第15話「ヨシュアよ叫べ、決意と覚悟を」

 バビロン王国は、円卓会議えんたくかいぎに名をつらねる国家の中で最も大きい。

 魔王アモンと闇の軍勢が現れてからずっと、人類の希望となって戦いを繰り広げてきた。勇者トモキを熱烈に支援したし、円卓会議での発言力も強い。

 そのバビロン王国の王都へと、ヨシュアは来ていた。

 今日、勇者リョウカの出陣を祝う式典が行われるからだ。


「お兄ちゃん、こっち! 迷子になっちゃうから、ほら! 手を!」


 妹のディアナは、むんずとヨシュアの手を握って歩く。

 正直、凄く情けない。

 多くの人でごった返す中、落ち着かない様子でヨシュアは引っ張られるままに歩いた。思えば、半年間自室に引きこもって、ぞのあとはずっとディープアビスの中にいた。こんな大勢の人間がいる場所など、久しぶりである。

 萎縮いしゅくするヨシュアの耳に、周囲の声が雪崩込なだれこんでくる。


「おい、聞いたか? 勇者様はもう一人いたらしいぞ」

「しかも、女の子だってな!」

「これで、謎の災厄さいやくも打ち倒されるといいが……」

「そもそも、魔王アモンは死んだんだろ? なら、東の国々はいったい誰が」


 不安と猜疑さいぎの中で、民は誰もが動揺もあらわだ。

 その心中を表すように、王都の空には暗雲が垂れこめている。真昼だというのに、真っ黒な雲が陽の光を遮っていた。


「ほら、お兄ちゃん! 式典が始まる……見て、あそこ」

「あっ、あれは……リョウカ。みんなも」


 王宮の前はひときわ混雑していた。

 そんな中で、誰もが見上げる先……テラスの上に、人影が現れる。

 バビロン王と共に歩み出たのは、リョウカ達だ。

 久々に見るリョウカは、張り詰めた緊張感をたたえている。りんとしてすずやかな表情は、ヨシュアには無理をしているように見えた。

 だが、リョウカは例のきわどい鎧姿で一歩前へ。


「みなさんっ、えと、こんにちは! わたし、リョウカっていいます。勇者、やってます。このソロモニアとは違う場所、東京って街から来ました」


 ざわざわと周囲に期待の声が広がってゆく。

 つぶやきとささやきが連鎖して、誰もが希望を他者に見出そうとしている。誰かとそれを共有して、全てリョウカに背負わせようとしていた。

 救世主メシア降臨……テラスの手すりから身を乗り出し、リョウカは言葉を続ける。


「わたしは、トモキ君のクラスメイト……あっ、勇者トモキの友達です。彼とは別の場所で戦ってました! 今度はわたしが、仲間達とこの世界を……ソロモニアを守りますっ!」


 リョウカの後ろには、シレーヌとシオンが並んでいる。勿論もちろん、ヨシュアが送り出したセーレやレギンレイヴも一緒だ。

 新たな勇者一行の旅立ちを前に、聴衆に活気が戻ってくる。

 誰もが大地を踏み鳴らして、歓呼かんこで勇者リョウカを讃えていた。

 だが、今のヨシュアには見上げるしかできない。

 彼女をあのコンビニエンスストアに、ブレイブマートの日々に帰してやるため……ヨシュアもまた、彼女と共に戦わなければならない。その決意だけはあるのに、なにもできない。

 そんなヨシュアの手を、ディアナがギュッと握ってくる。


「お兄ちゃん、行って。アタシが今から魔法でお兄ちゃんを飛ばすから! リョウカと一緒に、お兄ちゃんの……お兄ちゃんだけの召喚術で、敵と戦って!」

「お、おいおいディアナ、待てって」

「待たない! もう待てない……お兄ちゃんは、やればできる子だもん。アタシ、ずっと待ってた。いつか本当に、お兄ちゃんが大きなことをげるのを。それに、ね……それに」


 湿しめっぽい声で、ディアナは無理に笑った。

 そのまなじりに、光の玉がしずくとなって浮かぶ。


「ずっとリョウカのこと、嫌な奴だと思ってた。許せないって……でも、今は真実を知らなかった自分が許せない。だから、アタシの分までリョウカを助けてあげて。アタシはアタシで、昔の仲間を集めて戦うから」

「ディアナ、お前……」

「お兄ちゃんの召喚術、本当に凄いんだから。ね? だから――」


 その時だった。

 不意に頭上を低く流れる雲が消し飛んだ。

 晴れ渡る空が広がり、その中に……太陽の光を背に、なにかが降りてくる。

 広げた翼はまるで、黄道十二星座ゾディアックつかさどるように光輪こうりんまとっている。

 黒い羽根を舞い散らせて、穏やかな微笑みと共に堕天使だてんしが降臨した。

 誰もが言葉を失う中で、リョウカがバビロン王を背にかばうのが見えた。

 とても静かで穏やかな声が、誰の耳にもはっきりと届く。


「やあ、人間達……なんだが賑やかだから、来てあげたよ。相談はまとまったかい?」


 天使が運ぶ福音ふくいんのように、静かで威厳に満ちた、それでいて親しみを感じる声音こわねだった。羽衣はごろもにも似た白い着衣を風に遊ばせ、ルシフェルは両手を広げて降りてくる。

 彼は王宮のテラスを見下ろす場所に滞空すると、腕組み鼻を鳴らした。


「なるほど、異世界の勇者……彼女が君達の希望だね? じゃあ、そのまなきゃ。がこの世に招いた、救世の異邦人。その生命いのちを奪えは、きっと……あの人は僕に振り向いてくれるだろうから」


 あの人、とは?

