2.2

「セエエエェェェェィィィッッ!!」


「はあああぁぁぁぁっっ!!!」


 カスピエルの叫び声と僕の雄叫びが、道場一杯に響き渡った。


 二人で、右の正拳突きを寸分違わぬ動作で繰り出す。虚空を穿うがつ音が耳を撫で、一陣の風が二人の間を吹き抜けた。


「カスピエル……エルたんはもっと腹から声を出すんじゃ」


 と、そこへヤン老人の指示が飛ぶ。


「はぁっ!? 何なのよエルたんって!? 余計なこと言ってかき乱さないでっ!!」


 当の本人は顔を真っ赤にしながら、羞恥だか怒りだかを拳に込めて霧散させているようだった。心なしか素振りが乱雑に見え、僕は冷や汗を流した。


「師匠、僕のっ、方はっ、どうですかっ!?」


 右と左を交互に突き出しながら、二人の周りをウロウロと練り歩くヤン師匠の顔色を窺う。険しい顔をして杖を持ち歩くその姿が鬼教官のように見えて、慌てて雑念を振り払った。


 無心。


 ヤン師匠が熱心に説いていたその概念を体現するために、心を空っぽにしようと努める。


「お前さんはな……なんか、物凄く失礼なこと考えたじゃろ?」


「何で分かっ……じゃなくて、考えてませんよ!!」


 が、恐ろしくこちらの思考を読んでくるヤン師匠の前ではあっさりと看破されてしまった。本当になんでだ。


「ふふん、図星じゃろ? まだまだじゃな」


「別に心理戦を勝ちたいわけじゃないんで、それよりコッチを見てくださいよ!?」


「ん、お前の型か? そんなん、一朝一夕で上手くなるもんじゃなかろうに」


 こちらを全く見ないまま、ヤン師匠はすげなくそう言い放った。


「で、ですよね……」


 元々そんなに良い答えは期待していなかったが、いざ言われてみるとやはり落ち込んでしまう。


 ヤンさんに言わせれば、この型の練習は一種の精神鍛錬なのだそうだ。


 日頃から己を型に落とし込むことで、実戦において自然に技が繰り出せるらしく、その時のためにも精神的に『慣れさせておく』ことは重要なのだと。


 僕が経験したことのない世界だったので、この概念を理解するのには時間がかかった。


 時刻は夕暮れ。


 ヤンさんに入会したい旨を伝え、その他諸々の手続きを終えたのが数時間ほど前。お昼ご飯を一緒にとらせてもらい、小一時間を座学に費やした。座学と言っても知識的なものは少なく、代わりにこのような精神鍛錬に関する思想が多く紹介された。


 その後は実践的な練習に移ったのだが、僕やカスピエルが思っていたような鍛錬ではなく、まず『座禅』という意味の分からないものから始まった。ヤン師匠によると、大抵の武術は精神を統一してから取り組むので当たり前らしいけど、残念ながら僕の管轄外なので上手くいかず……。体幹が揺れる度に杖でベチンと叩かれるので、たまったもんじゃない。


 現に、エルたんと呼ばれた哀れな天使は、型がブレたせいで杖の犠牲になっている最中である。


「痛ッ!!? ちょっと師匠、痛いって!!」


 すねを思いっきりはたかれて涙目で訴えるカスピエルに、同情の念を送る。果たして通じたのかどうかは分からないが、こっちをグルンと振り向いて噛みついてきた。


「何よ、リョウ! キミだけ楽しちゃって……」


「ちょっ、変なこと言わないでよッ!? またヤンさんにどやされ……痛ッ!!」


 慌ててカスピエルの言いがかりを払拭しようとするが、言い終わる前に脛に鈍い衝撃が走り悶絶する。


「~~~~~~~~~~ッッ!!」


 言葉にできないもどかしい痛みがじんわりと広がり、じわっと涙が溢れそうになった。


「根性がないのう……これくらいで音を上げるんじゃない!」


「し、師匠っ……!!」


 正直言って噛みつきたかったけど、そんなことをすると倍返しされそうなのでどうにか思いとどまる。


「そんなんじゃ、優勝なんて夢の夢じゃぞ」


「……」


 『ヤン道場』という稽古場を経営する都合上、どうしても門下生は平等に扱わなければならないだろう。僕達のことを特別視する意図はないと思われるが、時折別の意志が介在しているような雰囲気を感じ取ってしまう。失礼だとは分かっているけど、この老人はどこか掴みどころがないのだ。


