第19話「七つ目の大罪、顕現」

 ほのかな光をたたえた霊廟れいびょうは、吹き抜けのワンフロアしかない。

 それ自体が氷でできているかのような、青白い壁も天井も寒々しかった。

 仲間達と警戒心をとがらせるヨシュアの前で、堕天使だてんしルシフェルが振り返る。周囲には調度品のたぐいもなく、もうでる者達の姿もない。

 だが、霊廟の中には一種異様な雰囲気を放つものが鎮座ちんざしていた。

 その数、六つ。


「ここは、ソロモン王が僕達を封じた場所さ。この装置、なんだと思う?」


 ルシフェルの表情は、相変わらずおだやかだ。

 すぐには襲ってこないと思うし、彼がその気ならヨシュア達はすでに死んでいる。そう思えるだけの力が、はっきりと感じられた。

 ヨシュアは改めて辺りを見渡し、床に目を落として息をむ。

 しもに覆われた床には、巨大な六芒星ヘキサグラムえがかれている。

 そして、例の装置は六角形の配置で安置されていた。

 まるで巨大なひつぎ……無数の太いパイプが走り、地下でなにかに繋がっているようだ。そして、合計六つの棺は、一つだけふたが開いている。


「ここに、僕を含む六つの大罪は封印された。そして、僕だけが解放されたんだ……ヨシュア、君の召喚術でね」

「そうだ……俺がお前を、災厄さいやくをこの世に解き放ってしまった。だから、俺自身の手で決着をつけるっ!」


 震えが止まらないのは、寒さが原因だけではない。

 改めてヨシュアは今、天界の唯一神に叛逆はんぎゃくした堕天使に対峙たいじする。

 今にも逃げ出したいし、武者震いだと強がることすらできない。

 だが、そんな彼の隣にリョウカが歩み出る。彼女はそっとヨシュアの手を握ると、前だけを見てルシフェルに言い放った。


「ヨシ君だけじゃないよ……ルシフェル。わたしと仲間達も、ヨシ君を支えて戦う。ここはわたしの生まれた世界じゃないけど。だけど、わたしがこれから生きてく世界だから」

「フフ、異界の勇者リョウカ……君ならわかるんじゃないかな? 自分の世界を出てゆけと言われたんだよ? それも、僕の生みの親たるしゅに。なら、やがていつか主は人間をもこのソロモニアから追い出す。その程度の愛しか僕は、感じ取ることができない」


 ヨシュアはリョウカの手を握り返し、その温もりを頼りに勇気を振り絞る。

 今この瞬間、逃げ出したい……世界の命運など、選ばれし勇者とその仲間、力ある強き者達に任せればいいのだ。そうも思うし、納得するだけの臆病さと小賢こざかしさがある。

 でも、それを認める訳にはいかない。

 選ばれし勇者はリョウカで、彼女は選ばれたくて選ばれた訳ではない。

 なにより、ヨシュアもまた自分が望んで習得した召喚術を持つ、力を得た者だから。

 望まずとも、勇者という自分から逃げないリョウカ。

 その隣に今、望んで力を強さに変えた自分として並んでいたい。


「ルシフェル、人間への主の愛をお前は疑っている……けど、本当はお前は、自分への愛を疑っているんじゃないか? もっと主に愛されたいんじゃないのかよ」


 ルシフェルは微笑びしょうを浮かべたままで黙った。

 そして、小さく溜息ためいきこぼす。

 核心をとらえたかに思えた言葉だったが、同時にけものの尾を踏んだ気分でもある。堕天使の逆鱗げきりんに触れかねない発言だった。だが、ヨシュアは最後まで自分の言葉を探してつむぐ。


