第二十三話 逆鱗
視界が急変し、目の前には広い空間が広がった。
だが室内で天井は高くない。
動くと頭がぶつかったので下げた。
仄暗い中で、足元には不気味な赤い光が何かの模様を描いている。
魔方陣のようだ。
それを取り囲むようにして、何かの巨大な装置が張り巡らされている。
何かの施設だろうか。
首を回し、様子を伺っていると光が急に強くなり、動き始めた。
赤い光は半球状に形成されていき、ユリウスはそれに覆われてしまった。
光の半球に閉じ込められたようだ。
何が起きているのだと焦っていると、魔方陣のいたるところから黒い鎖のようなものが噴出し、次々とユリウスの身体を突き刺しながら絡めとり始めた。
痛みはそれほど無い。
だが取ることが出来ない。
引き千切ろうともがくがどんどん鎖は締まっていき、終いには魔方陣に磔になっていた。
――ここはどこだ? これは何だ?
首は動かせない。
見える範囲で見回していると、周りの装置が音をあげ、稼動し始めた。
するとユリウスは激しい虚脱感に襲われ始めた。
見る見る力が抜けていく。
痛みはないが、急激に弱らされているような感覚がして焦燥する。
血がなくなって死んでいくような感覚だ。
竜となった今は死というものと縁は無くなってしまったはずだが、恐怖感は変わらない。
だが成す統べがない。
身を任せていると、少しして虚脱感は止った。
だが装置はまだ稼動している。
上から地響きのような音がした。
耳を済ませていると激しい力の集約を感じた。
ユリウスは分かった。
奪われた自分の力が凝縮されている。
その凝縮された力は、轟音と共に凄まじい速さで遠くに移動していった。
ユリウスの力を使って何かを攻撃したように感じられた。
いつのまにか装置の周りに、何人かの人間が動いていた。
装置を操作しているように見える。
ユリウスには見覚えのない連中だった。
「成功です! まさか、月竜の方からこちらにやってくるとは思ってもいませんでしたが」
「月竜は銀の竜だったわ。月竜ではないのでしょうけど……まあ、役に立つならなんでもいいわ。仲間の誰かが上手くやってくれたのでしょう。これで、陛下は納得してくださるでしょう。早く、団長を……」
――エリーサ?
ユリウスは装置を操作していた男と話している女に目を奪われた。
ユリウスの部下、エリーサだった。
「竜が、喋った? どうして……私を?」
――お前は、何をしている?
ユリウスは問うた。
だがエリーサは問われた質問よりも、重大なことに気がついた。
「この、声は……。そんな、まさか、団長のはず……」
エリーサは分かってしまったが信じることが出来ず、いや、信じたくなくて、一人で自問自答を繰り返している。
ユリウスはそれを黙って見ていた。
「団長、なのですか?」
暫くするとエリーサは自問自答をやめ、恐る恐るユリウスに問いかけた。
ユリウスはそれに「そうだ」と短く答えた。
「ああ……まさか……団長……団長おおおお!!!! 今すぐ拘束を解きなさい!!!! 装置を止めて!!!!」
エリーサが隣の男に掴みかかっている。
男は慌てふためき、応援を呼びながらエリーサを落ち着かせようとしている。
「落ち着いてください! ご存知のはずです! 装置はもう止めることは出来ません!」
「いいから止めろおおおおおお!!!」
彼女は応援に駆けつけた体格の良い男達を殴りとばしながら、ユリウスの近くに駆け寄ろうとした。
だがどうやら魔方陣の中には入れないようで、赤い光の壁を叩いていた。
そして更に増援で駆けつけた連中に気絶させられ、連れていかれた。
「ラハティの騎士団長……?」
一人だけ少し色の違う服を着た男がユリウスを一瞥し、部屋を出て行った。
※※※
それから、何日か経った。
何日経ったのかはっきりは分からない。
長いかもしれないし、案外短いかもしれない。
ユリウスの体感では三十日程経った気がする。
ユリウスは変わらず磔のままだ。
身体を動かすことも逃れることも出来ず、ただただ生きているだけの状態だ。
装置は目立った動きをしていない。
だが、ユリウスの力は常に少しずつ奪われているようだ。
常に血を流し続けているような感覚も相変わらずだ。
