第16話「最後の戦いの、その前に」

 その名は、堕天使だてんしルシフェル。

 この世界を創造したソロモン王と共に、天界の唯一神と戦ったかつての天使長だ。そして今、彼はソロモニアの全てを滅ぼそうとしている。

 ただ、教会がしゅあがめる神に、己の全てを賭けて問いかけるためだけに。

 神の愛を疑った時、明けの明星みょうじょううたわれた十二翼じゅうによくは黒く染まった……そして今、再び蘇って神をも試そうというのだ。


「ヨシっち、バックヤードで飲み物の補充を頼むッス! こっちは手が放せないスよ!」

「わかった、レギン! 客の会計は任せたぞ!」


 今、ヨシュアはリョウカ達とブレイブマートに戻ってきていた。

 この祭終迷宮エクスダンジョンディープアビスが、人類滅亡を阻止する決戦の地だからだ。すでにルシフェルは、この底知れぬ魔宮まきゅうを下へ下へと進んでいるだろう。

 あらゆる国の軍隊と冒険者が、その背を追って攻略を再開していた。

 しかしまだ、第二階層『翠緑林ノ禁地スイリョクリンノキンチ』すら踏破とうはできていない。

 そして、ディープアビスが何階層あるかもわからないのだ。

 そんな中、ヨシュアが選んだのは、まずはブレイブマートの営業である。


「っちゃー、あんだけ補充した飲み物がほとんどからかよ」


 店舗の奥には、ずらりと酒や飲み物が並んだたながある。例の電気とかいうものを使って、今は冷えた状態で売られているのだ。これも、シレーヌの錬金術によって考えられた、冷蔵庫というものらしい。

 電気式の氷室ひむろは、その裏側に商品を補充するための細く狭いスペースがある。

 ヨシュアはエプロン姿のまま、その奥へと移動して飲み物のボトルを並べ始めた。

 棚を挟んだ向こう側では、ひっきりなしに冒険者達が買い物に出入りしている。

 聴こえてくる声は、やはりというか、明るい話題に欠けていた。


「おい、先頭の連中はどこまで進んでるんだ?」

「地下十階……多分、第二階層の最後のフロアだ。けどよ」

「ああ、すげえ化物が次の階段を守ってるんだってな」

「王立騎士団の連中も全滅しかけたとか言ってたな」


 不思議と、冒険者達には悲壮感がない。

 彼等は無宿無頼むしゅくぶらい渡世人とせいにん、命知らずが売りの挑戦者チャレンジャーだ。ある意味では、冒険者こそが真の勇者と言えるだろう。おのれの知力と体力、そして運を武器に、シビアな戦いの連続を切り抜け、迷宮や遺跡を攻略してゆく。

 冒険者にとって冒険は、あらゆる不確定要素を消せるだけ消した上での、実力勝負のダンジョン探索なのである。

 未曾有みぞうの危機に瀕した世界の、その命運がかかっていても彼等は怯まない。


「さて、俺もまずはやることをやっちまわないとな。セーレの奴が上手くやってくれてれば……まだ俺達にも、勝機はある」


 今は、ディープアビスに挑む全ての人達を助けたい。二十四時間の完璧なサポート体制で、支えたい。それはヨシュアの願いであると同時に、リョウカが一番強く望んだことだった。

 ブレイブマートは今、さながら冒険者達の前線基地である。

 薬も武器も飛ぶように売れ、マッコイ商会も次々と商品を送ってくれていた。

 気を取り直して、ヨシュアが飲み物の補充をしていると……不意に背後に気配が立った。振り向くと底には、店の明かりが漏れ出る中に、人影。薄闇の中に、リョウカが近付いてきた。


