第2話「開幕ベル」

「開幕ベル」


 稽古場から駅前に向かう途中、年季の入った暖簾と建物。中からは活気の溢れた飲食店の音が聞こえる。

 美浦は途中ドラッグストアに寄り買い物をしていた為、先発隊がもう来ているだろうと予想した。

『中華』と書かれた扉を開ける。


「いらっしゃい!」


 カウンターから威勢の良い挨拶。すぐにウェイターさんがやってくる。店内はテーブル席とカウンター、劇団のメンバーは見当たらない。


「待ち合わせかい?」

 一目見てわかるのだろう。

「はい、十人くらいで来てるはずなんですけど」


「二階にどうぞ!待ち合わせのお客様でーす!」


 これまた威勢良く二階に案内される。二階は座敷席になっており、部屋の前で靴を脱ぎ部屋に入る。全員集合とはいかないが諸々集まり既に酒盛りが始まっていた。


「美浦ちゃん、来てくれたんだ! こっちこっち!」


「なに若い子ここに呼んでんだよ、若者は若者同士そっちで飲ませりゃ良いんだよ」


「違うって色々意見とか聞きたいのさ、ほらここ座んなよ」


 演出の神崎と魔王役をやっている栗木台くりきだがわちゃわちゃしながら呼んでいた。

 美浦は他の出演者とも話したいなと考えていたが、とりあえず演出の横に着いた。


「ほら、美浦ちゃんも来たし、三度目のカンパーイ」


 神崎は既に終わっているようだ。隣の栗木台も怪しい。


「まだ飲み始めて三十分くらいですよね? 大丈夫ですか?」


「まったくオーケー。あとは台本だけ。それだけ!」


 美浦は栗木台に目で聞いてみる。


「神ちゃんの言う通りだね、渡邊さんも悪いねなんか。台本遅くてやきもきするでしょ」


「いえ、台本遅いのはここだけじゃないですから」


「おっ、ベテラン女優みたいな器だね。こりゃ安心だ。しかしこの業界の台本の遅さはどうにかならんのかね。小野! どう思う!」


 席の端にいた出演者、まだ若手の小野透おのとおるに火の粉が降りかかる。


「いやー、でもかの有名な井上先生はその遅筆さがあればこその作品を書き上げていたと聞いてます!」


「それが悪しき習慣の根源だと小野はいうのだな」


「そうじゃありません! 本は早い方がいいです!」


 なんだどこもかしこも酒に飲まれている。美浦はこっそりと女優グループの席に着いた。


「渡邊さんいらっしゃーい」


 魔女の役をやっている荒木良子あらきりょうこだ。普段は綺麗なお姉さんだが、舞台の上ではどこか蛇にも似た不気味な存在感をだす女優。有名なアングラ劇団に所属しており、今回は演出家の神崎に直接声をかけられ出演しているそうだ。


「こんな飲み会の時に素面しらふじゃない演出家の横に行くなんて自殺志願者みたいなものよ。最後はお店で演技指導までやり出すんだから気をつけなきゃ」


「それは嫌ですね、せっかくなんだから楽しくお酒飲めばいいのに」


「そうもいかないのが演劇人なんでしょうね。そういえばさっきLINEしたんだけれど、気づかなかった?」


「あれ?そういえば携帯……あ、稽古場に忘れてきたのかな」


「渡邊さん意外と抜けてるよね。まだ山水君居るはずだから連絡してみようか?」


 荒木は自分の携帯を出す。


「いえ、近いんで取ってきます。いま行けばすれ違わないだろうし」


「そう、ちゃんと戻ってくるのよ。今日はとことん仲良くなろうと思ってるんだから」


 魔女荒木のウィンクを受け取り美浦は中華料理屋を出た。走ることもないだろうと歩いて稽古場に向かう。

 稽古場は雑居ビルの地下にあり、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし中は広く小規模な公演くらきなら可能らしい。

 現に今日も照明や音響を使った稽古ができていた。

 照明を使っての稽古は小屋入りでもしないと出来ないものだから贅沢ではあるだろう。


 劇場特有の重い扉を開く。中はまだ明かりが点いており、人がいるようだった。


「お疲れ様でーす。携帯忘れちゃって……」


 山水がいると思い声をかけながら稽古場に入る。

 しかし反応がない。外に出ているのだろうか。

 どちらにせよまずは携帯だ。美浦は更衣室に向かう。置いてあるならそこだろうと予想はしてあった。


 携帯は直ぐに見つかった。更衣室を開けると着信中で、まるで見つけてと言わんばかりに光っていた。

 美浦はすぐさま携帯を確保し、通話を受け取る。


 山水からだ。なんの用事だろう。もしやすれ違っていたのかもしれない。


「もしもし? 山水さん?」


 返事はない。なんなんだろう。と、稽古場に目をやるとそこに山水がいた。


「山水さんなんなんですか? そこにいるのに電話なんかして」


 山水に詰め寄る美浦。しかし山水は手で待ってみたいなジェスチャーしかしない。


「なんの冗談ですか? 虫ですか、変質者ですか、ドッキリだったら許さないですからね。こう見えて怖がりなんですから私」


「虫でも、変質者でもないです」


 山水はそう言って扉の外を見ている。


「喋れるじゃないですか、早く皆んなの場所戻りましょう。作業終わったんでしょ?」


「いや、渡邊さん。なんか外が変なんです」


「外が変?」


 山水の方がよっぽど変だと美浦は思い、躊躇なく外に出る。

 そこには階段がある……はずだった。



 美浦は平原に出ていた。それもだだっ広い、テレビで観たサバンナのような平原に。


「あっ……」


 振り向くと稽古場は無くなっていた。

 そこには山水がポツリと立っている。


「ほら、変だったでしょ?」



 何処かで開幕ベルが鳴っている。


 目の前に広がる風景を見ながら美浦はそんな音を聞いた気がしていた。


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