第20話「破滅へ抗え、地の底を馳せて」

 てついた世界の底で、ヨシュアは宙を舞う。

 崩壊する霊廟れいびょうの中から、セーレが彼を救い出してくれた。彼女が駆る黒い天馬てんまは、ヨシュアごとセーレを天井の空へと駆け上がらせる。

 白煙を巻き上げ、その背後に巨大な敵が浮上した。

 六つの大罪が合一ごういつした姿、即ち第七神罪だいななしんざい……憤怒ふんぬのサタン。


「セーレ、みんなはっ!」

「シレーヌちゃんはレギンが守ってるよん? で、リョウカは」

「あいつは大丈夫だ! なにせ、異世界から来た勇者だから……俺達の店長だからな!」

「ふーん、そういう……ムフフ、いいねえ、青春だねえ」

「馬鹿言ってないて、前見て飛べっ! 来るぞ!」


 サタンの巨躯きょくは、その見た目を裏切る速度と機敏さで追いすがってくる。

 まるで紅玉ルビーが燃えるような瞳から、強力な光が迸った。

 手綱たずなを握って小脇にヨシュアを抱えるセーレは、後ろも見ずに天馬を操る。人馬一体、まるで自分の体も同然で、セーレは次々と光線をかいくぐって加速していった。

 彼女の手に手を重ねて、情けない格好のままヨシュアは叫ぶ。


「セーレッ! 七十二柱ななじゅうにちゅうの魔神には、それぞれ序列じょれつがあるな!」

「そうだよん。私は序列七十位ね」

「俺の召喚術は、自らが召喚した霊格マハトマ以下の存在を召喚できる……幸い体力には余裕があるから、ならさ!」

「ええー、そーれはオススメできないよぉ……まあ、しょうがないけどさあ」


 しまらない笑みでセーレは低空へと愛馬を急降下させる。

 地をうように疾駆する黒馬の背後に、絶叫を張り上げるサタンが不時着した。そのまま地を蹴り、距離感を食い潰して手が伸びてくる。長く爪が伸びた五指は、つかまればまたたく間に握り潰されてしまうだろう。

 だが、サタンの背に人影が立った。

 冷たい風にマントをひるがえす、華奢きゃしゃな姿はリョウカだ。


「サタンって、本物の魔王……わたしでも知ってる魔王だもん。ならっ、やっつけなきゃ!」


 霊廟が崩れ落ちるさなか、彼女はサタンへしがみついて、よじ登ったのだ。風圧に耐えつつ、リョウカは手にした魔剣をサタンへと突き立てる。

 金属同士が削り合う音が響いて、金切り声と共に刃が突き刺さった。

 リョウカの魔剣は刀身に無数の紋様もんようを輝かせながら、魔法で鍛えられた鋭さを埋め込んでゆく。サタンは絶叫に身を捩って、背のリョウカを振り落とそうと藻掻もがいた。

 その隙に離脱したセーレは、改めて自分の前へとヨシュアを引っ張り上げる。

 くらの上にまたがって、慎重にヨシュアは召喚すべき相手を脳裏に探した。


「セーレの序列は、七十位。その下には、七十一位のダンタリオン、七十二位のアンドロマリウス……ソロモン王が従えたゴエティアの魔神は七十二人」

「ごめんねー、ヨシ君。私、あんまし序列上げるの頑張らなかったからさ。あんまし興味ないんだ、出世とか。私より下の二人も同じ感じかなあ」

「そ、そういうものなのか?」

「序列は強さじゃなくて、まあ……ソロモン王への貢献度? みたいなものだよん」


 地響きを立ててサタンは大地に降り立ち、両手を振り回してリョウカを探す。しかし、機敏な少女の剣は、そのままサタンの硬い表皮を切り裂きながら走り回った。指と爪をかいくぐり、暴れるサタンを外から解体してゆく。

