女優が異世界に行ったら勇者役のオファーを受けた

枯三水

第1話「決戦」

 暗闇に立っている。

 自分の身体が認識出来ない程の闇。じっとしていると存在自体が飲み込まれそうな暗黒。

 短い静寂。

 美浦はゾクリと鳥肌が立つのを感じていた。


 そこにいる。


 月が雲から顔を出したのだろうか、一筋の光が垂れ落ちてくる。


 それは美浦の前に姿を現した。


 馬鹿でかい剣を携えた屈強な剣士。


 いや、剣士というには優しすぎる。明らかに見る者を威圧するシルエット。身にまとった甲冑は髑髏どくろを宿し、両肩から突き出た角は苦痛を具現化したような不快な印象を与える。何より不気味なのはいばらが巻かれ顔が全く見えぬ頭部だろう。

 それは世間ではこう呼ばれている。


「魔王」


 悲鳴はあげない。美浦は胆力で恐怖を圧し殺す。自分が望んでこの場に立っているのだ、始まる前から負けるわけにはいかない。

 既に抜いてある剣に力を込める。

 父様ととさまの剣。美浦に勇気と力を与えてくれる大事な形見。

 身体に息を込める、剣に意思を注ぐ。


「そうはやるな、東方の娘よ」


 魔王が口を開く。

 低くい音が幾重いくえにも響く醜悪な声。


此処ここまで来たこと褒めて遣わそう」


 魔王の表情はいばらが隠している。が、笑っている。美浦はそう感じていた。


「しかし小娘が一人で来れる程甘くはない。誰の手引きを受けた? 其奴そやつにも褒美を与えねばならない」


 美浦は答えない。


だんまりか。賢明だな。しかし東方の娘よ、お前は其奴そやつに騙されているぞ」


 今まで変わらなかった美浦の表情がかすかに動く。心がざわつく。


おどろく事も無いだろう、策もなく我の前に差し出されてそれが親切だと思ったか?」


(駄目だ、相手の調子に乗るな)


「愚かな娘には悪いが、これは筋書き通りなのだよ。我々にとってな」


 美浦はたまらず言葉をはなつ。


「嘘をつくな! 私の心を乱そうとしても無駄だ!」


 魔王の口許が歪む。


ようやく口を開いてくれたな。礼を言うぞ。やはり間者かんじゃが居たのだな」


 美浦の顔がたちまちに曇る。


卑怯ひきょうとはうまいな。私は『魔王』だ。お前の父様ととさまでは無いのだぞ」


父様ととさまという言葉を貴様きさまが口にするな!」


「良いぞ!その表情!その感情! お前の絶望の色が見える!嗚呼、力が湧いてくる!お前を手引きした間者の検討も付いている、これはたっぷりと褒美を与えねばな!」


彼奴あいつに手出しはさせない!あんたは此処ここで斬る!」


「其れがお前の望みか、しかし残念だ。そのどちらも叶わない。お前の望みはそれ以外だろうと、もう叶うことはない。朽ち果てるのだ。看取る者もいない暗黒の地で……いや一つ余興を思い付いた。付き合ってもらうぞ」


