4.公務開始

 放たれた数条の長い鎖が蛇のようにうねり、放置されたままの段ボール箱や動かないクラスメート達の合間を縫って、様々な方向から襲いかかってくる。

 しかし。


『人間界で言う『負の感情』は、我々の世界では『アニマ』と言われておりまして……』

「はあ……」


 再び剣の姿となって彼女の右腕に宿ったオフィサーは流れるような剣捌きで片っ端から弾き、あるいはいなしたりしながら。


『我々にとっては身体を構成・維持する『糧』であり、取引きに使う『金銭』でもあるのです』


 役人が来訪者相手にいつもの決まったセリフを並べるような口調で淀みなく。


『つまり彼は、不法な方法で人間≪あなた≫を不幸に陥れることによって生じる『怒り』や『悲しみ』といった負の感情を搾取し、所得を得ているというわけです』

「あの……こんな状況で説明されても全然頭に入らないんですけど……すみません……」


 蕩々と解説をする『オフィサー剣』に、申し訳なさを込めてツッコミを入れる善夜。

 とは言うものの、その黒い剣が安定してヒドゥンの攻撃を捌き続けていることと、鎖を弾く際の衝撃が何故か全く善夜に伝わってこないお陰で、彼女は何とか冷静さを保っていられた。衝撃音から察するに、鎖の威力はかなり強そうだが……善夜にとっては何とも不思議な感覚だった。


「くそっ! 少しは当たりやがれ血税泥棒の公僕がぁっ!!」


 時折、ヒドゥンの苛ついた罵声が聞こえてくる。


『代行業務に不満がおありのようなので、不法滞在者取締りの重要性を説いて差し上げています』

「だからって、何で私がやらなきゃいけないんですか……!?」

『単なる食事や金儲けで死ぬなんて、馬鹿馬鹿しいとは思いませんか? それにあなたの魂を得ることができれば……』

「別にいいです」


 オフィサーが言い終わる前に、彼女は結論を述べた。自分を見ることすらしない友人や知人――見たことのない家族を思い浮かべながら。


「要らないなら、居ても無意味じゃないですか。 だったら私……」


 胸の奥が締め付けられると同時に、真っ黒な『靄』が体から流れ出る。


『――これがアニマです』

「あ、これが……」


 もやの正体が判明して多少はスッキリした善夜であったが、彼から話を振った挙げ句、その流れをぶった切ってお知らせしてくることには憤りを覚えた。


『――そろそろ攻勢に転じます』

「あの、少しは話を聞いて……」

『公務執行に入ります』


 問答無用にそう宣言し、『オフィサー剣』は善夜に命令を下す。


『右斜め前へ跳んで下さい』

「はっ、はいっ……」


 普段から命令され慣れているせいか、急に指令が来たせいか。

 思わず受け入れた彼女は、言われた通りの行動を起こしてしまった。

 その瞬間、


「――っきゃああああああああ!!?」


 右斜め上に、もの凄く飛んだ。軽く地面を蹴っただけで――思い切り蹴ったとしても到底及ばない、人間には不可能な距離と高さまで善夜は上昇していた。


『あなたを介して力を使っております』

「勝手に介さないでくださいっ」

『次の鎖に着地し、更に4つ上の鎖まで飛んで、8時の方角へ走ります』

「はい……っ。 ……まずはあの鎖に着地して……次に4つ上の鎖まで――ってああああああ!! 反射的に従っちゃうーーーー!!!」


 『次の鎖』に着地すると同時に我に返った善夜が、立ち止まった瞬間。


「うやああああああああああああああああ!!!?」


 さっきと同じように全身の力が抜ける感覚と共に鎖から足が踏み外され、今度は地面へ真っ逆さま。

 彼女は頭から地面に激突――そのままパタリと仰向けに倒れた。


 うぅ……死んだ……絶対死んだ……


「……――あれ……?」


 予想に反して。痛みは全くなかった。身体も――動けないので確認はできないが、感覚からして無傷だろう。


「――命令意外の行動は不可だと言ったはずです」

「ひいいいいいい!!?」


 不意に、ぬっ、と視界に入ってきた『人型オフィサー』に絶叫する善夜。

 彼女を見下ろしている彼の首が、あり得ない方向へとねじ曲がっていたのだ。


「法律≪魔界公務員法≫で 代行者の損害は肩代わりすることになっています」

「大変ですね……。 でも……」

「人間≪あなた≫に断る資格はありません」


 ゴキリッ、と何ともないような手つきで普通に首の方向を修正しながら、聞き捨てならない発言をするオフィサー。


「不法滞在者増加の主な原因は招聘人≪人間≫の手続きミス」


 ――。


「――出入界法の知識もなく、闇雲に招聘するから痛い目に遭うのです」


 嫌味なのか単に事実を伝えただけなのか。相変わらず無を映す彼の表情からは、その気持ちを読み取ることはできない。


「……!!」


 むしろまともに表情を変えたのは、善夜のほうだった。

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