 謎の言葉と共に、ルシフェルの視線がわzyかにすごみを増す。

 その眼力を前にしても、リョウカは剣を手に怯まない。

 ヨシュアにはすぐにわかった。

 リョウカは今、勇気を振り絞っている……すくんでへたり込みそうな自分を、必死で支えている。誰にも見せられぬ弱気を、自分の中に沈めて抑え込んでいる。

 気付けばヨシュアは、妹の手を振り払う。

 その上で、華奢きゃしゃなディアナの両肩に手を置いた。


「ディアナ、頼むっ! 俺をあそこに行かせてくれ。あれは、あいつは……ルシフェルは、俺がこのソロもニアに招いたわざわいなんだ。俺が解き放った邪悪は、俺が倒さなきゃならない。ただ召喚された勇者というだけで、リョウカに全てを背負わせる訳にはいかないっ!」


 ディアナは大きく頷き、すぐに魔力を練り上げ始める。周囲の人々が振り返る中、高速で術式を組み立てる声が響き渡った。呪文の詠唱えいしょうと共に、ふわりとヨシュアの周囲で風が渦巻く。


「行って、お兄ちゃん! 自分の、自分だけの戦いに! 家やアタシのためじゃない、本当にお兄ちゃんが自分で選ぶ戦いに。……いっ、けぇーっ!」


 ふわりとヨシュアは宙へ舞い上がった。

 そのままディアナの魔力で、あっという間にルシフェルとリョウカの間に滑り込む。普段から魔導師は、ほうき絨毯じゅうたんなどを使って飛ぶことがある。ディアナくらいの力があれば、触媒に頼らず人間を飛ばすことなど造作もない。

 ヨシュアの姿に眼下の人々は動揺し、憶測がざわめきとなって広がる。

 ルシフェルは驚きも隠さず、にらむヨシュアの眼光を平然と受け止めた。


「君は……やあ、召喚主しょうかんぬし。どうしたんだい? そこをどいてくれないかな。僕はこれから、再びあの人へと問いかけたいんだ」

「あの人? そいつは誰だ! いや、誰でもいい……そんなことで、世界もリョウカもくれてやるもんかよ!」


 ルシフェルの笑顔が不意にゆがんだ。そこには、天使長だった者の慈愛も威厳もない。ただ、激昂げきこう憤怒ふんぬで膨れ上がった憎しみだけがあった。

 だが、すぐに彼は笑顔の仮面を取りつくろう。


「あの人っていうのは、そうだね……君達がしゅとか神とか呼んでる存在さ。僕はね、天使長の地位を捨ててでも、知りたかった。

「それは、どういう」

「古き神々を敵に回し、自らが唯一神として君臨するために……あの人は、僕とソロモン王の敵になった。人類を閉ざされた楽園エデンから解放するために、僕達はあの人と戦ったのさ」


 それは、今の時代が忘却した真実。

 天界を離反りはんしたルシフェルは堕天使となり、古き神々と共に主と戦ったのだ。そして、反乱軍を率いるソロモン王は、人類を解放した……主は、条件付きで人間が地上で繁栄することを許したのである。

 ソロモン王はこの世界、ソロモニアを創造して人類に与えた。

 そして、主との盟約に従い、この地を去ったのである。

 誰もが知らない、神代かみよの伝説だ。


「そうだ、召喚主……僕の戦いに協力しないかな。手を組もう。君を第二のソロモン王にしてあげる。僕はこれから、君達が祭終迷宮エクスダンジョンと名付けた牢獄ろうごく、ディープアビスの最下層へおもむく。封印されし僕の分身、僕を含めて『』と呼ばれた力を解き放つんだ」


 ざわざわと不安の声が広がる中、ヨシュアは身構えた。

 手を組む? 自分が、ルシフェルと? 第二のソロモン王……だが、考えるまでもない。ヨシュアはリョウカ達に追いつき、並んで進むためにこの王都へやってきたのだ。

 リョウカと仲間達のために戦いこそすれ、邪悪と手を結ぶ理由はなにもない。

 しかし、あらががたい誘惑それ自体が、堕天使ルシフェルの悪意そのものだった。


「何個か人間達の国を吹き飛ばしてみたけど、やはりまだ本調子じゃないんだよ。僕には、協力者が必要だ。ねえ、召喚主……悪い話じゃないと思うんだけど」

「……っざけるな……ふざけんな! 俺はなあ、ルシフェル! お前を倒しに来たんだ! お前を倒して民を守るって、決めた女の子がいるんだ。そいつは、自分の世界に帰れないのに……誰もが帰る場所を作って、そこで働いてる。俺を働かせてくれてる!」


 意外そうにルシフェルが鼻を鳴らした。

 不遜ふそんな笑みへと向かって、ヨシュアはありったけの気迫で対峙する。目をらせば、その瞬間にヨシュアは消し飛ばされるだろう。あまりにも強力な力を持ちながら、ルシフェルは本来の強さを取り戻せていないという。

 なら、逆にチャンスだ。

 本当の力を取り戻す前に、倒す。


「……そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。ねえ、召喚主……教えてくれないかな? 僕に再びチャンスをくれた、おろかで気高く、脆弱ぜいじゃくながらたくましい君の名を」

「俺は……俺はっ、ヨシュア・クライスター! リョウカのコンビニエンスストア、ブレイブマートで働いてるっ、コンビニ店員のヨシュアだっ!」


 愉快そうに、そしてさびしそうにルシフェルは笑った。

 瞬間、風が吹き荒れて誰もが悲鳴をあげる。

 突然の突風の中で、ルシフェルは北へと飛び去った。その姿が見えなくなると、どっとヨシュアは疲れて地上へと降り始める。

 世界一勇敢なコンビニ店員を、誰もが輪になって大地に迎えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る