「ヨシ君。ちょっと、いい、かな」

「お、おう。迷宮の方はどうだった? なんか、十階にどえらいやつがいるらしいじゃないか」


 リョウカは、第二階層から戻ったばかりだと思う。例の扇情的せんじょうてきな鎧姿で、改めて彼女のスタイルの良さにドギマギとさせられた。

 皆でブレイブマートを回し、十分に休んで、自分達のダンジョン攻略の準備をする。

 その中で、リョウカは積極的に冒険者達を導きながら、最前線に立っていた。

 心なしか今は、ちょっと疲れているようにも見える。

 だが、彼女は勇者リョウカ……希望の光そのもの。誰にでも見せていい弱気ではないし、疲れることも許されない。だから、素顔で自分に会いに来てくれたことが、ヨシュアには少し嬉しかった。


「なんか、でっかい樹木のモンスターが居座ってて……シレーヌの爆薬もあんまし効かないし、シオンの剣も同じかな。少し時間がかかりそう」

「そっか……リョウカ、大丈夫か? お前、休んだ方がいいぞ」

「ん、大丈夫っ! まだまだ元気、元気だよっ! ……でも、ルシフェルはこうしている間にも」

「一応、手がない訳でもないさ。今、セーレに調べさせてる」


 棚の向こうは、無数の冒険者達でごった返している。

 なのに、目の前のリョウカとは二人きりの雰囲気が共有できた。

 そして、ヨシュアにだけリョウカは素顔を見せてくれる。


「あのね、ヨシ君……昨日はありがとっ! わたし、びっくりしたぞ? でも、嬉しかった……また、このブレイブマートに帰ってこれた」

「なっ、なんだよ急に」

「わたしね、少し怖かった。シレーヌやシオンがいてくれるし、セーレさんやレギンも頼もしいけど……でも、どんどん自分が勇者になってく、勇者として求められてく。それが、すっごく怖くて」


 リョウカは教会が唯一神とあがめるしゅによって、このソロモニアに召喚された。そして、共に招かれた友人のトモキは、勇者として魔王アモンを倒して帰ってしまった。

 勇者トモキの華々はなばなしい戦いがある影で……リョウカは真に民のために戦った。

 善と悪の戦いの影で、犠牲になってゆく無辜むこ生命いのちを救い続けたのだ。

 そして今、いよいよ彼女は救世主メシアとして祭り上げられた。

 そのことから逃げないリョウカは立派で、強くて、そして少し哀しい。


「なあ、リョウカ……あのな。もしお前が望むなら、逃げてもいいんだぜ? や、俺が言うのもなんだけどさ」

「ヨシ君……」

「俺自身が逃げてたからさ。召喚術って、対象が強ければ強いほど、生命を賭ける必要がある。セーレを召喚しただけで、俺はびびった。お前の帰る場所、ブレイブマートを守るって言い訳して……戦いから逃げようとしてたんだよ」

「でも、ヨシ君は来てくれた。わたしに会いに……わたしと戦いに」

「お前がやりたいのはさ、本当はこの店……コンビニだろ?」

「うん……でも、ずっと続くコンビニだから、続いていける明日を、未来を守らなきゃ」


 そう言って、リョウカはまた一歩近付いてくる。

 もう、間近に彼女の瞳がまたたいていた。

 長い睫毛まつげが揺れる双眸そうぼうは、まるで夜空に散りばめられた星屑ほしくずだ。


「リョウカ……嫌なら言えよ? 一緒に逃げてやる。けど、お前はそれを選ばない。なら、やっぱり俺が一緒に戦ってやる」

「ヨシ君、それって」

「あっ、ち、違う! 勘違いすんなよな、違うからな! ……ただ、世界の命運なんざ、一人で背負わなくてもいいんだ。一緒にやっつけようぜ、ルシフェルをさ」

「う、うんっ! ふふ、ヨシ君って優しいね。わたし、見直したぞ?」


 嬉しそうにリョウカが笑ってくれた。

 その微笑ほほえみが、ヨシュアにはとてもまぶしく見えた。


「でも、わたし気になるんだ……ルシフェルの言ってた、あの人っての……その、神様を試すような口ぶりだった。神様の、人間への愛を確かめるって」

「ああ、それな。なんか、そのへんのことはどの文献にも載ってなくて」


 ルシフェルがこのソロモニアを滅ぼさんとする理由、目的は複雑怪奇だ。

 彼は、自らが天使長として仕えた唯一神を疑っている。その愛が、人間をどこまで想っているかをいぶかしく想っているのだ。ゆえに、試す……自らが人間を脅かすことで、主の出方をうかがっているのだ。

