第二十二話 月竜ユリウス

 クルセニアの件が収束していない中、ユリウスは王に呼び出され告げられた。


「次はマルクスを落とす!」


 マルクスとは近隣国の一つで隣接しており、一番の友好国である。

 ラハティは資源が豊富、マルクスは医療分野が発達した宗教国家。

 お互い得意な分野を生かし合い、肩を寄せ合って来たような関係だった。

 そこを侵略し、全て奪おうというのだ。


 クルセニアは向こうから侵略をしてきた。

 だから守った。戦った。

 だが、今度は……。


「月竜がいれば容易いだろう!」


 目をギラつかせ、にったりと笑う王の顔を見ると吐き気がしてきた。

 誰にも分からぬようユリウスはこっそりと溜息をついた。

 クルセニアとの一件が悪い方向に向かった。


 この国には友好国であるマルクスからも人が入り、沢山暮らしている。

 騎士の中にもマルクス出身の者もいる。


「これ以上月竜の助力を得ることは不可能でしょう。竜が人の争いに関わることを良しとしていないようですから」


 マルクスとは戦いたくない。

 戦う理由がない。

 だからユリウスは嘘をついた。

 リトヴァはユリウスが手を貸して欲しいといえば、動いてくれるだろう。

 竜にとっては人がどれだけ死のうが生きようが関係はない。


 また、リトヴァが人の争いに手を貸したからといって他の竜が怒り、出てくるようなこともない。

 各々の領域を汚されなければ、他の竜達が出てくるようなこともないのだ。

 それだけ竜にとって人間の縄張り争いなど些細なことなのだ。

 何か不都合が出てきても邪魔になれば消せばいい、それだけなのだから。


「お前がなんとかしろ。前回も出来たのだ。同じようにやればいい。出来なければお前に責任をとって貰おう。いや、お前だけでは足りないな。お前の親族、友人、部下、どれだけいれば足りるだろうな?」

「……それは。本気で仰っているのですか」


 王とその脇に控えている宰相を見る。

 宰相は目を瞑り、表情をなくしていた。


「無論だ」


 王の顔に張り付いていた下卑た笑みが深さを増した。

 いつからこの王はここまで堕落してしまったのだろう。

 昔は気は弱いが、まともな考えを持った方だと思っていたのだが……。


「三日やる。その間に月竜を言い包めろ!」


 馬鹿馬鹿しい命令が耳に響いた。

 返事はしないまま部屋を出た。

 王の小言が耳に入ったが耳障りなだけだった。




 ※※※




「隣国を焼き払えばいいのか? それとも王を焼き豚、否……あれは痩せた駄犬だから、炭犬にすればいいのか?」


 ユリウスの私室のベッドには銀の美女が横たわっていた。

 月竜リトヴァだ。

 悪人のような笑みを浮かべて笑っている。

 神眼でユリウスに起こることは全てお見通しであった。


「個人的には後者がいいが、そうもいかん」

「お前は神にも王にも無礼な奴だな」


 クスクスと笑いながらベッドの上を転がる美女。

 おかげでシーツが皺だらけになっていた。

 ユリウスはベッドの端に腰かけ、皺を伸ばす。

 そんなことをしていると、いつの間にかユリウスの太股はリトヴァの枕にされていた。


「で、どうするのだ?」


 見上げてくる真紅の瞳に吸い込まれそうで恐ろしい。


「我は何を焼けば良い? 国の上の者を殺して戦争を止めるか、大人しく言うことを聞き他国の者を犠牲にするか。お前はどっちを選ぶのだ? 面白いのう。ついてきて正解だ」

「……殺すことだけが解決方法というわけではない」

「ほう?」


 唇はニヤリと弧を描いている。

 心底楽しそうだ。


「我にあれだけ人を殺すように頼んでおきながら、善人ぶるか」

「…………っ」


 攻めてきたのはクルセニアであるし、自国を守るためではあったが……。

 ユリウスがリトヴァを頼ったことにより、命を落とした人がいることは確かだ。

 戦争では……あの状況ではやらなければやられていただろうし、人の命を奪う覚悟はできていたが、自分の手ではなく竜といえど他者に手を汚させたことは、ユリウスの中で忘れてはいけない業として傷となり、疼いていた。

