカーペット、その上に置かれた真っ赤な革製の1人掛けソファー、雰囲気のある薄暗い裸電球の照明――時々雑誌のページで見かけるロックテイストな(?)部屋。

 ……持ち主の趣味――魔界にも『ロックテイスト』があるのだろうか。

 脳内によぎりかけたそれらの不必要な疑問を慌てて振り払い、気を引き締める善夜。『目的地』には着いたが、『目的』を果たすまでは気を抜けない。


「オフィサーさん、『あれ』はどこですか?」

『今……探しています……』


 息も絶え絶え答える彼。あと一撃当たったら、おそらくは……

 いつ襲い来るかもわからない鎖(または本体)に怯えながら待つことしばし。


『……把握しました。狙いは……』

「――!? ……わかりました!」


 彼の示した『探しもの』の予想外の在処に驚きながらも、希望が見えたことに対して気持ちが明るくなったのも束の間、


『……それでは、あとは頼みます』

「――? それってどういう……」


 突然の言葉に思わず聞き返しそうとする前に、オフィサー剣が彼女の右手を引っ張るようにして刀身を素早く顔の前にかざし――硬い音を立てて砕け散る。

見ると、剣に弾かれた鎖が虚空へ消えていくところだった。


「オフィサーさん!!」


 攻撃をもろに受けた彼は、善夜の手の中で小さな小さな欠片となっていた。


『私は……ここまでです……』

「そんなっ……! オフィサーさんがいなかったら、私はどうしたら……」


 善夜の抱く不安と絶望に呼応して負の感情が湧き出るも、彼が通常どおり戦えるほど回復するには到底足りない。


『……あなたが諦めなければ……私は、必ず…………』


 言葉は、ここで途絶えた。


「……オフィサーさん? オフィサーさ……」


 その呼びかけを妨げたのは、領域の壁という壁から現れた鎖だった。為す術もなくあっという間に絡め取られ、彼女は身動きの取れない状態に陥る。


「まさか自分からやられに来てくれるなんてな」


 いつの間にか、ヒドゥンが背後に立って薄笑いを浮かべていた。


人間お前にはわからねーだろうけど、領域は魔人の分身。罠でも何でも、俺の意のままに発動できるんだよ」

「……分身のサイズがワンルーム……」


 ドヤ顔見せつけられて、思わず本音が出てしまった。


「黙れ!! 領域≪こっち≫に使うアニマが無かったんだよ!」


 痛いところを突っ込まれたのか、一瞬余裕が消えるヒドゥン。しかしすぐに我に返り、


「自分の立場をわかってねーらしいな……」


 口角を引き上げながら、篭手を纏った手をギュッと握る。


「あぐっ……」


 それに呼応するかのように善夜に絡まった鎖がぎゅううっと締まり、呼吸が苦しくなる。

 体中に力を入れ、何とか体を動かしてみる彼女。動かせるのは――鎖の戒めのない指先のみ。


「う……はぁっ……っ……」


 この試みで体力をだいぶ消耗してしまい、心拍数が一気に跳ね上がった。


 このままじゃ……――でも……!


 一瞬このまま薄れ行く意識に身を委ねたい衝動に駆られるも、善夜はオフィサーの欠片を握りしめる痛みで、意識を引き戻し――


「――!」


 微かな『感触』を感じながら、『目標』を見据える。


「何だその目は」


 その視線に気付いたヒドゥンが気に入らなさそうに睨み返す。


「諦めろ、そいつはもう……」

「まだ……です……」


 掠れる声を絞り出し、彼女はキッパリと答える。そして、


「やっと……『自分』で決め……たんだから……!」


 今自分に残された全ての力を指先に込めて、オフィサーの欠片をヒドゥン目がけて押し出すように投げ放つ。


「なっ……!?」


 予想外の速度で飛来する剣の欠片に、目を見張るヒドゥン。

 あの時――善夜がオフィサーの欠片を握りしめた時。

 彼女は微かに感じていたのだ。欠片が指先に絡みつく感覚を。


 それはすなわち――オフィサーとの契約がまだ終わっていない証。


 彼は力を極力抑えつつ善夜の動きに合わせて『命令』を下し、この瞬間を待っていたのだ。


 ――彼女が、諦めることなく抵抗する瞬間を。


 投げ放たれたオフィサーの欠片は真っ直ぐにヒドゥンの額目がけて進み――


「あぶねっ」


 ――軽く避けられ、その先のソファーに突き刺さった。

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