第17話「奈落への旅路」

 第一階層『白亜ノ方舟回廊ハクアノハコブネカイロウ』は閑散かんさんとしていた。

 すでにめぼしい部分の大半が攻略され、先日にはヨシュアの手で地上への昇降機エレベーターも存在が明かされた。ノーリスクで地上と地下五階が行き来できるようになり、ただの通過点となったかにみえるが……そこに今、ヨシュア達は最終決戦のために集まった。

 やはり、ヨシュアは昇降機の前へと迷わず進む。


「ねえ、ヨシ君。これって」

「ああ。マッコイ商会や他の冒険者達も使ってる、地上への最短ルートだ」

「だよ、ね」


 ヨシュアの隣を歩くリョウカは、降りてくる人々を眺めながら小首をかしげる。

 各国の騎士団や冒険者など、大勢の者達が出口の方へと歩いていった。以前は開かずの扉だったが、今では衛兵が立って警備も万全だ。ここから第一階層の出口、ブレイブマートのある場所まではすぐである。

 そして、からになった昇降機は再び地上へと上がっていった。

 ヨシュア達の前には、奈落アビスにも似た底の見えぬ縦坑たてこうが残される。

 それを覗き込みつつ、ヨシュアは背後を振り返った。


「セーレ、下調べは大丈夫だよな?」

「オッケーだよん? あとはまあ、どうやって降りるかだけどぉ」


 そう、降りる……この縦坑は、単純にこのフロアと地上を繋いでいるだけではない。さらに下、おそらく第二階層を貫きその先へと伸びている。

 以前、ヨシュアが落下した時は昇降機に激突した。

 しかし、その下にもまだまだ縦坑は続いているのである。


「セーレ、お前は七十二柱ななじゅうにちゅうの魔神の中でも、移動や運搬をつかさどる悪魔だよな?」

「エヘヘ、やっぱしぃ? んもー、それじゃま……おねーさんがみんなを運ぶよぉ」


 一同が驚く中で、セーレはパチン! と指を鳴らす。

 すると、突然仲間達が宙に浮かび上がった。

 驚くシレーヌがスカートを手で抑え、シオンも呆気あっけにとられている。レギンレイヴは自分で飛べるので、あまり気にしてないようだ。

 リョウカは突然の浮遊で、慌ててヨシュアの腕にしがみついてくる。

 二の腕に柔らかな感触を感じつつ、ヨシュアも浮かび上がるや天井を片手で押し返した。


「はーい、じゃあ行っくよぉ? 因みに結構距離があるから、退屈しちゃうかも」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! セーレ、あんたまさか……」

「んー? どしたの、シレーヌちゃん。最下層までは一応、ざっくり調べてあるけどぉ」


 ふわふわとヨシュア達は、高い天井を伝うようにして闇の中へ。昇降機が通り過ぎたあとの縦坑は、冷たい風が吹き上がる視界ゼロの暗闇だった。

 目をらしても、下にはなにも見えない。

 そして、ゆっくりと自由落下を開始しても、景色は全く変わらなかった。

 宙を泳ぐようにしてシレーヌが近付いてきて、ヨシュアをリョウカから引き剥がす。


「ちょっと、リョウカにくっつき過ぎ!」

「お、おいちょっと待て……リョウカが勝手にひっついてきたんだよ」

「男はいっつもそう言うの、このスケベッ!」


 酷い言われようだ。

 だが、皆が笑っているので悪い気はしない。

 憤慨ふんがいするシレーヌの背後で、リョウカも久々に素直な笑顔を見せてくれた。

 これからヨシュア達は、祭終迷宮エクスダンジョンディープアビスの最下層へともぐる。少なくとも、この縦坑の底までいって、セーレが探索してくれたフロアの先に進むのだ。

 この、乾坤一擲けんこんいってき大博打おおばくちのために、ヨシュアは事前に策を講じていた。

 ルシフェルに気取られぬよう、妹のディアナに密かに頼んでいたことがある……それは、多くの冒険者達を、正攻法で進むよう誘導するというものだ。これは、無駄な犠牲を防ぎたいという、リョウカの想いをも汲んだものである。

 大勢の冒険者達に、第二階層『翠緑林ノ禁地スイリョクリンノキンチ』で陽動を行ってもらう。

 その間に、最も危険度が高い最下層にヨシュア達だけで降りるのだ。


「よし、みんな……よく聞いてくれ」


 ゆるやかな浮遊感の中で、ヨシュアは一同を見渡す。

 勇者リョウカに、彼女の仲間としてずっと一緒だったシオン。さらには、生まれた村を救われた縁で仲間になったシレーヌ。三人は以前から、影の勇者パーティとして魔王の軍勢と戦ってきた。