 それを分かっていてリトヴァはわざと傷に塩を塗るのだ。


 リトヴァは出会った日から今までユリウスに纏わりつき、いつもこの調子だ。

 楽しそうにしている姿だけを見ると警戒心が緩んでしまいそうになるが、あんな残酷な幻覚を見せる残虐性がある存在だということを忘れてはいけない。

 リトヴァに注意を払いながら、王から言われたことも考えなければならない。

 ユリウスは気が滅入りそうだった。




 ※※※




「宰相殿も、マルクスを攻めるべきだとお考えですか?」


 どれだけ考えても命の選択をすることは出来なかった。

 やはり『王の考えを変えるしかない』という考え至る。


「侵略したところで王に統治出来るとは思いません」

「口を慎みなさい」


 宰相は王よりも二回り歳が上で、先代王から続けて長年宰相を務めている。

 堅実で信頼出来る人物……のはずである。

 宰相がマルクス侵略を行うという王に黙って従っているのが、不思議であった。


  宰相の考えていることが分からず、真意を図るため黙ってその顔を見つめた。

 そんなユリウスの視線を受け、宰相は一息吐くと口を開いた。


「王は……恐ろしかったのだよ。クルセニアに攻められたことが。だから国力を増すためにマルクスを手に入れ、そして医療資源も手にいれ、この国の……いや、ご自身の身の安定を図りたいのだ」


