第三話 お願い

「お腹空いてませんか?」


 ヘルミが気遣い、そう問いかけてくれた。

 小腹が空いた程度だったのでお礼だけ言って遠慮したのだが、落ち着くためにも軽く食べた方がいいと用意をしてくれた。

 出されたのは残り物だというバターロールのようなパンとシチュー。

 パンは見た目と反してフランスパンのように固くて驚いたが、シチューはまろやかで美味しかった。

 食べなくても良いと思っていたが食事が終わると一息ついたというか、リラックス出来た。

 ヘルミの気遣いに感謝だ。


 食器を片したところで彼女に今後のことを相談させて貰った。

 まずは寝る場所だ。

 自分に何が起こっているのか分からないが、生きていくにはどこかで生活をしていかなければならない。

 お金もないし、野宿でもいいから安全に眠れる場所がないか聞いた。


「ないですねぇ。村もここだけで、近くには人気のある所なんて何もないですし。ここに泊まればいいじゃないですかぁ」

「有り難いですけど、流石にそういうわけには……」


 本来の自分であればお言葉に甘えさせて頂くところだが、今は一応体が男だし、自分が何者かさえ分かっていない。

 気持ちは嬉しいが、ヘルミも不用心なことを言う。

 気をつけなければいけないぞ。


「一応私も男なので、不用意に泊めるのは良くないですよ」

「上がりこんでる人に言われてもねぇ」

「……まあ、それはそうなんですけど」


 確かに「どの口が言っているのだ」と言われても仕方無い。

 ご尤もです。

 素敵な笑顔で笑い飛ばされてしまった。


「それに野宿はやめた方が良いですよぉ。夜は魔物が出るかもしれませんから」

「魔物……」


 そうか、神様がいるのだから魔物くらいいるだろう。

 普通の動物、猪や熊……いや、野犬ですら怖いのに『魔物』なんて対処出来ない。


「泊まればいいじゃないですか。貴方様は悪い人ではないでしょう? それとも何か悪さをするおつもりですかぁ?」

「いや、それはないです。絶対しません!」

「そうでしょう?」


 「信用している」と言っているような笑顔を向けられ、思わず苦笑した。

 それと同時にしっかりしなきゃという思いが湧いた。

 体は男なんだから、この子に何かあったら私が守りたい。

 結局私は彼女のお言葉に甘え、少しの間家において貰うことにした。


「村で仕事とかないですかね?」


 一先ずお世話になることになったが、いつまでも甘えているわけにはいかない。

 自分で生活出来るように、お金を稼がなくては……。

 正直まだ「夢かも」と、思っている部分も少しある。

 元に戻れるのであれば戻りたいし、こうなった原因も知りたいのだが、調べるにしても先立つものが必要だ。


「うーん、村の皆は自給自足でやってますから。仕事なら私の手伝いをしませんか?」

「貴方の?」

「はい。中々良い儲けになりますよぉ?」


 毒蜘蛛の森で薬草を集めて、それを村人やたまに訪れる商人に売っているらしい。

 村で毒蜘蛛の森の毒に耐えられるのはヘルミだけで、競争相手がいないため儲けが良いとか。

 人手が増えればもっと稼げるということだった。


「私に出来ます?」

「大丈夫ですよぉ。千切って集めるだけですから。あそこは毒がやっかいなだけで、毒が平気な貴方様なら何も問題ないですよぉ!」

「そうですか、じゃあ頑張ります。あと、私に出来ることであればなんでも言ってください。雑用とか、力仕事とかでもなんでも……」


 仕事の手伝いだけでは申し訳ない。

 体は男だから力仕事は出来るだろうし、家事は今まで一人暮らしをしていたので一通りはこなせる。


「はい。 お願いしま……って……えぇ!? な、なんでも、ですかぁ!!!?」

「え、はい……」

「ナンデモ!!」


 一旦普通に頷いたのだが……急に目を見開き、椅子から落ちそうな憩いで驚いた。

 何事ですか?

 大人しくなったかと思うと今度は下を向き、ぶつぶつと呟いている。


 何か悪い物でも食べたのだろうか?

 恐る恐る見守っていると急に顔を上げ、ギラついた目で私を見た。

 まるで獲物を見つけた肉食獣のような目だ、怖い。

 ……嫌な予感がする。


「ひとつ、お願いがありますぅ!」

「は、はい。なんでしょう」


 何を言われるのだろう。

 お世話になったし、まだお世話になるし、出来るだけ力になりたいが……無茶なこと言われたらどうしよう。


 身構えて待つ私を見据えながらヘルミは椅子を倒す勢いで立ち上がり、テーブルに両手を叩きつけ身を乗り出した。

 この気迫はなんなのだろう。

 刑事に取り調べを受けている無実の容疑者の気分だ。


「ここにいる間、私の恋人になって欲しいんですぅ!」

「…………?」


 コ、コイビト?

