第二話 死後の世界?

 私は急性アルコール中毒で死んだのかもしれない。

 目覚める直前の記憶を思い出し、そう思った。

 だからここは死後の世界、とか?

 兎に角、人に出会えて良かった……。


「いやあ、本当に助かりました」

「いいえ。困った時はお互い様ですぅ」


 私に声を掛けてくれたガスマスクレディと並んで紫の森を歩く。

 鬱々とした考えが湧き出てくるが、今は蓋をしておこう。

 この近くに住むという彼女は、この森を知り尽くしているということで案内をしてくれている。


 名前はヘルミ。

 ガスマスクをしているので顔は良く見えないが、小柄で歳は十八歳らしい。

 髪はマスクで隠れていないので長い黒髪だということが分かる。

 語尾が上がる口調で、田舎の方言のようなイントネーションがとても可愛らしい。

 救いの神はいなかったけれど、救いのガスマスクレディはいた。


「貴方様、本当に苦しくないんですかぁ?」

「あ、はい。何ともないです」

「凄いですねぇ。ここの毒はかなり危険なんですよぉ?」


 彼女がつけているガスマスクは毒対策で、この森は毒が充満しており、その名も『毒蜘蛛の森』らしい。

 毒対策をしないと入れないと言うが……。

 何故か私は普通に呼吸が出来ているし、体調が悪いことも無い。

 「毒耐性を得ているか、毒防御の装備をしているのでは?」と言われたが、心当たりは無い。

 そもそも『毒耐性』とか『装備』とか、ファンタジー用語を本気で言っているのか謎だ。

 ふざけている様子には見えないが、適応するには情報が足りないし私の頭も追いつかない。


「蜘蛛にも出会わなかったなんて、幸運ですねぇ」

「そうですね……あはは」


 注意点としてヘルミに言われたのだが、蜘蛛は何もせず逃げるとあまり追っては来ないが、手を出してしまうと仲間を呼ぶから取り返しがつかなくなるらしい。

 一匹でも数人がかりじゃないと倒せないくらい強いから、見つけたらすぐに走るように! と念を押された。

 一匹でも強い? 石をぶつけたら死んだけど? とは思ったが、手を出してしまったと言うと叱られそうなので黙っておくことにした。


 とりあえず自分は記憶喪失でどうしてあそこにいたか分からない――。

 そういう身の上にして、ヘルミに行く当ても無いことを話したところ「ひとまず私の家で休んでください」と招待してくれた。

 彼女はここから一番近い村で一人暮らしをしているという。

 得体の知らない男が一人暮らしの女性の家に気軽に行くのはどうかと思うが、お言葉に甘えることにした。

 だって迷子だし、他に頼れる人もいないし。

 私は襲ったりはしないし大丈夫なのだ。

 それと朗報があった。

 私の外見についてだ。


「精霊様かと思いましたぁ!」


 精霊というまたもやファンタジーなものがいるようで、それは総じて見目麗しいらしい。

 精霊が見える人なんて滅多にいないので真実は定かではないようだが、『精霊といえば美しいもの』という認識なのだそうだ。

 それに見間違われるほど今の私は美しいらしい。

 そう言われるとワクワクしてきた。

 早く自分の目でも確かめたい!


