第3話「Let be」

 空は青く、大地は緑が絨毯のように敷かれていた。何処かで鳥が鳴いている。

 美浦は突然の出来事にそれでもパニックにならない自分がいるのを不思議に感じていた。

 美浦は目を瞑ってみる。

 頬を撫でる風が気持ちいい。

 草が奏でる音が心地いい。

 大地が立ちあげる香りが懐かしい。


「渡邊さん大丈夫ですか」


 美浦の様子を心配し山水が声をかける。


「山水さん、ここは何処かしら」


「わかりません」


「山水さん、稽古場は何処かしら」


「わかりません」


「山水さん、私達どうしてここにいるの」


「わかりません」


「何かわかることはない? 山水さん」


「僕も渡邊さんと同じです。何も、わかりません」


 美浦は目を開け振り返る。そこには山水一やまみずはじめが立っている。それだけだ。


「これからどうしたらいいと思う?」


 山水は少し考え答える。


「ここは何処ですかね」


「知らないわ」


「稽古場は何処へ行ったんでしょう」


「知らないわ」


「どうして僕たちがここにいるんですか」


「知らないわ、山水さんふざけてるの」


「向こうに見えるのは何ですか」


「何も見えないわよ、山水さんこそ大丈夫?」


 山水は何処か遠くを見ている。あまりのショックに山水の心は壊れてしまったのだろうと美浦は思った。このままじゃまずい、美浦は咄嗟に動いていた。


「山水さん、いや、山水!正気に戻れ!」


 バチンッ!


 美浦は山水の頬を思い切り引っ叩いた。渾身のビンタである。

 たまらずよろめく山水。なんなら地面に膝をついていた。


「突然何するんですか!」


 当然の抗議を美浦に訴える。


「あなたは誰? 私は誰? ここは何処? これからどうするの?」


 美浦に圧倒され山水はすぐに抗議を引っ込める。


「ええと、あなたは渡邊美浦わたなべみほさん、ぼくは山水一やまみずはじめ、ここは……それさっきの質問じゃないですか!どさくさに紛れても分からないものは分からないですよ」


「良かった、正気じゃない」


「正気ですよ!いきなりビンタだなんて渡邊さんこそ正気ですか」


 美浦はその言葉を受けて申し訳なさそうに頭を下げる。


「ビンタしたのは謝るわ、ごめんなさい。でも山水だけが頼りなの、今は山水がしっかりしてくれなくちゃ」


「最初からまともですよ。それからしれっと呼び捨てになってるじゃないですか」


「気づいた? 山水も私の事呼び捨てにしていいから」


「いいですよ別に」


「でもいつまでもさん付けじゃ仲良くなれないじゃない」


「仲良くって……そんな場合ですか」


「でも大事なことよ」


「そうですか」


「そうよ」


 山水は納得したような、してないような甘くないバナナを食べたような顔をしている。


「まあそういうのも大事かもしれないですね」


 改まって美浦を見る。


「それじゃ渡邊、これから……」


「待って」


「へ?」


 美浦はすかさず山水の言葉を止めて、不満そうな顔をする。


「渡邊って呼ばれるのは嬉しくない」


「そんな、だって呼び捨てで良いって」


「名前で呼んでくれないかしら」


「それは……」

「お願い」


 お願いされたらしょうがない。山水もそこまで強情ではない。


「それじゃ美浦……」

「なに山水」


「……」


「恥ずかしいの?」


「美浦……さん……でいいですか」


 山水は美浦と呼べない自分に残念な気持ちになる。


「そうね、私もいきなり美浦って呼ばれると少し恥ずかしい気持ちになるから、美浦さんでいいや」


「……美浦さん」

「たからなに山水?」


 美浦は女優だ。大きな目、小さい顔、筋の通った鼻、長い髪、スタイルも良く世間では間違い無く美人と呼ばれている。

 山水にとって普段ならこんなシチュエーションも満更じゃないだろう。しかし今は違う。この状況をどうにかしなくてはいけない。


「あのですね提案なんですがあっちの方角、丘みたいになっているじゃないですか。そこまで行けば何かわかるんじゃないですか」


「たしかに丘の上から全体を見渡せるかも」


「街や人がいないにしても山か海はあるかもしれない」


「凄く良い提案ね」


「ですが懸念点もあって、ここを本当に動いていいのかそれとも下手に動かない方がいいのか、それが問題です。稽古場が突然ここに現れるかもしれないですし」


「ハムレットね」

「ハムレット?」


 美浦はニッコリと答える。


「To be,or not to be that is the question《やるべきかやらないべきかそれが問題だ》の答えはLet be《なるようになれ》よ!」


「ああハムレットの台詞か」


「行きましょう! 留まっていても仕方がない。こういう時は動くに限る」


「なんだか美浦さんのこと誤解していた気がします」


「あら、どんな風に?」

「思ったよりパワフルですね」

「褒めてるわよねそれ」

「もちろんです」


 二人は平原を歩いた。


 足にかかる草、無造作に散らばる石、舗装されていない土、道無き道を歩く、どれもが久しぶりの感覚で美浦は少し懐かしい気持ちになっていた。

 一時間程歩いただろうか、相変わらず平原が続いている。


「ねえ、少し休憩しない」

「そうですね、もう丘も目の前ですしそこの岩場で休みましょうか」


 その時だ、丘の向こうから何かがやって来るのを感じた。

 二人は丘に注意を向ける。


 馬車だ。


 大きな白いほろをつけた映画の中で見るような馬車。

 それが真っ直ぐこっちにやってくる。

 突然の馬車の登場に二人は警戒することもなく立ち尽くしていた。


 馬車は徐々に速度をゆるめついには二人の前に停車する。


「探しておりました、こちらにお乗り下さい。村までご案内致します」


 馬車を操る御者ぎょしゃがそう言い、二人をうながした。

 あまりの急展開に二人は顔を見合わせる。


「説明は後ほどさせて頂きます、どうか」


 人里に行きたかった二人にとって渡りに船なのは間違いなかった。それに考えたところで結論は出ない。

 結局は言われるがままに馬車乗り込む美浦と山水。


「どういうことかしら」


 美浦が山水に疑問を投げかける。


「まだなんとも言えないですが御者は『探しておりました』と言ってました。僕たちがここに来ることを知っていたんです、誰だかわからないですが」


「さすが演出志望、思考が早いわ」


「関係ないですよ。それに問題が増えてく一方です」


「でも人がいて良かったじゃない、この世界にあなたと二人きりだったらさすがに考えちゃうもん」


「何を考えるんですか一体」


「知りたいの?」


「……いいです。とにかく問題なのはここが日本ではないだろうし、時代もよくわからないということです」


「その根拠は?」


「馬車で迎えに来ているし、御者の顔立ちや服装が日本ではないです、それなのに日本語が通じるのも違和感があります」


「それは私も同感」


「つまり問題だらけです」


「ファンタジーの世界にやってきちゃったということよね」


「……そうかもしれないです」


 山水はふさぎ込むような、考え込むような重い顔をしていた。


「これからどうなるかは村に着いて、事情を知ってる人に会って、それから話を聞いて判断するしかない」


「山水、深く考えないで。なるようになるわよ、Let beよ」



 カラッとした美浦の表情に山水は少し救われた気がした。














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