僅かに恐怖と痛みを感じるが大した問題では無かった。
あれからエリーサの姿も見ていない。
彼女はどうなったのだろう。
残してきた部下達もどうなったのだろう。
それにしても……疲れた。
ユリウスは疲れていた。
頭の中までまるで砂が詰まったかのように重たく動かない。
考えることも億劫になり、ユリウスは呆けていた。
思考を止め、前の景色を眺めていた。
景色といっても何もない。
訳の分からない装置を眺めたり、知らない人間が出入りするのを目で追ったりするくらいだ。
こんなに無気力に過ごすのは初めてだった。
今はこれでいい、仕方ない、そう思いながら時の流れに身を任せた。
このことを、ユリウスは後に後悔することになる。
あの時ちゃんと考えていれば、もっと強い意志を持っていれば……。
状況を思い返せば分かったことが、出来たことがあったはずなのに、と。
だがそういう後悔は『後の祭り』というものだった。
――ムオオオオオオォォォォオオオオオォォォ
呆けているユリウスのところに、何か得体の知れない、不安を掻き立てるような鳴き声が聞こえてきた。
そして声が聞こえた瞬間、ユリウスは何かに突き飛ばされたような感覚に陥った。
視界が勝手に移動する。
ユリウスは磔になっていた魔法陣の外に押し出されていた。
何が起こったか分からない。
鎖が千切れて少し痛みが走ったが、どうやら自分は解放されたらしい。
ユリウスを拘束していた黒い鎖は千切れてゆらゆら揺れていたが次の獲物を見つけ、ユリウスにしたように身体を貫き、絡めとり、拘束を始めた。
次の獲物となったのは、ユリウスよりも一回り小さい魔物だった。
見たこともない、魔物といってもいいのか分からないような、『生物らしきもの』だった。
一言感想をいうと『醜い』。
歪な泥の塊に見えるが、良く見ると赤黒い巨大な臓器を纏めて握ったような『臓器団子』。
側面には大きな女性の顔らしきものが黒く浮かび上がっている。
表情は苦しそうで、さっき聞こえた鳴き声はこの顔から発せられたものだったようだ。
今もその不気味な鳴き声は響き続けている。
規則正しく波打ち、動いていることから『生物』であることは分かるが異様な存在である。
――なんだこれは。
「お前を救うために身を擲った女の成れの果てだ。愚かだが健気じゃないか。褒めてやれ」
いつの間にかリトヴァが傍らに立っていた。
それにしても何を言っているのだ?
ユリウスの頭は相変わらず重いままで思考が回らず、リトヴァの言っていることが頭に入ってこなかった。
「それにしても、狭いな。我が番殿。人の姿に変えろ」
――やり方が分からん。
「やろうとしないからだ。やってみろ。出来るはずだ」
棘のある物言いに、苛立ちを感じながらもユリウスは従った。
するとリトヴァの言うように、本来のユリウスの姿に戻ることが出来た。
ただ、リトヴァとは違う金色の角が生え、髪も腰まで伸びていた。
「出来ただろ? 今のお前は、やろうと思えば大概なんでも出来るさ。お前が自分でなんとかしていれば、この女もこんな有様にならずに済んだのにのう?」
リトヴァが悪意の篭った笑みを浮かべている。
この腹立たしい笑みも少し久しぶりに感じた。
それにしても……。
「さっきから何を言っている?」
「まだ呆けておるのか? まあ、竜となった直後の疲労が癒えぬまま、力を吸収されていたのだから、話が出来るだけでもましというものか。宜しい、阿呆でも分かるように丁寧に説明してやろうではないか」
そしてリトヴァは語り始めた。
彼女が……エリーサが、この醜い魔物に成り果てるまでの経緯を。
※※※
話はユリウスが反逆罪の罪を着せられ、投獄されたあたりから始まる。
ユリウスの後を追うように彼の部下たちが次々と投獄されていったが、エリーサの父はラハティ王に近い幹部であった為、彼女はそれを免れていた。
彼女は何が起きているのか理解出来ていなかった。
ユリウスが反逆を起こすなどありえない。
それは仲間達にも言えることだ。
絶対に何かある。
彼女は父を問いただし、全てを知った。
正攻法でユリウスや仲間を助けることが出来ないことはすぐに悟った。
彼女はなるべく早く、皆を救い出せる方法を探した。