 宰相が口にしたのは、考えもしなかった王の自分勝手な理由だった。

 開いた口が塞がらない。

 より一層王に失望したが、こんなことを分かっていながら止められない宰相にも失望した。


「……そのために我々や国民、マルクスの人々の命がどうなっても良いと?」


 怒鳴りたい衝動を殺しながら、言葉を零す。


「分かってくれ、私では王を説得出来なかった。今、王に寄り添っているのは私ではない。愚者ばかりだ。……今のは忘れてくれ。私も老いたものだ」

「宰相殿……」


 窓の外に向けた寂しそうな目を見て、悟った。

 宰相は諦めた、見捨てたのだと。

 かつては宰相と二人三脚でやっていた王だが、今は私欲や保身に走る幹部連中に取り込まれてしまった、ということなのだろう。


「騎士団長ユリウス殿。この老木ではもう力になれない……すまない。私はもうすぐ、城を出る」

「……分かりました」


 宰相を責めることは出来なかった。

 落ちていく王の側で、人知れず抗い続けていたのだろう。

 疲れ果てたのか、威厳のあった風格がなくなっていた。


 宰相は諦めてしまったが、自分まで諦めるわけにはいかない。

 王に悪害を及ぼしている幹部達に会おうとしたが、面会が受け入れられることはなかった。

 一人の力では無理だと有力貴族に助力を願おうとしたが、王の妨害があり上手く身動きがと取れないまま期日を迎え、王の執務室に呼び出された。


 そこに宰相の姿はなかった。

 代わりに会うことの出来なかった幹部の姿があった。


「月竜を説得出来たか」

「陛下、マルクスは友好国です。この城にもマルクス出身者がいます。どうかお考え直しください」

「それは説得出来なかったということか?」

「陛下!」

「こいつを牢にぶち込め!」

「どうか、話を! 陛下!」


 そのままユリウスは重罪の者が放り込まれる囚人塔の最下層、『死人穴』と呼ばれるところに放り込まれた。


 王はユリウスの話を全く聞かなかった、聞くそぶりも見せなかった。

 ユリウスは落胆した。

 この国は終わりかもしれないと思った。

 親族はいないが、親身になって世話をしてくれた周りの人。

 友人、部下達。

 彼らのことが心配だった。




 ※※※




 『死人穴』。

 入り口には重厚な扉がついているが、それ以外はただの岩の洞窟だ。

 仄かに光る鉱石があり、少し周りを見ることが出来るがほとんど暗闇に近い。

 部屋になど分かれていなく、ただ蟻の巣状に洞窟が広がるばかりだ。


 食事は天井部分に開いた拳くらいの大きさの穴から放り込めるようになっているが、基本ここに入った者に食事は与えられない。

 飢えて死ぬだけだ。

 複数人収容されている時は殺し合いが起きたり、共食いが起きたりもする。

 今はユリウス一人のはず、だったのだが……。


「随分なもてなしを受けたようだな」

「リトヴァ……」


 難攻不落の収容塔も竜には関係ないらしい。

 いつの間にかユリウスの腕に絡みついていた。

 周りは暗く、僅かな表情が見えないがやはり楽しそうだ。


「さあて、お前はこれからどうなるのだろう。ここで飢えて死ぬか? その様を眺めるのも楽しそうだ」

「悪趣味め」

「ふふ。どうする? お前が望むならここから出してやってもよいぞ?」

「…………」


 この悪趣味な竜が単純に助けるわけが無い。

 飢え死ぬ様を見るより楽しいと思うことを要求するに違いない。


「何が望みだ」

「いや、なに。少し面白そうなことを思いついてな。お前、竜にならないか?」

「竜?」


 あまりにも気軽に聞かれ、一瞬理解出来なかった。

 竜になる。

 そんなことが出来るのだろうか。


「我の核を分け与えることで、お前は我の番竜になる。竜になれば不老不死、そして我と同等の力を手に入れることが出来るぞ」


 不老不死……竜の力……。


 圧倒的な誰にも屈しない力。

 魅力的だと思った。

 だが理解出来ない。


「お前に利益はあるのか」


 薄暗い中で、にやりと笑ったのが分かった。


「お前で遊べる。永遠にな」


 背筋が凍った。

 冗談じゃない。

 それは永遠の牢獄だ。


「そんな嬉しそうな顔をするな。ゆっくり答えを出すといい。……餓死するまでにな。くっくっ!」


 やはりこれは神ではない。

 魔物……いや、悪魔だ。




 ※※※




 投獄されてから丸三日経った。


「まだ公にはなっていないが、お前は反逆罪ということになっているようだ。それとな、お前の部下達にも我を説得するように命令しているようだぞ。まあ、お前以外の奴には姿を見せんから説得もなにもないのだが。なんならお前としたように戯れてこようか? 中には骨のある奴もいるかもしれん」

「やめろ。この国では俺以上に強い奴はいない」

「随分と自信があるのだな、騎士団長様? ところで、我が番になる気になったか?」

「うるさい」

「つれないのお。我はこんなにもお前を気に入ったというのに。……玩具として」

「黙っていろ」

「くっくっく」


 リトヴァは周りの状況を見ては報告し、ユリウスの反応を見て楽しんでいる。

 鬱陶しくて仕方が無い。

 腹も減ってきた。

 苛々する。

 問題を打破するため、試行錯誤しているが一向に解決の糸口は見えない。


 ――更に七日が過ぎた。


 不定期に王の使いが「竜を説得すれば開放してやる」と話しかけてきたが、相手にしなかった。

 逆に王を説得するように話したが無駄に終わっている。

 魔法で水を出して、飢えを凌いでいるが本格的に腹が減った。

 空腹で頭もあまり回らない。

 食料になるものは何も無かったし、脱出の方法もない。

 リトヴァは相変わらず弱るユリウスを見て楽しんでいた。


「一つ楽しい知らせだ。我を説得出来なかったお前の部下達がもうすぐここに来るぞ。良かったな、賑やかになりそうじゃないか」

「な、に……?」


 どういうことかと問いただそうとした瞬間、重い扉を開けようとしている音が聞こえてきた。

 複数の人の気配もある。

 リトヴァの話は残念ながら真実だったようだ。


「さあ、どうなるかな? 共食いでも始めるか?」

「黙っていろと言っている!」

「ふふ……見ているぞ。ずっとな……」


 そう言ってリトヴァは姿を消した。


 扉が完全に開き、何日か前の自分のように無造作に放り込まれる人影が見えた。

 だがユリウスの時よりも騒々しく、かなりの人数が入れられたようだ。

 リトヴァが言うのだから間違いなくユリウスの部下達なのだろう。

 扉の方に様子を伺いにいく。

 そこにいたのは、リトヴァに会うために選抜した連中だった。

 ただ、エリーサの姿は無かった。


「団長……」


 皆が悲痛な表情で、ユリウスを見ていた。

 まだ余裕はあるがユリウスは窶れ、疲れた顔をしていたらしい。


 その後、皆から上の状況を聞いた。


 やはりユリウスは、まだ公にはなっていないが『反逆罪』ということになっているらしい。

 なんでも月竜の寵愛を受けたのをいいことに、月竜を使ってこの国を乗っ取る企てをしたとか。

 馬鹿も休み休み言え、と思った。

 