「――分かりました!」


 少しの沈黙の後、僕は型の稽古を再開した。


 頬を伝って滴る汗が、少し気持ちよかった。


 ♠


 一方その頃、ミーシャ・エスメラルダも。


 孤児仲間のゲイブと共に八百屋のおばさんに別れを告げ、カスピエルが昼に言っていた『ヤン道場』に遊びに来ていた。


「わぁ~、広ーい!」


「すごい……汗びっしょり」


 ミーシャとゲイブの無邪気な感想が、近くにいた弟子達の耳に入る。


「……ん? キミ達は、どうしたんだい? 迷子か?」


 その内の一人が、子供だけでウロウロとしているミーシャとゲイブに声をかけた。


「違うよー。カスピエルを探しに来たの!」


「ミーシャ、リョウ兄ちゃんを忘れないであげて……」


「カスピエルって人に……リョウ、か? そんな名前、聞いたこともないけどなぁ」


 しばらく考え込んだヒューマンの男性は、首を傾げながらそう答えた。


 そこに、先ほどまで一緒に語り合っていたもう一人の土妖精ドワーフが割り込んでくる。


「あれじゃねえか? 今日の新入りの二人」


「あー、あの二人か。彼らは今、師匠の鬼稽古中だと思うよ」


「……鬼、稽古?」


 なんとも不気味な名称の稽古にゲイブが不安そうな表情を浮かべたが、


「あー違う違う、別に変な意味じゃなくてさ。ただ単に師匠がむちゃくちゃ怖いからってだけで」


 気の良さそうな先ほどの男性が、慌てて否定する。


「カスピエルとリョウはどこにいるのー?」


「んー、まだ奥で稽古中だからさ、あんまり邪魔しない方がいいと思うよ」


 土妖精ドワーフの男性もウンウンと頷いた。


「……ま、まぁ、一応聞いておくか」


 しかし、ミーシャの涙を湛えた顔に目を背け、しばらく間を置いた後にそう語った。


 途端に、ミーシャの顔がぱぁっと明るく輝く。ゲイブは相変わらず無表情なので分かりにくかったが、それでも微笑しているように見えなくもなかった。


「……」


「べ、別に良いだろっ!?」


 土妖精ドワーフの男性の湿った目を、ヒューマンの男性が必死にかわす。


「まあ、コイツの言うことはそんなに気にしなくていいぞ」


「って、おい!? そんな、一緒にやってきた仲じゃないかっ!」


 しばらくして元の表情に戻った土妖精ドワーフが、ボソッとそんなことを言いながら道場の奥へと向かった。ミーシャとゲイブも、彼の後ろについていく。一方のヒューマンの男性も、毒づきながらもしっかり付き合ってくれていた。


「へー。広いねっ!」


「そうだな。どれくらいだっけ?」


「んなもん、覚えてねえよ」


 かしの幹で縁取られた廊下を歩きながら、ミーシャは建物の広さに瞠目した。弟子二人が、そんな安い会話を繰り広げる。


「……さっきのが第一稽古場で、一番広いところ。道場の入り口入ってすぐだから、まあ、看板みたいな感じだね。こっちの方には確か、用具入れとか第二稽古場とか、応接室があるんじゃなかったっけか」


