5.疑惑

 『――12時の方向へ走ります』

「えっ……」


 不意に浮かんだ『漠然とした不安』の是非を確認する間もなく。剣と化したオフィサーによって半ば引きずられるように走らされる善夜。

 向かう先から迫ってくる幾条もの鎖を、彼女の右腕を支配した『オフィサー剣』が目にも止まらぬ速さで片っ端から弾き飛ばしていく。


「ぃやああああああああ!!!」


 息つく暇なく繰り返される攻防に、彼女の口からは絶叫しか出て来ない。


「待ってっ……止まってください……っ!!」


 必死に懇願するも、公務を執行することしか考えていないであろうオフィサーが聞き入れるわけもなく、


『真上に跳びます』

「っ……」


 強引に腕を引っぱり上げられ、善夜は反射的に地を蹴るためにつま先に力を込める――が、寸前のところで我に返り、


「――やらないって、言ってるじゃないですか!!」


 その込めた力を彼の示した『真上』ではなく、『真後ろ』に向けて放つ。

 これでいったん止まって落ち着けば、話を聞いてくれるかも……と、思いきや。


「――ぇぇええええええええ!!!?」


 まさかのまさか。後ろに、もの凄く飛んだ。

 さっきみたいにコテン、と転がっておいて話を聞いてもらうつもりだったのだが……。

 それと入れ違う形で、さっきまで彼女が居た場所に様々な方向から飛んできた鎖が殺到するのが見えた。


 ――もしかして、自分の動きに合わせて命令内容を変えることで、行動不能を回避したのだろうか。


「――あうっ……」


 飛びながらぼーっとそんな推理をしていたら、背中から何かにブチ当たって止まった。

 壁か何かだろうとタカをくくった善夜が振り向いてみると、


「っぎゃあああああああああああ!!!!??」


 今回最大の絶叫が響き渡った。


 ――彼女の胸の真ん中から、手が突き出ていた。


 服装と手の形からして、男子児童が友達か誰かに『待てよ~!』って腕を伸ばしてたところに刺さったようである。

 出血はないようだが、ダメージを肩代わりされているということは。


「……オフィサーさん?」


 善夜は恐る恐る、その相手に呼びかける。


「大丈夫ですか……?」

「――さっさと死なねーからこんな面倒に巻き込まれるんだぞ」


 答えたのは、目の前に着地したヒドゥンだった。彼は薄笑いを浮かべた顔をグイ、と彼女に近づけて尋ねた。


「それとも、まだ期待してんのか?」

「!!」


 その言葉で。

 善夜の抱いていた『漠然とした不安』が、明確に肯定された。

 ショックに固まる彼女を現実に引き戻したのは、ヒドゥン目がけて半円を描くような黒い影の一閃。


「ぅおっと……!」


 善夜の右手にぶら下がっていた黒い剣の横薙ぎがヒドゥンを後方の鎖へと飛び退かせる。

 よく見ると、刀身に小さなヒビが入っていて、そこから一筋の靄――アニマが流れ出していた。


「あのっ……」

『この程度の損傷で私は消滅しません』


 彼女が安否を問う前に答えると、


『追撃します。 走ってください』


 続けざまにそう命令し、オフィサー剣は自らを勢いよく後ろの男子児童に突き立て、その反動で『串刺し状態』から脱出。

 善夜を引っ張って強制的に従わせた。


 「考えてみろ」


 鎖を放って迎撃しつつ、彼女に呼びかけてくるヒドゥン。


「誰かに命令されれば何でもやってきたのに、どうして誰もお前を見ない? どうしてお前は捨てられた?」

「――……!」

『聞く耳を持ってはいけません』


 善夜をなだめつつ、オフィサーは飛んできた鎖の一本をヒドゥンに向かって撃ち返すも、その鎖は彼に到達する前に止まる。

 忠誠を誓った主人の下へ帰るように。

 帰ってきた鎖を篭手に収めながら、ヒドゥンははっきりと言った。


「答えは簡単だ。 ――お前は生きてる価値すらない、下らない存在なんだよ」


 その決定的な言葉についに善夜の足が止まる。命令外行動としてその場に崩れなかったのは、オフィサーが先ほどのようにとっさに命令を彼女の動きに合わせて命令を変更したのだろう。

 しかし、一瞬でも隙が生まれたのは事実。


「もらったぁ!!」


 そこをヒドゥンが見逃すはずはなく、無数の鎖を従えて善夜達へと殺到した。

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