 部下達にも月竜に助力して貰えるよう確約をとれと命令がされていたらしい。

 だが、肝心の月竜が見つからず、話が進まない。

 そして最終的には、月竜との交渉はユリウスにしか出来ないということになったそうだ。


「それで、何故お前達は揃ってここに放り込まれることになったのだ?」

「それが……団長を説得してこいと」


 ユリウスを説得することが出来れば開放する、そう言われているらしい。

 空の体に沸々と怒りが込み上げてきた。

 卑怯な、これが一国の王のやることなのか。


「団長、どうして月竜に助力を願わないのです? 団長の意には沿うと、月竜は明言していたと聞いたのですが」

「お前達は月竜に何をさせたいのか聞いていないのか?」


 全員が顔を見合わせて首を横に振っている。


「国に助力としか……」


 マルクスを攻めるということは伏せたようだ。

 中にはマルクス出身者もいるし、関係者もいる。

 それに情報が漏れる心配もある。

 どこまでも姑息な奴らだった。


「『マルクスを落とせ』と言っている」


 皆が言葉を失った。

 目を見開いたまま固まった者、倒れるように崩れ落ちた者、放心した者。

 反応は様々だが誰も声を発することが出来ない。


「無用な血を流すことは出来ない」


 しばらく静寂が場を支配した。

 ユリウスは皆から少し距離をとり、地面に座っていた。

 これからどうするべきか。

 王の要求は聞けない。

 だが、それをすると自分は兎も角、部下達がここから出られない。

 飢えて死ぬしかない。


 リトヴァの顔が浮かぶ。

 ……駄目だ、それは出来ない。

 そもそも自分のような人間が、たとえリトヴァの玩具用だとしても『神』といわれる竜になるのは恐れ多いのではないかと思った。


 否。それは建前だ。

 本心は恐れている。

 リトヴァの意のままになることを。

 浮かぶのは弄ばれた記憶。


 だが、ユリウスさえ耐えることが出来れば、全て解決出来るのではないだろうか。

 竜になれば部下達もこの国も救える、マルクスの人々の平和を乱すこともせずに済むのではないか。

 全てが上手くいくように思えた。


「……長、団長!」


 気がつくと、部下達が周りを囲っていた。


「団長、やはり団長は間違っていなかった。我々は団長の意思に従います」

「お前達……」

「月竜の任務の時、我々は足を引っ張ることしか出来なかった。今度こそ我々は団長の力になりたいと思います。ここから出る方法、マルクス侵略を止める方法、きっとみつけますから!」


 嬉しかった。

 弱っていたからかもしれないが、不覚にも涙が出そうだった。

 自分は一人じゃない。

 仲間がいる。

 どこかで自分にしか解決できないと傲慢な考えをしていたのかもしれない。

 愚かな自分が恥ずかしくなったが、胸に暖かいものが込み上げていた。


「団長は休んでいてください!」

「ああ、そうさせて貰おう。……ありがとう」


 こんな薄暗い中なのに眩しい笑顔を浮かべて、部下達は行動を開始していった。

 まずはユリウスもやったことではあるが、脱出できないか模索したようだ。

 だが、やはり難航しているらしい。

 ユリウスも魔法や力技、一通り試したが強行して出ることは無理だったし、出口になるようなところも見つからなかった。


 不定期に訪れる王の使いを取り込もうとしたが彼らでも駄目だった。

 説得を了承したふりをして開放されるように目論んだが、それも失敗に終わった。

 扉を開けることは出来ないかなど、考えられることを全て虱潰しにやっていったが成果はなかったようだ。

 