「ルシフェル、お前が叛逆した大昔……人間はエデンと呼ばれる楽園に住んでいたらしいな」

「そう、閉じ込められていたんだよ。主は人間を、でるかごの鳥のように見ていたんだ」

「もしお前が神様に背かなかったら、俺達の世界……こうしてソロモニアで自由に生きる暮らしはなかったと思うか? 人間はまだ、楽園の中にいたか?」

「そうさ! 僕は人間の解放のために戦った! ソロモン王も、そこにいる彼の使い魔も一緒だった! ……神の愛を、その真意を知ることができる、はずだった」

「――それは違うと思う。いや、違うと断言したいな」


 ヨシュアは周囲の仲間達を振り返って、うなずきを拾いながら改めてルシフェルに向き直る。

 ルシフェルは動揺もあらわだが、こちらの話を聴き入っていた。


「ルシフェル……たとえお前が決起せずとも。たとえ神様が人間を愛玩動物程度にしか思ってなくても。きっと人間は、自分の力で楽園を出て、自分で世界に広まっていったさ」

「な、なぜ、そんなことが言えるんだい? もろはかな定命ていめいの者が」

「人間には常に、よりよくあろうと思う欲求がある。それはエゴと欲望でもあるけど、望んで願い、祈る前に行動する力があるんだ。そこにもう、神様は関係ないはずだ」

「うるさいっ!」


 ビクリと身を震わせ、ルシフェルが背の翼を広げる。

 漆黒の十二翼は、自ら産み出す風圧でどんどん羽毛を舞い散らせた。

 それにも構わず、ルシフェルは激昂げきこうにも似た感情を叫ぶ。


「主は……あの人は、僕にはなにも言ってくれないんだ!」

「お前が一方的だからだろ、ルシフェル! もっと想像力を使え! 回りの仲間や友人に耳をかたむければ――」

「うるさい、うるさい! うるさいんだよ! ……僕にいるのは、仲間や友人じゃないさ。ごらんよ、ほら」


 突然、周囲の棺が光り出した。

 いまだ厳重に封印され、凍りついた巨大な装置……微動に震えて白煙を巻き上げ、積もった年月と氷を脱いでゆく。

 そして、次々と棺の蓋が弾け飛んだ。

 五つの光が、ゆらりとルシフェルの頭上へ舞い上がる。


「ヨシュア、君が仲間や友人を力に変えると言うなら……僕もまた、己の分身にして下僕しもべを使うとしよう」

「待てっ、ルシフェル! 俺の話を聞けっ!」

「目覚めよ、我がたましい同胞はらから……六つの大罪、その力を今こそ一つに」


 ルシフェルを中心に、五つの光は五芒星ペンタグラムを浮かび上がらせる。

 床の六芒星が聖なる封印ならば、宙空の五芒星はまさしく悪魔の刻印……暗い光が結び合う姿は、邪悪な悪魔の儀式を連想させた。

 ルシフェルは五芒星の中央で両手を広げ、叫ぶ。

 その力は、解き放たれて自由になったことで、ソロモン王の封印をも破壊したのだ。


嫉妬しっとのレヴィアタン! 怠惰たいだのベルフェゴール! 強欲ごうよくのマモン! 暴食ぼうしょくのベルゼブブ! 色欲しきよくのアスモデウス! 今こそ、傲慢ごうまんのルシフェルと共に……憤怒ふんぬを持って全てをけ!」


 ヨシュアはハッキリと見た。

 ルシフェルを中心に集う、六つの大罪……その五匹の悪魔は、氷よりも冷たい銀色の光沢に輝いていた。それは間違いなく、金属だ。以前、魔王アモンの研究室で出会って仲間になった、グリットと同じようで、それ以上に無機質に感じる。

 そう、五匹の悪魔は全て、物言わぬ機械マシーンだった。

 ただただルシフェルの命令に従い動く、虐殺装置ぎゃくさつそうちだったのだ。

 そして悲哀仕掛ひあいじかけの悪魔達は、複雑な変形を繰り返しながらルシフェルを覆ってゆく。


「下がってろ、リョウカ! みんなっ、やるしかない……こいつを地上に出しちゃ駄目だ!」


 背にリョウカをかばうようにして、ヨシュアは身構える。

 セーレやレギンレイヴ、シレーヌといった仲間達も各々に臨戦態勢を整えた。

 だが、腰の魔剣を抜くリョウカは、手で制するヨシュアの更に前へ出ようとする。


「下がらないよ、ヨシ君っ! やるしかないなら、みんなでやらなきゃ……わたしは、勇者リョウカである前に、ブレイブマートのリョウカだから。冒険者のみんなが、なにが欠けても困るからこそ、全てを与える……コンビニエンスストアのリョウカだから!」