 いわば、ベテランの冒険者である。

 それに、セーレやレギンレイヴといった、異界から召喚に応じてくれた者達も一緒だ。

 だが、相手はあの堕天使だてんしルシフェルである……冒険者の大半が階段を使おうとしていても、この縦坑の存在には気付いていると見ていいだろう。


「このまま楽に最下層にいけるとは思わない……気をつけてくれ、最悪ここで敵に襲われる可能性もある。ルシフェルは、俺達の奇襲を警戒してるかもしれないんだ」


 リョウカがごくりとのどを鳴らした。

 百戦錬磨の女勇者でも、緊張に身を固くすることがあるのだろうか。そんな彼女に寄り添うシレーヌも、不安げに片眼鏡モノクルの奥で瞳を揺らしている。

 逆に、腕組み笑うシオンには余裕が感じられた。


「そのことなんだけど、ヨシュア。一つ提案があるけど、いいかな?」

「ん、いや……お前の考えくらいわかるさ、シオン」

「なら、話は早い」


 そう言うなり、シオンは背の剣を抜き放った。

 同時に、冷たい空気が絶叫で沸騰ふっとうする。

 腹の底に響き渡るような、重くて鈍い声が這い上がってくる。けもの咆哮ほうこうを見下ろしながら、誰もが臨戦態勢で身構えた。

 だが、そんなヨシュア達をシオンが手で制する。


「なにかしらの妨害はあってしかり、さ。ここはオレに任せて、リョウカ達は先へ進んでくれ。……ヨシュア、リョウカを頼めるね?」

「そう言うと思ったよ、けど」

「ほら、来るっ! みんなは消耗を避けて下へ!」


 真下に無数の光が灯った。

 それがモンスターの眼光だとわかった時には、巨大な影が迫っていた。

 おぞましいその姿は、最下層への近道をふさ守護神ガーディアン……戦闘は避けられない。


「チィ、スキュラだ! こんなやばいモンスターが出るなんてね!」


 縦坑の幅をいっぱいに使った、巨大なモンスター……その下半身には、無数の獣が生えている。そう、生えているのだ。まるで幼児が無邪気に複数の人形を繋げた、でたらめに合体させたかのようなその姿。

 そして、上半身は形ばかりは美しい女性の姿をかたどっている。

 だが、瞳を真っ赤に光らせるその姿は、無数の獣と合一した鬼女そのものだ。


「シオン、俺はお前を置いてくつもりはないっ!」

「そうだよ、シオンッ! わたし達、ずっと一緒だったもの。これからも、そうだよっ!」


 リョウカの言う通りだ。

 急いでヨシュアは、近くを漂うセーレに近付く。

 心得たとばかりに、セーレ自身が手を伸ばして彼を抱き寄せてくれた。密着の必要はないのだが、豊満に過ぎる胸に圧迫される。ヨシュアの召喚術は、今まで召喚した霊格マハトマに触れることで、同等の存在や霊格の低い存在を召喚できるのだ。

 こうした霊格を通しての召喚以外は、自分の生命を賭ける必要がある。

 巨大な存在をこの世界へ招くため、自分の生死を相手にゆだねるのだ。


「おいセーレッ! なんでお前まで」

「んー、だってヨシ君、なんだか抱き心地いーし? まあ、それはそれとして」

「わかってる! まずは明かりだ」


 ヨシュアはなんとかセーレの柔肌やわはだから離れつつも、その手を取って声を張り上げる。


「魔神セーレがあるじ、ヨシュア・クライスターが命ずる。我が呼びかけに応えよ……出ろっ! ウィル・オ・ウィスプ!」


 光の精霊が召喚され、スキュラの全身が照らされた。

 無数の犬の頭が、四方へと伸びている。その下には海洋生物のような触手が伸びて、内壁をよじ登っているのだ。

 すぐにリョウカが、シオンに続いて剣を抜いた。


「シオンッ、戦うならみんなでだよ! それに、この巨体に道を塞がれちゃってる……どのみち、全員で戦うしかないっ! セーレさんっ!」


 すぐにセーレは、リョウカにかかった浮遊の力を解いた。

 あっという間に重力の影響を思い出したリョウカは、驚くべき身体能力を見せる。彼女は縦坑の内壁を駆け下りながら、落下のスピードを加速させた。

 業物の魔剣を両手に、リョウカが必殺の一撃を繰り出す。

 シオンを追い越し、その斬撃がスキュラの胸元を切り裂いた。

 おぞましい絶叫が響いて、スキュラの動きが止まる。

 ヨシュア達は震える触手の隙間をすり抜けて、なんとか頭上にモンスターをやり過ごした。だが、シオンだけがその場に残ってスキュラに二ノ太刀にのたちを振りかぶる。


「おいシオン! お前っ!」

「やっぱりここはオレに任せてもらうよ。ほら、次が来た」


 頭上で爆発音が響いて、壁が崩れ始める。

 落下物から頭を守りながら、ヨシュアはウィル・オ・ウィスプの光の中へと目を凝らした。上からもう一匹、今度は巨大な毒蜘蛛どくぐもが降りてきた。

 スキュラと一緒に、冒険者をはさみうちにするつもりだったのである。

 シオンはスキュラを戦闘不能へ追い込みつつ、殺さずそのまま新手に振り返る。スキュラの巨体を足場にして、今度は大蜘蛛と戦うつもりだ。


「リョウカ、行ってくれ! オレは、少し嬉しいよ。お前の戦いが、ようやく世界に認められて日の目をみるんだからさ。だから、オレの分まで頼む。お前の道はいつだって、オレが切り開いてみせる!」


 あっという間に、頭上にシオンの叫びが遠ざかった。

 そしてもう、ウィル・オ・ウィスプの光はその姿を照らしてくれない。

 無事を祈りつつも、ヨシュアは皆に無言でうなずいた。

 セーレに抱かれて側を漂うリョウカも、なにかを言いかけては口をつぐむ。重苦しい空気が漂い、その重さがそのままヨシュア達を闇の底へと連れてゆく。

 既にもう、シオンが戦う剣戟けんげきの音さえ聴こえてこない。


「……大丈夫、シオンは強いから。いつもわたしを助けてくれたし、必ず生き残ってきたから。だから、大丈夫……大丈夫なんだから」


 リョウカの、まるで自分に言い聞かせるような呟きが小さく響く。

 今はヨシュアも、その言葉を信じて祈ることしかできないのだった。

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