魔界公務員の代行者

ぷてらぽ☆ごん

1章『降り立つ公務員』

1.公務員、降り立つ

 「ねぇ、早く飛び降りてよ」

「何でも言うこと聞いてくれるんじゃなかったの?」


 爽やかな青をたたえる五月晴れの空に、不穏な言葉がこだまする。


 児童養護施設・A園の敷地内にある、やや年季の入った3階建て寮舎の屋上。

 施設に入所している児童達が1人の少女を取り囲み、フェンス際へと追い詰めていた。


 額を覆う前髪の隙間からは擦り傷が覗き、目尻や頬には青あざが浮かび上がり、切れた口元からは血が滲んでいる。彼女が身に纏った高校の制服であるセーラー服も所々が破れ、砂埃にまみれていた。


 少女の名前は七川ななかわ 善夜よよ。彼女もまたここで暮らす『訳あり児童』の1人である。


 身長も体型も容姿も平均的な彼女は高校3年生であるにもかかわらず、気弱な性格のせいなのか醸し出される地味で控えめな雰囲気のせいなのか――入所して物心ついた時にはすでに周囲から孤立し、時にはイジメの対象となっていた。


「何よ、まだ飛んでなかったの」


 そんな善夜を取り囲む児童達の壁の向こうで、腕組みをした施設の職員が冷めた口調で言い放つ。


「そうなんだよ……捨てられたゴミクズのくせに、なかなかしぶとくて……」

「何で死なないんだろーな」

「まだ『指導』が足りないのかしら……」


 思い思いに発せられた児童達の言葉に、職員はすっと細めた目を善夜の顔や膝にある出来たばかりのアザへと巡らせ、


「彼女は特別に出来の悪い子だから、みんなもっとちゃんと教えてあげなきゃダメよ……――ねえ、善夜さん」


 最後に、涙を浮かべた彼女の恐怖に歪んだ顔を見て、口の端を上げた。


「……っ」


 その陰湿な視線に懇願するように、何度もかぶりを振る善夜。


 何をどのように言っても揚げ足を取られ、余計に酷く虐げられてきた彼女には、もはや自分を守るための言葉が残されていなかった。


「だったら……見せてくれるよね? わかってるっていう『証拠』」

「そうだ早く行けよ!」

「要らないやつなんか存在の無駄なんだよ!」


 突きつけられた職員の冷たい言葉に児童達が続き、追い打ちを掛けるように吹きつけた突風が、彼女のスカートやハーフアップに結い上げた亜麻色の長い髪をなびかせ、足元の砂埃を錆びたフェンスの外へと舞い降らせる。そして、


「……わかり……ました……」


 善夜は嗚咽混じりに小さく応えると、


「今……死にます……」


 彼らに背を向けて。大粒の涙がぽろぽろと落ちていく目を強く閉じて――再び開かれた目で空を見上げた。数羽の鳥が、上空を渡っていく。


「……そうだよね、生きてても無駄だよね……」


 自分に言い聞かせるように小さく呟くと、彼女は静かにフェンスに手を掛けた。



 「――?」


 不意に『違和感』が訪れた。

 フェンスにあった何かに触れたというわけではなく、空気が変わったというのか、止まったというのか……。


「――時間固定、無事完了しました」

「――っ!?」


 突然聞こえた人の声に、善夜よよの肩が小さく弾む。後ろの方で、男が誰かと話しているようだった。

 反射的に振り返るもそこに声の主の姿はなく、職員と児童達が先ほどと変わらずこちらに好奇と侮蔑のこもった目を向けて立っているだけだった。


 ――ただし、誰1人ピクリとも動かないまま。


「! みん……な……!?」


 何とか絞り出した彼女の声は、驚きと混乱で掠れていた。


 他の人は……?


 確認しようと善夜がフェンスの外にも目を向けてみると――施設の庭を走り回る年少の児童達も、脇道を行く車も、空を横切っていた鳥達も。まるでその瞬間を捉えた写真のように、完全に静止していた。


「……はい、問題ありません。 すでに確保しています……」


 彼女がその異様な光景に圧倒されている間にも、姿の見えない男の声は淡々と誰かと話し続けている。

 トーンの低さからして大人の声だろうか。しかしその抑揚のない静かな口調からは『人』としての温度が感じられない。

 更に不気味なのは、その声がだんだん近づいてきていることだった。


「ぅわっ……!?」


 不意に視界に流れ込んできたのは―― 一筋の黒っぽい『もや』。

 情けない声をあげた善夜の体が思わずのけ反ると、それに呼応するようにその『靄』も波打つ。一体どこから流れてくるのだろうかと、善夜が『もや』の出どころを辿っていくと……


「わあああああああ!!?」


 その正体は何と、自分の体から湧き出てきたものだった。それが一本の細い道のように連なったまま、空中をある方向へと流れていく。そして――


「――では、公務執行に入ります」


『靄』に気を取られている間に、その声はついに真後ろから聞こえてきた。

 反射的に振り向いた善夜の目が、大きく見開かれる。


 数十センチにも満たない距離に、男が1人。

 黒い携帯電話を折りたたみながら、真っ黒な瞳でこちらを見下ろしていた。

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