「ふーん……食堂はないの?」


「食堂はないよ。外にウマい店がたくさんあるし、食べ盛りのヤツらばっかだから、経費がバカにならないんじゃないかな……って、経費とかはまだ知らないか」


「……ケーキ?」


「――ミーシャ、知能の低さがバレるからやめて」


「こ、こっちの樹妖精エルフ君は中々に毒舌なようで……」


 首を傾げるミーシャに毒を吐いたゲイブを、冷や汗をかきながら土妖精ドワーフたしなめた。


 そのまま数分ほど他愛もない話を続けながら、一行は道場の奥の第三稽古場に到着する。


 ――と、一行の耳に飛び込んできたのは、激怒したヤン老人の声だった。


「何回言ったら分かるんじゃ!? 突き出す呼吸と引く呼吸は一緒じゃ、さっさと覚えんかい!!」


「は、はいっ!!」


 それに続いて、リョウとカスピエルの震えた声。空気を激震させたヤンの怒声に、ミーシャとゲイブは思わず息を呑んだ。


「……やっぱりね。な、怖いだろ?」


 土妖精ドワーフの男性が稽古場の中の三人に聞こえないよう、そっとミーシャに耳打ちする。未だ固まったままのミーシャの視線の先では、ボロボロになったリョウとカスピエルがひたすら両腕を突き出していた。


「……リョウ……カスピエル……」


 幸いにして、三人は扉の隙間から覗き込むミーシャ達に気付いていない。もう行こう、と二人の肩を叩くヒューマンの男性に従い、ミーシャとゲイブは静かにその場を離れた。


「……まぁ、その、なんだ……『ポッキリト』でも食べるか?」


 少々空気が重たくなったところで、ヒューマンの男性が気後れしながらもそう提案した。


「うん、食べる!」


「……どうしてもって言うなら、いいよ」


「……」


 何とも言えない顔をする男性二人。相も変わらず怜悧な表情で見詰める樹妖精エルフに、土妖精ドワーフは溜め息を漏らした。顔をゴシゴシと勢い良くこすり、それから優しい笑顔を浮かべる。


「俺はオウガ、土妖精ドワーフ。こっちはロスト。よろしくな」


「……詐欺?」


「ちげえよっ!? お前はちょっと、大人びすぎてないか!?」


 わざわざ子供相手に自己紹介をしたのに疑われてしまい、オウガと名乗った男性が呆れたように叫んだ。


「こっちの人猫族ケットシーの嬢ちゃんの方がよっぽど親しみやすいぜ、全く……」


「おい、オウガ。それ以上は事案モノだぞ」


 思わず愚痴を零すオウガを、ロストが窘める。


「……ミーシャはミーシャ!」


「……ゲイブ、です」


 冷たい目を向け合う大人二人に助け舟を出すかのように、ミーシャとゲイブも名乗る。


「『ポッキリト』買いに行こ!」


「……ああ、そうだな。ここで駄弁だべってても得にはなんねえ」


「行くか」


「おう」


「……」


 四人は毒づき合いながらも、通りを下って『ポッキリト』を売っている店へと歩みを進めていった。


「――らっしゃいらっしゃい、『ポッキリト』だよっ!! 今日は新しくうすしお味を販売中!」


 『ポッキリト』を販売する商店『ラ・ヴェール』では、店主らしき大柄な男性が大きな声で呼び込みを行っている最中だった。通りを歩く探索者ハンター達の胃袋に訴えかけるように、新味を着々と普及させている。


「う、うすしお味!? 食べよ!!」


 真っ先に反応したのは、やはりというべきか、ミーシャだった。耳ざとく新味の『ポッキリト』を聞き出し、オウガとロストの方を見る。


「買ってくれる?」


「くっ……こういう状況で子供ってずるいよな……」


「同感だ」


「……?」


 ミーシャの与り知らぬところで何やら葛藤があったらしいが、結局ロストが支払ってくれることになったらしい。ぴょんぴょんと跳び上がって喜ぶミーシャを見て、ロストも満更でもなさそうな顔を浮かべた。


「……ロスト、もしかして、ロリコ――」


「おおっとそこの樹妖精エルフ、俺が社会的に抹殺されるような発言は慎んでもらおうかっ!?」


 ゲイブが珍しく呆れた目でロストを見詰めるが、幸いなことにミーシャは気付いていなかった。


「――あれ、君も『ポッキリト』が好きなのかい?」


 一人の男性が、ミーシャに近付いてきたからだった。


 落ち着いた黒髪と紺の瞳を湛え、柔和な笑顔を浮かべていた。ヒューマンのようだが、オウガとロストは自然と二人を守るように距離を取った。


「うん、好きだよ!」


 そんな大人二人の気遣いは露知らず、ミーシャが天真爛漫な笑顔を見せながら答えた。


「へー……僕はレンギルス。君とは仲良くなれそうだ」

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