そしてその方法を模索している時に、ふとある噂を思い出した。
『竜を兵器として利用できないか、研究している邪教がある』
竜は神とされる存在である。
だが竜を神とせず、邪悪な存在、災悪だと言っている連中がいる。
そういう連中は、総じて『邪教徒』とされている。
そんな邪教徒のとある集団が、竜を兵器として利用する研究を行っているという噂を、下町の邪教徒が騒動を起こしたときに聞いたのだ。
月竜を兵器として使えるようになれば、ユリウスはリトヴァを説得する必要が無くなり、開放されるかもしれない。
騎士団長には戻れないかもしれないが、どこかで自分と静かに暮らせばいい。
マルクスも救えないが、それはエリーサにとっては仕方のないことで処理をした。
ユリウスと仲間を救えれば……否、ユリウスさえ救えればそれで良かった。
エリーサはユリウスを愛していた。
憧れだった。
ユリウスの近くにいるためだけに色々な差別や侮辱に耐え、女性の身でありながらも騎士としてやってきたのだ。
ルフラン荒野では自分は足手纏いになってしまった。
今度は自分がユリウスを救ってみせる。
心に誓い、エリーサは急いで行動に移した。
まず父に邪教徒の兵器の噂について話した。
上手くいけば月竜を意思に関係なく利用できるようになる。
そうなれば王には都合が良い。
金と地位に固執している父なら協力してくれるだろうと思った。
それに一人でことを進めるのは難しいし、途方もなく時間がかかる。
父からは予想外な返事が返ってきた。
父はその邪教を知っていた。
いや、正確には邪教ではなく、国が極秘に行っている研究所がある、ということだった。
エリーサはそこに連れて行って貰えるよう頼んだ。
最初は断られたが、月竜の姿を見たことがありユリウスとの戦いも見ている上、魔法使いとしても優秀だから役に立つはずだと、駄目なら直接陛下に直談判すると詰め寄ると案内してくれた。
研究所は王都のすぐそばにある廃墟の地下にあった。
研究は古代遺跡から見つかった魔道具や資料を土台にして始められ、あと一歩の所まで完成していた。
とは言っても、この状態で何年も行き詰まっているということだった。
エリーサは研究者達に協力した。
月竜について知っていることを全て話し、魔力が必要な時は自分の魔力を差し出した。
そして普段姿を見せない月竜だが、ユリウスには見せていたこと思い出し、ユリウスの部屋に行ってみた。
主のいない冷たい部屋だった。
エリーサは改めてなんとしてもユリウスを助け出すと心に誓った。
部屋には特に何もなかった。
すぐに出ようと思ったがふと、ベッドが気になり近寄った。
シーツに皺が入っている。
几帳面そうなユリウスからすると意外だった。
ここにユリウスが寝ていると思うと胸がどきりとした。
高鳴る胸を抑えながらシーツを整えてやろうと手を伸ばすと……きらりと光るものがあった。
長い銀の髪だった。
ユリウスの君は金色だし、短い。
女の髪だと思った瞬間、全身が凍った。
だがすぐに分かった。
月竜が人の姿をとっていた時、銀の髪だった。
これは月竜のものだろう。
だが月竜の髪がどうしてベッドにあるのかは気になった。
まさか、ユリウスと男女の仲になったというのか。
そんなことはあるはずがない。
自分に言い聞かせながら、月竜の髪を研究所に持ち帰った。
なんとなく持ち帰った髪だったが、それが大きな成果を生み出した。
何年も行き詰っていた研究が一気に進んだ。
そして、試験始動出来るまでに至った。
この兵器は竜の力を吸い上げ、凝縮し、撃ち出す大砲のようなものだ。
威力は街一つは簡単に消し飛ばすことが出来るほど強力だ。
竜の力を吸い上げるための封印は古代遺跡で見つかったものを改良し、性能を上げた。
ただ魔方陣は固定するしかなかったため、竜を魔方陣まで連れてこなければならない。
その手段をどうするか検討が始まっていた矢先、何故か竜の方から魔方陣の上に姿を現したのだ。
この好機を逃すはずが無く、装置はすぐに起動。
試験運転を行ったところ、見事成功したのだった。
エリーサは兵器の成功をすぐにでも報告し、ユリウスを救出しようとしたのだが――。