「それって」

「わたし達は誰が欠けたって、わたしが嫌なんだ……シオンだって、こうしている今も戦ってる。だから、わたし達もみんなの力を集めて合わせ、一緒に戦うのっ!」

「……だな。あの店に帰る、また毎日を続ける……そのために、なんだろ? リョウカ」


 頼もしい笑顔で、リョウカが大きく頷く。

 そして、目の前に巨大な魔王が出現していた。

 そう、魔王……黒光りするボディは霊廟の高い天井に達し、その背に広げるは蝙蝠こうもりにも似た悪魔の十二翼。角の生えた頭部は、憤怒に燃える憎しみの表情をかたどっていた。

 ルシフェルを内包した巨大な悪魔は、霊廟の空気を沸騰ふっとうさせて宣言する。


「これこそ、最強の第七神罪形態だいななしんざいけいたい……神をも罰する断罪の力! 憤怒のサタン!」


 そこにはもう、ルシフェルのどこか柔和にゅうわで温厚な声音は感じられなかった。

 まさしく憤怒の化身、あらゆる存在への怒りが、怨嗟えんさ憎悪ぞうおふくらませた姿だ。

 だが、ヨシュア達はひるまない。

 そっと横には、ヨシュアの召喚術をサポートするためにセーレが立った。


「どうだ、セーレ……あのサタンとかいうの、見たことは? どれくらい強い?」

「んー、初めて見るねー? どれくらい強いかは、わっかんないなあ。私にわかるのはね、ヨシ君」


 ムフフといつもの緩い笑みで、セーレが己を炎で包む。

 突然現れたむらさきの業火が、彼女を包んで着衣を燃やし……白い柔肌を鎧で包んでゆく。セーレもまた、本気で戦うべく本性を顕にした。

 そこには、初めて会った時の恐るべき姿、七十二柱ななじゅうにちゅうの魔神であるセーレが現れた。

 彼女は、その手に死神のごと大鎌デスサイズを取り出し、両手で構えて見得みえを切る。


「私にわかるのは、ヨシ君とリョウカ達なら大丈夫ってこと! さ、やっつけちゃうよん? ちょーっち本気出すから。ルシフェル単体で、残り五匹の悪魔を復活させたかぁ……なるほど、アモンが慌てて人間を遠ざける訳ねぇん」


 背後でレギンレイヴもやりを構えて、無数の試験管を抜き放つシレーヌをかばう。


「シレっち、援護よろしくッス。……あー、ダルい。ここには勇者の魂エインヘリアルたりえる少年少女ばかりスけど……自分が死んじゃ、連れ帰るもなにもあったもんじゃないスねぇ!」

「ちょっとヨシュア! あんた、絶対にリョウカを守りなさいよ! でないと、全身の穴という穴に爆薬詰め込んで、ドカーンだからね!」


 恐ろしい話だ。

 ヴァルハラに就職も嫌だし、勇者の魂になるために爆死するのもゴメンである。

 だが、気付けば笑みが浮かんで、同じ表情を隣にも見る。

 恐るべき威圧感の中で、リョウカは前だけを見て剣を構えていた。

 だからヨシュアは、リョウカと一緒に決意を叫ぶ。


「行くぞ、ルシフェル! ……いや、サタン! 俺達ブレイブマート一行いっこうが相手だ。いつでも、なんでも、何度でも……お前が寂しさをこじらせてる限り、俺達は戦う!」

「愛ってね、サタン……与えることで初めて得られるんだよ? 今ならわたし、そう思う……そう言えるっ! だからわたしっ、あなたを止めるっ!」


 最後の戦いが始まった。

 絶叫を張り上げるサタンから、苛烈かれつな衝撃波が迸る。咄嗟とっさにセーレが結界を張るが……遥かな太古より凍りついていた霊廟は、音を立てて崩壊し始めたのだった。

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