 教会が全知全能とする、唯一にして絶対の神……その愛を彼は問いただしているのだ。

 だが、ヨシュアにとってそんなことは関係ない。


「愛だかなんだか知らねえけどよ……もし、教会の言う神様が本当にいるんなら、さ。真に全能で無敵なら、俺みたいな魔力を持たない人間なんか生まれねえよ」

「それって……」

「現実には苦難の連続だし、生まれも育ちも自分では選べない。神様ってのが人間を愛してたとして、この仕打はなんだとなげく人間は沢山いる。でも、そういう神様を疑うなら、直接言いに行けばいい。俺等人間をダシにするってんなら……俺は戦う。あらがうさ」


 意外そうに目を丸くしたが、リョウカは大きくうなずいた。

 そして、やや白々しい拍手が鳴り響く。

 二人で振り返れば、そこにはセーレが立っていた。


「んもー、ヨシ君? 二人でこっそり逢引あいびきだなんて……おねーさん、嬉しい! ささ、世界が滅ぶ前にもう、どんどんイチャついて! イチャめいて!」

「うっ、うるさいよ、セーレ! それより、どうだった? いけそうか?」

「もち! ……まあ、いろいろとね、グリットの助けもあってわかったよ。アモン、さ……あいつ、バカだよね。自分が悪役になることで、さらなる巨悪を封じようなんてさ」


 セーレは一瞬、視線を遠く虚空こくうへと放る。

 だが、すぐにいつものニヤニヤとしまらない笑みに戻った。


「ヨシ君の考えた手、使えそうだよん? その間、悪いけどグリットにフル稼働で店番してもらうけど。ルシフェルはさ、こないだ私も久々に会ったけど……全然変わってなかった。あいつだけまだ、あの日の戦争を続けてるみたい」

「それって……」

「私達七十二柱ななじゅうにちゅうの魔神は、ソロモン王の元に集った古き神々……教会が主と呼んでる、天界の唯一神とは別のね。んで、天界を離反したルシフェル達と協力して、人間のために天界と戦った。結果、唯一神は私達が世界を去ることを条件に、人間達がエデンの外で自由に生きることを許したんだよん?」


 壮大な話だが、この神話には続きがある。

 セーレが言うには、ルシフェルは最後まで徹底抗戦を望んだという。そして、ソロモン王が人間のためのソロモニアを創造したあとも……この世界に居座り続けた。彼はまだまだ、唯一神に対して疑問への答を強請ねだり続けたのだ。

 だから、ソロモン王は彼を封印した。

 ルシフェルと『』と呼ばれる強力な悪魔を、この地に封じ込めたのである。


「私も詳しくは知らないけど、ルシフェルはソロモン王の終戦と和平に最後まで反対してた。彼を含む六つの大罪と呼ばれる悪魔は……このディープアビスの底に封じられたみたいなんだよね~」

「その、六つの大罪ってのは……」

「ルシフェルを中心とする、とってもヤバイ連中だよん? ……さて、そろそろ行く? 私も最後までお供するからね、ヨシ君。それがアモンの意思を継ぐことにもなるし~」


 時は来た。

 バックヤードを出れば、レギンレイヴやシレーヌ、シオンといった仲間達が並んでいる。

 最終決戦へと旅立つべく、ヨシュアも手早く準備にとりかかる。

 しかし、彼等が向かったのは第二階層『翠緑林ノ禁地』ではなく……既に攻略済みの第一階層、またしても『白亜ノ方舟回廊ハクアノハコブネカイロウ』に進むのだった。

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