「その竜がお前だってことが分かって大慌てさ。くっく」
エリーサは自分ではどうすることも出来ないことが分かっていた。
そしてユリウスを助けることが出来る唯一の心当たりを頼ったのだ。
「我に向けて『助けて欲しい』と泣き叫んでおってな。我を道具にしようとしていたというのに、都合の良いことよのう。だが、心の広い我は願いを叶えてやった」
『ユリウスの身代わりになる』という手段を使って。
兵器は竜の力を吸収する。
その吸収に耐えるため、エリーサと眷属である泥竜を融合させた。
泥竜は『竜』とつくがただの眷属であり、人からすれば魔物だ。
魔物とエリーサを融合させたのだ。
そして、ユリウスの身代わりにした。
――ムオオオオオオォォォォオオオオ
エリーサが、エリーサだったものが鳴いた。
『見ないで』
そう聞こえた気がした。
「エリーサ……」
ユリウスは震えていた。
ユリウスには分かっていた。
エリーサは元の姿には戻れない。
そして下位の眷属とはいえ、竜に連なるものと混ざったしまった以上、不死ではないが簡単に死ぬことも出来ない。
自分が加担して作ったこの装置に磔にされたまま、力を奪われ続け、長い月日、醜いままで果てるのを待つしかないのだ。
なんと残酷なことなのだろう。
怒り、悲しみ、後悔、そして絶望。
その矛先は自分に向いた。
自分の心が折れていなければ、自分がもっと強ければ、エリーサがこんなことにはならなかった。
彼女が自分を慕ってくれていることは、なんとなく気がついていた。
自分のことを慕ってくれている女性を、部下を、守ってやることが出来なかった。
守るどころか不幸にしたのは自分なのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
「俺は……俺は、何をやっていたんだ!!!!」
握り締めた拳から血が流れた。
その場に崩れ落ち、流れる血も気にせず床を殴り続けた。
竜になったというのに、神になったというのに無力だ。
女一人救ってやれないなんて、これのどこが神なのだ。
「番殿が健勝でなによりだ」
場違いな嬉々とした声が響いた。
「お前……」
次に怒りの矛先はリトヴァに向いた。
そもそもこの悪魔がユリウスを竜にしてここに送ったのだ。
「何故こんなことをした」
「何のことだ?」
「ふざけるな! 俺をここに送ったのはお前だろう! 最初からそれが目的で、俺を竜にしたのか!」
激高するユリウスを尻目に、リトヴァは冷めた目でユリウスから距離をとり、つまらなそうに話した。
「我が仕組んだわけではない。ただ、人が下らないものを作っているのが分かっていた。そこにお前という有効利用出来る面白い玩具を見つけた。玩具を使って構ってやったらおまけがついてきた。ただそれだけのことだ」
「オマエ……」
「その女は我を道具にしようとしたのだ。自業自得、因果応報というやつだ」
「オマエハアアアアア!!!」
確かにエリーサのしたことはユリウスを救うためだとはいえ褒められたことではない。
道具にされようとしていたリトヴァからすれば自業自得かもしれない。
だが、あまりにも無慈悲だ。
分かっていたことだ、この竜が残酷であるということは。
ユリウスは身をもって思い知らされていたことだ。
だが、エリーサにした仕打ちはあまりにも惨い。
「いい加減にしろ……お前は……お前は……神なのだろう!? 何故こんな残酷なことばかり!!!」
怒りで意識が飛んだ。
目の前が真っ白になった。
ユリウスの目にはリトヴァしか入らなくなった。
残酷な幻覚、自分を竜にしたこと、エリーサにした仕打ち。
それらが頭の中で再生されていく。
殺意で頭が埋まった。
目の前が真っ赤に染まった。
――ユルセナイ、コロシテヤル
必ず殺す。
不老不死だなんて知らない、死ぬまで殺してやる。
「お前はあああああ必ず始末してやる!!!!」
ユリウスは『逆鱗』と呼ばれる竜の災厄を起こした。
その怒りは鎮まることがなく、二日、三日と続き、焦土が広がっていった。
十日目。
ラハティという国は、地図から無くなった。
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