 その間に十日が過ぎた。

 ユリウスの飢えも限界に達していたが、部下達も疲労困憊していた。

 そして、とうとう衝突が起きてしまった。


 ――手は無い。

 ――あきらめよう。

 ――いや、あきらめるな。

 ――飢え死になんてしたくない。

 ――正義を貫けないなら死んだほうがマシだ。


 力を無くして座り込んでいる者がいれば、怒鳴り合っている者達もいる。


「落ち着け」


 こんな状況で落ち着けなんて無理だとは思うが、この光景は見ていると辛くなる。

 心優しい部下達が歪み合う姿は見ていられなかった。


 だが……状況は人を変えてしまった。

 矛先はユリウスに向き始めた。


「……団長。団長は本当にここにずっと閉じ込められているんですか?」

「どういうことだ?」

「月竜は団長のいうことは聞くんでしょ? だから僕らの見ていないところで外に出ていたり、飯を食べたりしているんじゃないんですか? 団長だけは竜が助けてくれるんじゃないですか! そもそもマルクスを攻めるなんて本当なのですか!?」

「俺を……信じないというのか?」


 分かっている。

 彼らは疲れているのだ。

 だが、寂しくなる。

 心のどこかで思っていたことなのだろうか。


「だって、僕達より前にここにぶち込まれていたっていうのに、まだ平気そうじゃないですか! 精神的にも肉体的にも! おかしいでしょ!? 僕はもう……気が狂いそうだ!」

「団長をただの一騎士でしかないお前と一緒にするな!」

「なんだと!?」

「やめてくれ!」


 部下たちが罵り合うところなど見たくはない。

 止めようとするが空腹で力が入らず、割ってはいることが辛い。

 喋るのも億劫な程だ。

 他の部下達も同じような様子だ。

 このままではいけない。

 なんとか奮い立ち、止めようとしたその時――。


 バタンッ


 ユリウスを庇う発言をしていた部下が倒れた。


「おい……しっかりしろ!」


 駆け寄り、抱き上げたが意識がない。

 いくら呼んでも呼び続けても返事は返ってこなかった。


 彼は死んだ。

 餓死なのか、衰弱死なのか、他の原因があるのか分からないが死んだ。

 あっさり死んだ。

 人とはこんなにもあっさり死ぬのだ。

 ユリウスは絶望した。

 

「……俺のせいだ」


 無意識に呟いた。

 誰からも返事は無かった。

 そうだと思っているのか、返事をする気力もないのか。


 このまま皆死んでいくのだろうか。

 国は本当にユリウス達を殺す気なのだろうか。

 心のどこかでは、限界までくると助けがくるのではないかと淡い期待があったのだが、そんなはずはなかった。


 ――どうだ、竜になる気になったか?


 相変わらず楽しそうな、忌々しい声が頭にユリウスの頭に響く。

 見計らったような間合いだ。

 今、呼ぼうと思っていたところだった。


「お前に聞きたい。お前のいう通りにすれば全て救えるか?」


 ――全て? ふふっ、欲は身を滅ぼすぞ? まあ……お前の頑張り次第だな。だが、一つ朗報を与えるとしたら、竜の力で死んで間もない生物なら蘇らせることが出来るぞ。一日経てばもうただの生きる屍にしかならんがな。


「それは、本当だな……?」


 ――偽りなど言うものか。我が語るは真実のみよ。心は決まったか?