 リョウカは背から肩を回って、突き立てた剣を握ったまま身を投げ出した。

 軽いがそれなりに重いリョウカの体重が、その質量で落ちてゆく。

 彼女が握る魔剣は、まるで歌うように衝撃音を響かせ唸った。

 小さな爆発が無数に咲いた。

 いける……戦える。六つの大罪と呼ばれし、最凶悪魔の集合体……サタン。その巨大過ぎる力に対して、リョウカは五角以上に戦っている。


「リョウカッ、こっちよ! 飛び降りて!」


 シレーヌの声が走って、リョウカは即座に身をおどらせる。

 今まで彼女が切り裂きえぐっていた胸元に、サタンの爪が突き立った。自分で自分を攻撃してしまったが、すでにサタンは痛みを感じないようだ。回転しながら着地するリョウカと入れ替わりに、シレーヌが前に出る。

 シレーヌの両手には、無数の試験管が握られていた。


「とっておきをお見舞いするわっ! レギン!」

「ほいほーい。面倒くさいスけど、四の五の言ってられないッスねえ」

「ほら、さっさと走るっ!」

「人使いが……ワルキューレ使いが荒いッス」


 身を低く前のめりに、レギンレイヴが走る。

 雪原に足跡を残して、彼女は真っ直ぐサタンへと吶喊とっかんしていった。その背を追うようにして、シレーヌもまた両手の試験管を投擲とうてきする。

 異界の戦乙女と、魔力を持たぬ錬金術師……二人の少女が力を一つにたばねてつむぐ。


「えいや、っと……スーパーワルキューレ、スラーッシュー、的なのッス!」


 サタンが両手を突き出し、十本の指から稲妻いなずまを撒き散らす。

 だが、その全てを避けるレギンレイヴの姿が、一人、二人と増えて無数に分身した。今やワルキューレの戦団と化したレギンレイヴは、手にする槍を構えるや……電光石火のはやさで払い抜けた。

 大勢のレギンレイヴが一人に集束して、同時にサタンの右足へ無数の斬閃ざんせんが踊る。

 あまりに速過ぎる連撃が、一箇所に集中して何度も叩き付けられた。

 サタンが身を揺るがして後ずさる、その瞬間にシレーヌの投げた試験管が突き刺さる。

 刹那せつな、大爆発の轟音が響き渡った。


「どう? これが……紅蓮ぐれんの錬金術師の力よっ!」

「決めポーズはいいッスから、逃げるスよー! シレっち、そっちにいくぞーい」

「へ? わっ、わわ!? どうしてこっちに来るのよっ!」

「単純に考えて、この中でヨシっちとシレっちが最弱だと思われ」


 かなりのダメージにも思えたが、構わずサタンは襲ってくる。そこには、感じぬ筈の痛みにさいなまれながらも、苦痛を力に変えて暴れる魔王の姿があった。

 そして、ますます激しく暴れて怒りに震える。

 その叫びが雷撃を広げて、天井の氷が音を立てて崩れ始めた。

 やはり、決定打が足りない。

 サタンに対して、ヨシュア達はあまりに小さ過ぎるのだ。

 だが、あきらめを知らぬ少年少女に、発破をかけるような激励の声が響いた。


「お兄ちゃんっ、なにやってんのよ! お兄ちゃんの本気って、その程度? 違うわ、違う……アタシの、アタシだけのお兄ちゃんはっ、すっごく強いんだから!」


 ヨシュア達がやってきた、天井へ抜けてゆく縦坑たてこう……そこから、二つの人影が現れた。それは、ボロボロになったシオンと、彼女に姫君のように抱かれたディアナだった。

 大地に降り立つなり、ディアナは手にした長杖ロッドをサタンへと向ける。


「シオンさんは下がってて……特大魔法、ブッぱなすわよ!」

「お、おい待て、ディアナッ!」

「待たない! もう、待てない……お兄ちゃんのこと待つの、もうやだ! アタシは……もう、待たない。アタシの世界とアタシの気持ちは、アタシがっ! 自分で! 守るんだから!」


 凍てつく空気がビリビリと震えて、ディアナを中心に巨大な光の魔法陣が展開する。魔力の集中で空気が光を帯びて、低く高速で詠唱えいしょうされる術式が宙に無数の文字を輝かせる。