 魔王は剣を逆手に持ち直す。

 美浦は急襲に備え身構える。


「その目が絶望に歪むのを期待しているぞ」


 魔王は剣を床に突き立てた。


 両壁に並んでいた燭台が灯る。魔王の剣から闇が溢れていた。そして闇から一人の騎士が出てくる。


 竜騎士だ。

 魔王を裏切り、美浦を最深部まで連れて来てくれた、美浦にとって大切な愛する人。

 彼は道を阻む魔物を一挙に引き受けていた筈だ。それが何故?美浦に悪寒が走る。


「此奴は元々我の手下だ。一度死ねばこうして支配下に置くなど造作無いことだ。しかし此奴がこんな小娘にほだされるとはな」


 竜騎士は死んで再び魔王の支配下になった。美浦にとって受け入れ難い現実が目の前にあった。


 竜騎士は闇の心のおもむくまま剣を構えた。


「くっ、卑劣な!」


 美浦はただそう言うしか出来なかった。彼と剣を交えるなんて出来ない。


「我は『魔王』だどんな手でも使う、絶望を味わう為にはな。さあやってくれ、此処はかつて舞踏会に使われていたと聞く。美しく朽ちる死の舞踏曲ロンドを奏でてくれ」


 魔王は玉座に居た。物見、高み、優越。ただの興味でこの場を作った魔王。美浦は既に冷静ではなかった。


「うあああっ!」


 竜騎士の横をすり抜け、魔王に剣を振っていた。


 ザンッ!


 しかし崩れたのは美浦だった。


 竜騎士が美浦を突き刺していた。後ろから。

 竜騎士の表情を哀しみの目で見つめる美浦。



 そして舞台は溶暗する……





「はい!オッケー」


 パッと部屋全体が明るくなる。美浦は髪をかきあげながら立ち上がる。


 渡邊美浦わたなべみほ二十四歳、長い髪、大きな目、はっきりとした顔立ちにすらりとした身体を持つ期待の若手舞台女優。

 顔だけでなく持ち前の感の良さと観客の心を掴む演技術で少しずつ観劇おじさんの認知度も上がってきている。


「いいよ、今の感じ最高に良かったね。最後の表情とか文句なしです!」


 演出家の神崎かんざきが嬉しそうに美浦に近づく。油の乗った頭に人懐っこい顔。普段は厳しい神崎にしては珍しい発言だ。


「神崎さんなんだか明るいわね。台本ピンチなんじゃないの?」


 脚本家がスランプに落ちて最後まで台本が仕上がっていないともっぱらの噂だ。


「そうなんだよねー、だからもう全部ポジティブに行くしかないっていうかね。キャストとスタッフは抜群。ほら魔王のボイスチェンジなんか凄いだろー、今あんなのも出来ちゃうんだよね。つまり目の前の事は大丈夫。ただ見えてない未来が怖い、でもやらなければいけないっていうね」


「The show must go on《それでもショウは続くよ》ね。完成台本は早く頂けるに越したことはないけれど」


「もちろん、次の稽古にはある程度。来週には完成させるよう突っついてるよ」


「それで今日はもう解散なのかしら?」


「うん、飲む人はいつもの中華屋さんに集合。今日は照明さんと音屋さんも来てくれてるから話したい事沢山あって。美浦ちゃんも顔出していいからさ」


 そう言うと神崎は照明と音響ブースの方に走って行った。

 入れ替わりに演出助手の山水やまみずが駆け寄ってくる。


「はい、これ演出からのダメ出しと、ファンタジーですが一応城の全景とその歴史です。次の稽古の参考にしてください」


 山水はそう言って一枚の紙を美浦に渡す。


「ありがとうございます。神崎さんも直接言えばいいのに。山水さんはこの台本この後どうなると思う」


 演出助手の山水一やまみず はじめ、年の頃は二十代前半。美浦と同い年くらいだろうか。冴えない風貌だが役者出身なのか弱々しい印象は受けない。

 演出助手という役職だが台本についての調べ物が得意と自己紹介で言っていた。


「そうですね、主役の女剣士がこのまま死

 ぬというのはエンタメからしたら考えられないので何か仕掛けがあるんじゃないですかね、アンチクライマックス狙う意味も無いですし。史実と関係のある作品じゃないので予想にしか過ぎないですけど」


「そうよね。ここからだらだら続けたら二時間なんて簡単に超えちゃうわ。今時流行らないでしょ、長編大作」


「演出も二時間以内に収めたいって言ってましたよ」


「あなたは飲みに行くの?」


「ええ、飲みの席で何か進展すること多いですから。作業終わりに行くので後から合流します」


 山水はそう言って他のキャストにメモを渡しに行った。



 美浦は着替えを済まし稽古場を出る。たまには飲みの場で交流を図るのもいいなと考え、中華料理屋さんに足を向けた。




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