「……ああ。お前の玩具になってやるよ」

「……団長?」


 部下達にはリトヴァの声は届いていない。

 一人で話し始めたユリウスを、心配そうな目で見つめていた。

 ユリウスはその視線に苦笑いをして返した。


「宜しく頼むぞ、我が伴侶よ」


 人の姿のリトヴァが目の前に姿を現した。

 部下達の驚いた顔が見えたが、次の瞬間視界に荒野が広がった。

 リトヴァと初めて会ったあの場所だった。

 一瞬でここまで連れてこられたようだ。


「では早速……期待しているよ」


 あの背筋が凍る笑みを浮かべ、ユリウスに近寄り……。

 次の瞬間、リトヴァの手がユリウスの体を貫いていた。


「え?」


 それは一瞬で、何が起こったか分からなかった。

 止まる思考。

 その間にユリウスを貫いていた手は引き抜かれた。


「あ………ぐああああああああああああああああ!!?」

「ふむ、お前らしい美しい心の臓よ」


 リトヴァの手の上でユリウスの心臓が波打っていた。

 それを愛おしそうに眺めては手から滴る血を舐め、悦に浸っている。


「さあ、番殿。ここからが本番だ。我とたっぷりと混じろうではないか」


 恍惚とした表情を浮かべ、リトヴァは自分の心臓の辺りに手を突き刺し、ユリウスにやったように自らの心臓をくり貫いた。

 だが、リトヴァの手にあったのは心臓ではなかった。

 大きさは心臓と同じぐらいだが、黒い血管の塊のようなものがうねりながら一つの球状を保っている。

 魔物のような気持ちの悪いものだった。

 それを楽しそうに眺めると、ユリウスの心臓があったところに、遠慮なくねじ込んだ。


「ああああああああああああああ!!!!」


 くり貫かれた時よりも、激しい痛みが襲う。


「さあ、ゆっくり我を味わっておくれ」


 ユリウスの体の中を一撫ですると手を抜き、今度はユリウスの心臓をリトヴァの心臓の位置に押し込んだ。


「我の核と融合するのが上手くいけばお前は晴れて『月竜』だ。失敗すれば、まあ……残念だったのう。ああ、あと上手くいくにしても早く終わらせんと、さっき死んだ奴をまともな状態で生き返らせなくなるから気張れよ?」


 何度も見てきた悪魔の微笑を見て、全てを悟った。


「オ…………オマエエエエエ!!!」


 確かに嘘は言っていない。


 だが、失敗があること。

 融合に痛みが伴うこと。

 時間がかかること。

 それらを意図的に言わず、結局はユリウスが最も後悔する結果になるよう仕組んでいたのだ。


「聞かなかったからのう。嘘は言うていないぞ。大丈夫、お前なら。我はここでのた打ち回るお前を、ずっと見守っているからの」


 痛い、苦しい、痒い、くすぐったい、痛い痛い痛い痛い。

 意識を手放したいのに逃げることも出来ない。

 ただ、耐えるしかないのか。

 血が出る。

 いや、血だけではなく、内臓そのものかもしれない。

 何か分からないが、ユリウスから溢れる、止まらない。


 身体の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、余分なものは捨てられ、入れられ、どこまでが自分で何が自分なのかも分からない。

 散らばった全てが自分のようにも思えるし、違うもののような気もする。

 混ざり始めた何かはリトヴァなのか。

 だがリトヴァだけじゃない、もっと多くの、途方も無い多くのものが突き刺さり、注入されていっているように思う。


 気持ち悪い、逃げたい。

 だが何一つ逃げることが出来ない。

 囲まれている。

 何時になれば終わるのだ!?

 いっそ殺して欲しい。

 死にたい!

 殺して、いや……殺してやる!


 視界は何かで見えないがリトヴァの存在は分かる。

 それに向けて思い切り魔力をぶつけた。

 何度も、何度も、何度も、何度も……!

 だがどれだけぶつけてもリトヴァの存在は消えない。

 忌々しい。


 どれだけ時間が流れたか分からない。

 ただ、魔力と殺意をぶつけ続けた。


 次第に、精神と肉体が落ち着いて来ているのが分かった。

 焦点も合ってきたように思える。

 気づけば、視点が高くなっていた。

 体が竜になっていた。

 黄金の鱗に覆われた長い首、六枚の金に輝く翼、紫水晶の瞳。

 リトヴァは小さな竜だったが、ユリウスは大きかった。


「美しい……期待以上だよ」


 気だるい身体を動かし、足元を見下ろすとリトヴァがいた。

 竜となったユリウスの鱗を撫でながら、満足そうにこちらを見上げていた。


「お前はもう月竜だ。そして……竜として、我が番として、早速働いて貰おう。人で言えば『妻を守るのは夫の仕事』、なのだろう?」


 再び、悪魔の、あの氷の微笑を浮かべている。

 悟る。

 何かある。

 そう思った時にはもう手遅れだった。

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