6.オーバードーズ

 「ぐあぁっ!」


 地面に倒れたのはヒドゥンのほうだった。

 あの瞬間、オフィサーは善夜のために反応が遅れたにもかかわらず。

 その遅延を上回る速度で一閃。ヒドゥンの鎖を腕ごと斬り落としてしていた。

 切断された腕は地面に落ちる前に黒いアニマとなり、オフィサー剣が吸収。それを糧としたのか、刀身に走っていた僅かなヒビが塞がれていく。


「ああっ! 俺の腕!!」

『回復されては困りますので』


 抗議しようとするヒドゥンに善夜を通して黒い剣が突きつけられ、彼は反射的に尻もちをつく。


「ま、待てっ……!!」


 しかし、窮地に追い込まれながらもヒドゥンは引きつった笑みを浮かべ、


「俺と組まねーか!? あんたと俺で荒稼ぎするんだ! 地道に働くよりずっといいぞ、な?」


 しぶとく交渉を始めた。


「まずはこいつをぶっ殺して手続きを――痛ぇっ」

『――大人しく帰還しますか』


 当然ながら彼の提案に耳を傾けることなく、刃をヒドゥンの首筋に食い込ませると、オフィサー剣は静かに問うた。


『それともこのまま、実体で留まれないほどに身体を削りますか』


 ただどちらを選ぶかを尋ねているような、何の感情も込められていない口調なのだが、行動と内容は怖い。

 しかし、善夜はその緊迫した状況に固まってる場合ではなかった。


 ――彼に、確認しないと……!


「わかった!! 貯めたやつは全部やる! そんで今からは真っ当にやってくから、今回だけは……」

「――どうして……?」


 なおも食い下がるヒドゥンに向かって、善夜が口を開く。


「約束が……違うじゃないですか……!!」


 言葉に出した途端にこみ上げてくる感情を何とか抑え、問いただす。


 ただ、自分を見てくれる人が欲しかった。

 気分を害さないように、何を言われても黙って聞いた。

 好きになってくれるように、頼まれたことは何でもやった。

 見てもらえるように、何をされても全部笑って受け入れた。

 それでも全部ダメだった。だから……


「――はっ、人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよ」


 オフィサーの剣を警戒しながらも、ヒドゥンは開き直ったようなふてぶてしい笑みで善夜を見上げ、


「契約通り――ちゃんと『繋いで』『人気者』にしてやったじゃねーか」

「なっ……」

『騙されたのですよ』


 その答えに呆然とする彼女に、オフィサーが事実を告げる。


『彼の真の目的は『永住権』の取得。 それには招聘人の魂が必須なのです』

「人間界≪ここ≫は好きなだけ稼げるからな。 どうだ、少しは考え直す気に……」

『あなたもあなたです』


 ヒドゥンの甘い言葉に耳を貸すことなくオフィサーは続ける。


『そのようなくだらない理由で彼の招聘を申請するとは……』

「――くだらなくなんかない!!」


 気がつくと善夜は感情のままに叫んでいた。


「私にとっては…………っ……!」


 体から真っ黒なアニマが大量に放出されているが、今の彼女にとってそんなことはどうでも良かった。

 溢れる涙で視界が滲み、声が嗚咽で飲み込まれそうになりながらも、善夜は更に声を張り上げた。


「愛されたいと願うことって、そんなにいけないことですか!?」


 次の瞬間。

 氷の割れるような音と共に、黒い魔剣に大きな亀裂が無数に入った。

 その隙間という隙間からアニマが勢いよく溢れ――切断されたヒドゥンの腕の傷口に収束し、瞬く間に失われた彼の腕が復元される。


「形勢逆転だ!!」


 何が起こったのか尋ねる間もなく。素早く飛び退くと同時にヒドゥンの放った数条の鎖が善夜を貫いた。


「オフィサーさん!!?」


 代行者の損害を肩代わりし砕け散った剣の名前を呼ぶ彼女。


「はははははははは!!!」


 思いも寄らぬ展開に歓喜の声を上げるヒドゥン。


「美味かったぜお前の『苦痛』!!」


 指を曲げ伸ばししながら、再生したばかりの腕の感触を確かめつつ、ヒドゥンは着地した鎖の上から善夜達を見下ろす。


『オーバードーズ……アニマの過剰流入が引き起こす身体の崩壊です……まさか、あなたのアニマ放出量が私の許容を上回るとは……』


 善夜の手の中で答える剣の声に、力はない。


「そんな……」

『そして……法定ダメージ蓄積量を超過した場合、代行者への負担を肩代わりすることができなくなるため、一旦契約が破棄されます』

「――! あ……」


 この時になり、善夜はようやく自分の体が自由に動くことに気がついた。


「これで終わりだ!」


 オフィサーの保護を失い、完全に無防備になった彼女にヒドゥンの放った鎖が迫り来る。


「……!!」


 足がすくみ動くことができない善夜は、オフィサー剣を胸に抱きしめたまま目を閉じた。


 瞬間、手の中で何かが消えた。


 続いて聞こえたのは、鎖が何かに激しく突き刺さったような硬い音。

 恐る恐る目を開けると。

 そこには彼女に代わり、鎖攻撃を一身に受け止めた『何者か』の後ろ姿があった。

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