 これだけの規模の魔法は、そう誰でも使えるものではない。

 天変地異クラスの破壊力は、選ばれし大魔導師だいまどうしだけが使う必殺の一撃だ。

 だが、サタンはゆらりとディアナへ向き直る。

 避けようともせず、結界を張って防御しようともしない。

 機械の下僕しもべを集めた肉体に、よほどの自信があるのだろうか? その答はすぐに、ヨシュアに信じられない現実を突きつけてきた。

 ディアナは声を張り上げ、最強魔法を解き放った。


「爆光、烈火! ぜ散れ蒼雷そうらい! はあああ、たやぁぁぁぁぁぁっ!」


 一瞬の静寂せいじゃく

 そして、続く沈黙。

 長杖をかざしたまま、ディアナは固まっていた。

 ヨシュアは勿論もちろん、彼を抱えるように手綱を握るセーレも同じだ。シレーヌやレギンレイヴ、リョウカも目を点にしている。

 サタンだけが、ズシリ! と一歩を踏み出し大地を揺るがした。

 なにも起きなかった……クライスターの血を継ぐ大魔導師の魔法は、不発に終わった。


「……へ? あ、あれ? おかしいわね、詠唱を間違える訳が……おかしいわ!」


 すかさずシオンが、満身創痍まんしんそういの身に鞭打むちうってディアナに駆け寄る。

 サタンが口から獄炎を吐き出せば、一秒前のディアナが瞬時に蒸発した。凍土が溶けてゆく湯気の中を、シオンはディアナを抱えて走る。

 彼女の腕の中で、ディアナは呆然ぼうぜんと目をしばたかせていた。

 魔力がなくとも、ヨシュアにはわかる。

 ディアナの魔法は完璧で、その詠唱や術式の展開、必要な魔力も十分だった。

 だが、現実にはなにも起きなかった。

 神罰にも等しい轟雷ごうらいは、なにものも消し飛ばす最強の魔法だが……発動しなかったのだ。


「フフ、フハハハハ! 魔法か、魔法! お前達人類のために、ソロモン王が残したことわり! お前達の文明の根源、古き神々の力を借りる術!」


 哄笑こうしょうを響かせ、サタンが巨体を揺する。

 そして、その胸元が開いて……中からルシフェルが現れた。彼は下半身を既にサタンに融合させており、上半身だけが生えている。幾重いくえにも分厚い金属に守られた中で、ずっとヨシュア達の奮戦を見ていたのだ。

 彼は愉快そうにのどを鳴らして、ゆっくりと真実を語った。


「ソロモン王はこの世界を去る時、魔法を残した。魔法とはなんだ? 我々古き神々、悪魔として聖典に名を残す者達の力だ。その超常の力を借り受ける術だ」

「そ、そうだ、けど……はっ! ま、まさか!」

さっしがいいね、ヨシュア。そう、異世界へと去った神々と、この世界とを繋ぐシステム……それは、。魔法の呪文や術式を、異世界の神々へと繋げて力を人間に渡していたのは……封印された僕達だ」


 衝撃の事実が、全員の中を一気に突き抜ける。

 先程、ルシフェルは残る五匹の下僕を解き放った。六つの大罪は全てが、封印されしひつぎから解放されたのだ。それは同時に、ソロモン王の残したシステムが動力源を失ったことを意味していたのだ。

 もう、あの霊廟は崩れてしまった。

 いくら呪文を唱えても、人間達の魔力は古き神々へは届かない。


「どんな気分だい? ヨシュア……魔法がなくなれば、全員が君と同じ魔力を持たぬ人間になる。嬉しいだろう? 君を差別する魔力保有者は、君と同じただの無力な人間になるんだ。魔法文明は崩壊するよ」


 ルシフェル達、六つの大罪が持つ力は強大だ。そして、ルシフェル自身が明けの明星みょうじょううたわれた最強の天使長……今は堕天使であり、魔王サタンの中枢コアだ。それだけの力が、人間達がなにげなく使う魔法を、異世界に去った神々からバイパスしていたのだ。

 呆然とするヨシュアは、その時すぐに少女の叫びを聴いた。

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