 長く伸びた草(紫)を掻き分けながらではあるが、足取り軽く進んで行く。

 暫くすると、周りの草木も見慣れた緑の木々になった。

 鬱蒼と茂っていた草木も人の気配が感じられる程に少なくなった。


「さあ! 毒蜘蛛の森を抜けたんで、村まであと少しですよぉ」


 ヘルミもガスマスクを外し、素顔が露わになった。

 そばかすが愛らしい、歳よりも幼い印象を抱く素朴で可愛らしい少女だった。

 彼女の愛くるしさに癒やされながら足を進める。

 ガスマスクの跡がついているのも可愛い。


 更に少し進むと土で舗装された簡素な道に出た。

 歩きやすくなった道を進むと、目の先に木造の建物がちらほら見えてきた。

 建物の色はくすんだ朱色、瓦屋根は錆びたような青銅色。

 中華風に見えるが、日本の田舎のような雰囲気も漂っている。


「あそこです。私が住む村ですよぉ。うちは一番奥にあります」

「すいません、ご迷惑かけます」


 並んで歩きながら礼を言うと、少し照れながらにっこりと微笑んでくれた。


「いいのよぉ、こんな綺麗な人を家に招けるんだから、竜様のお導きに感謝よ!」

「竜様のお導き?」

「そうよぉ? それも覚えてません? 『世界の全ては竜の瞳、竜の腕に抱かれ、竜の導きによって巡り廻る』ですよぉ」


 伝承なのかことわざなのか分からないが、ヘルミが言った言葉は誰でも知っているものらしい。

 『竜』というのはそれだけ浸透しているということか。

 よく見ると民家の屋根には、ちらほらと竜の像がついていた。


「神様みたいなもんってことですか?」

「何言ってるんです? 『みたい』じゃなくて神様ですよぅ。『神様』も『竜様』も同じですよ?」


 顔には「そんなことも知らないの?」と書かれているようだ。

 まずい……変なことを言ったようなので適当に誤魔化そう。


「え、あー記憶がまだ混乱してるみたいで」

「そうみたいですねえ。ご飯食べてゆっくり休んでください」

「ありがとうございます」


 都合の良い設定をしておいて助かった。

 便利な記憶喪失設定を駆使し、色々常識などをさりげなく聞いていった方がよさそうだ。

 農業用水路に沿った村の道を通り奥へと進む。

 途中田んぼや畑で農作業に勤しむ村人を見かけたが、忙しいのか私たちに気づく人はいなかった。


「ここです。ボロ家で散らかってるし、みっともないんだけど、入ってくださいなぁ」


 村の道の行き止まり。

 背の高い木々に埋もれるようにして彼女の家は立っていた。

 見かけた家の中では一番小さく、森に飲み込まれているようにも見えた。

 ……虫が多そうだな。

 やや失礼な感想を抱きながら、一歩中に足を踏み入れた。


「お邪魔します」


 中も想像通りあまり広くは無かった。

 区切りがなく台所やベッド、箪笥など家財道具が全て見渡すことが出来る。

 十畳くらいの広さはあるが家具や設備に場所を取られ、より狭く見えた。


 状態は確かにきっちり綺麗に整頓されているとは言い難いが、散らかっているという程でもない。

 個人的にはこれくらい生活観がある方が好きだ。


「とりあえずお茶を入れますので、適当に座っててくださいねぇ」

「あ、お構いなく」


 お茶を入れると言ったヘルミは、炊事場の四角い薄い台のようなものの上に手鍋を置いた。

 コンロやIHヒーターみたいなものなのだろうか。

 台の側面についている小さな水晶に指を当てると、それは微かに淡い光を放った。

 まるでスイッチのようだ。


「あの、それ何?」

「それ? 『加熱器』のことですかぁ?」


 加熱器ということはやはりコンロのようなものなのだろう。

 動力は何なのだろうか。

 コンセントは見えないし、何かと繋いでいるようには見えない。


「それは、どうやって動いてるんです?」

「どうって、魔力ですけど……。そういうのも覚えてないんですかぁ?」

「ど、どうも……そうみたいで。あはは」


 魔力だなんてまたまたファンタジーなものが出てきた。

 やはりふざけている様子はない。

 死後の世界かどうかは分からないが、ここはファンタジーな世界であるということは間違いなさそうだ。


 便利な記憶喪失設定を理由に、部屋にある家電のような機器を説明して貰った。

 まずは先程のコンロと似ている『加熱器』。

 そして冷蔵庫のような『冷却器』。

 サイズはホテルについている小さい冷蔵庫くらいだ。

 あとは水道のような役割の『製水器』だが、これは桶のような容器に水が溜まる仕組みだった。


