2.善夜、名刺を受け取る

 「――こちらをどうぞ」

 目を大きく見開いたまま、驚きのあまりフリーズしていた善夜よよの思考を再稼働させたのは、その謎の男の差し出した黒いカードだった。

 彼女は反射的に「あ……ありがとうございます」と、何故か礼と共に受け取り、謎の男とカードとを交互に見つめる。

 最初に目についたのは、明らかに現代とは違う服装だった。中に着込んだ白のワイシャツ以外、上着からネクタイ、腰の剣、スラックス、そして靴に至るまで黒で統一された軍服姿で、世界大戦時代の軍人を彷彿とさせた。

 年齢は20代半ばから30代前半ぐらいと、若くも見えれば大人びても見える『不詳タイプ』。

 黒い髪は伸び気味でありながらもきちんと整えられ、前髪から覗く切れ長の目に通った鼻筋と、端正な顔立ちではあるものの、一切の感情を映さない表情のせいか、人間とは別の違う存在のように感じられた。


 そして、渡された黒いカードはというと――白いインクで『魔界外務省 出入界管理局しゅつにゅうかいかんりきょく 出入界管理官兼警備官 M・R・オフィサー』と印刷されていて、その内容や大きさ、サイズからして名刺のように見えた。

 他にもカードの下の方に細々と記されている文言があるのだが、この未知の事態によって憔悴している善夜にはそこまで注意を払う余裕はない。

「出入界管理官……兼、警備官……オフィサー……さん」

「公務員の一種、と言ったところです」

 無意識のうちに呟いていた彼女に、魔界の公務員・オフィサーが捕捉を加える。


 ……『オフィサー』なだけに……?


 不意に浮かんだ素朴で強烈な疑問を何とか心に押しとどめ、善夜はとりあえず「はあ……」と、曖昧な返事をしたのだが。

 そのリアクションを「理解した」と受け取ったのか、彼は彼女の手から『名刺のようなカード』をさっと取り上げ、

「あなたには私の公務を『代行』して頂きたいのです」

 意味不明な本題を切り出した。

「代行……?」

「このように――」

 言葉を残し。オフィサーの姿が掻き消え、

「あっ、おっ……」

 善夜が突然消えた彼の名を呼んぼうとしたが他人の名前を呼び慣れていないせいで奇声になってしまっている間に。

『――私に支配されるだけの簡単な仕事です』

 何も触れていないはずの右手が何かに覆われているような感覚が生まれ、その方向から魔界の公務員の声が聞こえる。

「え……?」

 異変を確かめるべく、すぐさまそちらに視線を向け……

「――!?!?」

 あまりの衝撃映像に、善夜は悲鳴すら発することができない。


 そこには、『剣の形をした闇』が、右手に握られていた。


 『右腕に絡みついていた』と表現した方がいいのだろうか。

 その剣身を延長したものが根や蔦のように手や腕に纏わり付いており、そして――


「――!?」


 不意にその『闇色の剣』が善夜の腕を引っ張るように素早く振り上がった瞬間、金属のぶつかったような硬い音が彼女の耳に突き刺さる。 

 恐る恐る当たりを見回すと、どこからか現れた白銀色の鎖が剣に弾かれたのか、周囲に佇む動かない児童達の1人に直撃するところだった。


「あっ……!!」

『時間固定されているため、固定対象への損害は発生しません』

「ああ、そうなんですね……良かっ……――!!?」


 『仲間』の崩壊を心配して思わず声を上げる彼女に解説してくれたのは――あまりにも自然に入ってきたので一瞬気付くのが遅れたのだが――


「!??」


 急にオフィサーが消えて、急に現れた謎の剣が善夜に絡みつき、更に急に現れた謎の鎖を謎の剣が弾き飛ばしたところまでは何とか自分を保つことができた。

 しかし、その謎の剣がオフィサーの声で喋っているという事実に気付いてついに、


「――うわああああああああああああ!!!!!???」


 決壊した自我を象徴するかのような、真っ黒に近い『靄』を体中から放出しながら――善夜は絶叫した。

 そして、剣から逃れようと思いっきり腕を振った瞬間――


 ――彼女は糸の切れた操り人形のようにクタッと、その場に崩れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る