 ああ、『恋人』?

 え?

 ……ああ、そっち系の話ね。

 中々難易度の高いオーダーが入りました。




 ※※※




「すみません、取り乱しました……」

「いえ……」


 我を取り戻した彼女は、すとんと椅子に腰を落として小さくなった。

 良かった……そのまま喰われるんじゃないかと思う程の迫力だった。


「恋人の『ふり』でいいんです」

「ふり、ですか。理由を聞いても?」


 この素晴らしい美貌に惚れてしまったのかと思ったが、なんとなく彼女の様子からそうではないような気がした。

 事情がありそうだ。

 下を向いていたヘルミは、ちらりとこちらを見るとぽつりぽつりと語り出した。


「……見返したいんです」

「見返す?」

「はい……私を捨てたあいつに、私からあいつを奪ったあの女に、こんな素敵な人と恋人になったんだぞって! う、うわあああああん!!!」

「!? え、落ち着いて!」


 今度はテーブルに突っ伏して号泣が始まってしまった。

 忙しい子だ、泣かないで!

 女の子に泣かれるとどうしていいか分からない。

 こんなところで男心を知ってしまった。


「泣かないでよ」


 席を立ち、ヘルミの横でしゃがんだ。

 失恋した友人にしてあげた時の様に頭を撫でてやると、鳴き声がピタッと止まった。

 泣き止んだのかと顔を覗くと、頭を横にしてこちらを見たヘルミと目が合ったので、困った表情を残したまま微笑んだ。

 どうしたらいいか分からないから、取りあえず起きて?


「はう……死にそうですぅ」

「?」


 泣いたせいか耳まで真っ赤になったヘルミが、ゆっくりと体を起こした。


「えっと……あの、つまらない話ですけど、聞いて貰えますか?」

「はい。私でよければ」


 今度こそ話が聞けそうなので席に戻り、彼女の話に耳を傾けた。

 ヘルミはいつの間にか持っていた手ぬぐいで、鼻を啜りながら語り始めた――。


「私には恋人がいました。そいつとは幼馴染みで、子供の頃からいつも一緒で……。お互いに大人になったら夫婦になるものだと思っていました。口約束でしたが婚約もしていて……成人になる今年は『夫婦の誓い』を交わすのだと思っていました。それなのに……」


 思い出しながら語っているようで、ヘルミの目には薄らと涙が浮かんでいる。

 言葉にするのが辛いところになったのか、言葉に詰まったヘルミは再び下を向いてしまった。

 黙って次の言葉を待つ。

 いや、横に行って背中をさすってやった方が良いかと迷い始めた、その時――。


 バンッ!!


 突如大きな音が家の中に響き、驚きで思わず肩が跳ねた。

 何が起こった!?

 音がした方、正面を見ると……。


 ヘルミが立ち上がり、鬼の形相で机に手をついていた。

 えええ……!?

 どうやら今の音は、ヘルミが机にドンッと両手を突いた時に発生したらしい。


「あの阿呆はぁ! 他の女と夫婦になると言い出したんです! それも祭りで村中の人が集まっている中で! 村の皆は、当然私達のことを知っていましたから、一斉に私のことを見ましたよ! でもあの阿呆は空気を読まず、私にも目もくれず、相手の女を紹介しはじめましたよ! それがどこで拾ってきたのかしれないけど、偉く綺麗な女でねぇ! その時の村の皆の心の声が聞こえましたよ、私には! 『ああ、そりゃ乗り換えるなあ』って。私は黙って去りました……空気を読んで! みっともなく騒いでも、後で辛くなるのは自分だと分かりましたしぃ! でもねぇ! 怒りが……怒りが収まらないんですよぉ……ブスにも、ブスなりの見栄があるんですよぉ! 分かりますぅ!?」

「ご、ごもっともでございます」


 噺家も吃驚な流暢な語り、力強くテーブルを叩きながらの大演説である。

 私は姿勢を正して、震えながら拝聴することしか出来ない。コワイ!


「ごもっとも!? 分かるんですか!? やっぱり私ブスですか!?」

「いいえ! そこではなく、お怒りがご尤もだと……! それに貴方はとても可愛らしいですよ!」

「そんな世辞はいらないです! 男の世辞程安いものはないですよぉ! 下らないことばかりほざく口は、糸で縫いつけてやりますよ! 何度も何度も返し縫いして、上から刺繍入れてやりますよ! 下らないことばかりに使う貧相な〇×□△は、引き千切って軒下にでも吊るしてやりますよ! 分かりましたか!?」

「はいっ!!!」


 それから追加講演が始まり、彼女の涙の演説を拝聴しました。


 ――神様、まだ付き合いの浅い私の息子をどうぞお守りください、と祈りを捧げながら……。

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