 どの道具も魔吸石という水晶のような石に触れることで起動する。

 体から魔力を吸い取り、供給させて作動させるらしい。

 スイッチ兼、エネルギー供給という感じだ。

 冷却器のような継続的に魔力がいるものは、定期的に触れなければならないとか。

 その機器に必要な魔力量は魔吸石に設定されているらしい。


「魔力を吸い取られてるって疲れないんですか?」

「これくらいなんともないですよぉ」


 必要な魔力はどれも大した量ではないとか。

 これらの機器を使って、魔力切れを起こすなんてことは滅多にないらしい。

 たとえ起こしたとしても休めば回復するから、そういうことを気にする人はいないんだとか。

 風船を膨らませるため、息を吹き込む程度の疲労なのだと思う。


 電力は無いが、代わりに魔力があるような感じだなあ。

 栄えた都市部や裕福な家では魔力を供給しなくてもいいものがあるらしいが、一般的には魔吸石の機器が多いらしい。

 魔力が無い人はどうするのかと聞くと、この世界には『魔力のない生物はない』という答えが返ってきた。

 ……ということは私にも?


「それ、やってみていいですか?」

「どうぞぉ」


 ヘルミが再び加熱器の魔吸石に触れると、淡く灯っていた光が消えた。

 そうやって消すのか。

 スイッチオフの方法は色々あるそうだが、大体は再び触れるかオフ用の魔吸石に触れるからしい。

 そんな話を聞きつつ、恐る恐る加熱器の魔吸石に触れた。


 ――ホワッ


「おおっ」


 本当に触れるだけで稼働させることが出来た。

 魔法使いになった気分だ。

 面白い。

 魔力を吸いとられている感触は特になかった。

 楽しくて悪戯をしている子供の様に、何度も着けたり消したりしてしまった。


「ふふっ。満足されましたかぁ?」


 遊んでいると笑われてしまった。

 小さな子供を見ているような微笑を向けられ、恥ずかしくなった。

 はい、とっても楽しかったです……。


「ありがとうございました」

「さあさあ、あちらでかけてお待ちくださいねぇ」


 促された椅子に腰掛け、大人しく待つことにした。

 あまり部屋をきょろきょろ見回すのも失礼かなと、ぼーっと彼女の背中を眺めてみる。

 普通の女の子で可愛らしい後姿だ。

 顔も目はパッチリしているけど少したれ目で、どこかタヌキ……いや、アライグマっぽい。


 自分が男だったら、こういう女の子を好きになると思う。

 あれ、そういえば今は男だった……だからといって襲ったりはしないが。

 だが一人暮らしの女性宅に、見知らぬ男が長居するのは良くないだろう。

 早々にお暇した方がよさそうだ。


「そんなに見られちゃ穴あきますよぅ」


 お茶の準備が出来たようでお盆を持った彼女が、くすりと笑いながらテーブルの前までやってきた。


「どうぞぉ」

「ありがとうございます。すいません、見惚れてました」

「こんな貧相な小娘によくいいますよぉ。見惚れるのは私の方です。あ、ほら。ご自分でご覧になってください」


 お茶を置くと、箪笥から取り出した手鏡らしきものを渡されたので受け取った。

 そうだ、この姿をまだ見ていなかった。

 初めてのご対面だ。

 どうしよう、どきどきする……恐る恐る鏡を覗き込む。

 そこには――。


「うわ……」


 『眉目秀麗』


 そんな言葉でも物足りないだろう。

 誰が見ても息を呑むほど美しい、背筋が凍りそうな程の美貌がそこにあった。

 実際、私も鏡にうつる姿を見ながら固まった。


 瞳は夜空を集めたような紫水晶。

 整った目鼻立ちは凛々しく迫力があった。

 若くはあるが『王子様』というより『皇帝』といった方が似合う。

 髪は長かったので金髪だと分かっていたが、この美貌と合わせてみるとより輝いて見えた。


 正直引いた。

 なんなの、人間離れしたこの美しさ――。

 中身になっている自分と不釣合いすぎて心臓に悪い。

 綺麗過ぎて芸術品……作り物のようだ。


「どうですぅ? 思い出されましたかぁ?」

「すいません……よく分からないです」

「そうですかあ。こんな綺麗な顔、忘れるなんてねぇ」

「はは……」


 忘れるも何も初対面です。

 動揺を隠すため、彼女が入れてくれたお茶をぐいっと飲んだ。

 ああ、味は番茶に似ていて悪くないけれど薄いね……。

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