2.1(後編)

 爽やかさを感じさせる打撃音。


 瑞々しい空気を作り出す木材の部屋。


 格闘術をその身に叩き込む武士もののふ達が裂帛れっぱくした声を出している部屋に、僕とカスピエルはいた。


「「……」」


 何も言えず立ち尽くす僕達。


「どうじゃ、ウチの生徒は。楽しみなヤツらばかりじゃろ?」


 その隣に、僕の肩ほどの背の老人が寄ってきた。


「えっと……」


 僕が何を言おうか逡巡していると、


「なんか、思ってたのと違う」


 カスピエルが、思いっきり切り込んでいった。


「期待が裏切られたじゃろ? ガハハッ!」


 それに対し老人は大きな笑い声をあげ。




「――『ヤン道場』へようこそ。歓迎するぞい」




 僕達に手を差し伸べてきたのだった。


 ♠


 時は数十分ほど前にさかのぼる。


「――『ヤン道場』、ってところなんだけど」


 部屋に置かれた簡素な椅子に座ったまま、カスピエルがとある稽古場の名を口にした。


「『ヤン道場』……?」


「そう。詳しくは行ってみないと分からないけど、体術の稽古をしてくれるって聞いた」


 体術。


 僕の聞き及んだところによればそれは、特異な能力を持たずとも、曲がりなりにも戦えるようになる術のこと。


 遥か極東から伝わったとされる合気道アイキドーの他にも様々な技を教えており、門下生は一流の探索者ハンターとして最前線で活躍しているらしい。


「……なんかものすごく胡散臭いけど」


 だが、胡散臭く思う感情を持つのは当然だ。


 『ヤン道場』も商売だろうから、自らの評判を良くしようと動くのは至極納得できる話。実際に活躍している人だっているだろうし、そこにわざわざいちゃもんをつけても水掛け論になるだけ。第一、向こうには論争をする利点がないから、すげなく断られるのは目に見えている。


 ただ、遥か遠方の体術をそんなに簡単に会得できるのかと問われれば、そこにも疑問は付きまとう。


 実際、真の合気道アイキドーなんて誰も知らないし、なんなら偽物を習わされてる可能性だってあるだろう。


 でも、それらを加味しても『ヤン道場』は良くも悪くも大きな存在だ。


「胡散臭いのはしょうがないけど、実績は折り紙付き」


「……」


 正直なところ、一千万ギムスを手に入れるためなら先行投資は厭わない。今の生活が少しでも豊かになれば、ミーシャとゲイブも笑顔が増えるようになるだろう。


 それに、戦力は強化しておいても間違っても不利にはならない。アルクでだって、接近戦になった際は重宝すると考えられる。


 伸るか、反るか。


「……行ってみよう」


 結果、僕は『ヤン道場』に行く決断をした。


 今ここで多少の武術の心得を学んでおいて損はない。『イケロス工房』でイケロスが見繕ってくれた大剣はあるものの小回りはあまり利かないから、手札の一つとしては即戦力にもなり得る。


 他のユニオンの団員の強さは未知数だけど、べらぼうに強い探索者ハンターがうじゃうじゃいるようなことにはならないだろう。エルディアの執政院も後援しているようだし、平均的な強さの人が集まる……はず。


 人外のような強さを持つ探索者ハンターというのも一応聞き込みはしていたけど聞いたことがなかったので、そんな猛者はいない……はず。


 …………。


 先行きがかなり不安だけど。


「ん。分かった」


 カスピエルがそう呟く。大きく背伸びをして立ち上がると、髪をぐしゃぐしゃと掻いた。


「……やるからには、一千万ギムス」


「――絶対手に入れて、『ポッキリト』を箱買いしてやるっ!!」


 ……賞金の使い道が致命的に下衆ゲスくなった気がした。


 ♠


 ここまでの追想を終えて顔をふと上げると、先ほどの白髪の老人がトコトコと奥へ進んで行くのが見えた。急いで後ろについていく。


 後ろ姿からして、彼は小柄な火妖精サラマンダーのようだった。赤黒い肌には無数の裂傷が刻まれており、昔日せきじつに無数の死線をくぐり抜けてきたような威圧感を漂わせている。何やら道場着のような質素な格好をしており、所々から見える雄々しい筋肉が、小柄ながら強者つわものだという印象を植え付けた。


「ワシの名はヤンという。よろしくな」


「リョウです。こっちは相棒のカスピ……イテッ!!」


「ただの知り合いのカスピエルです」


 ヤンさんが名乗ったので僕も名乗ろうとしたが、カスピエルに足を踏まれて悶絶する。なんでだ。


 そこから会話が続くのかと思ったがヤンさんはそれ以上何も言わず、鍛錬に励む男性達の脇をするすると通って奥の部屋らしき場所へと進んで行った。


「あ、あの……僕ら、どこへ向かっているんですか?」


 迷いのない老人の足取りに不安を覚えた僕は、ヤンさんに質問をする。


「ん? おぬしら、入会せんのか?」


「ゑ?」


 すると、ヤンさんに意外そうな顔をされた。いや、それはこっちも同じなんだけど……。


「てっきり、入会するのかと思って来たのかと思ったんじゃが」


「いや、とりあえず様子見だけしたいかなー、なんて……」


「入会するんじゃな?」


「ゑ?」


「するんじゃな?」


「……」


 ズイと迫ってくる小柄なヤンさんに思わず気圧されてのけぞる。いや、だからまだ入会はしないって。


 傍で突っ立っているカスピエルにチラリと視線を投げかけるが、そっぽを向かれて全然反応してくれない。というか、絶対に関わるなっていう意思がひしひしと伝わってきた。


「えっと、体験だけしてみるとかは……」


「ここでは、入会か死か、じゃ」


「極端すぎませんかね!?」


 真剣な顔をしてそう告げてくるヤンさんに、思わずつっこんでしまう。


 ……危なくない? 考えが危険すぎない?


 もしかして、色々とまずいところに来てしまったんじゃないか……。


 背後に見え隠れする尋常ならざる危険思想に、肩を震わせてダラダラと汗をかいた。


「体験などない。心で感じ、体で表現する。やり直しはない、一発勝負じゃ」


 あ、なんか案外まともな理由だったらしい。ちょっと怪しんでしまった自分が恥ずかしくなり、赤面する。


「どのくらい、強くなれるんですか?」


「……そういうのはナシじゃ」


 と、カスピエルがふとそんな質問をすると、ヤンさんは苦虫を噛み潰したような顔でそう答えた。


「上達の具合なんて所詮、己がどれだけ努力するか、じゃろ?」


 なるほど、ヤンさんの言うこともよく分かる。聞いた感じこの老人は、典型的な努力至上主義のようだ。


「……労せずして手に入れた力なんぞ、役に立たん」


「……」


 ヤンさんにこれといった意図はないんだろうけど、何だか僕のことを言われている気がして押し黙ってしまった。


 労せずして手に入れた、『力』。


 『破壊ユニトジェーネ』と『創造ソトボレーニェ』の正体はまだまだ不明だし、『イケロス工房』で購入した大剣の腕もいいわけではない。思い返せばエルディアに来てから一回も『努力』をしていないことに気が付き、歯噛みする。


 森の洞窟ではカスピエルに助けられて、結局自分では何もできなかった。ミーシャとゲイブを守ることすら叶わず、ただ打ちのめされるがままになっていた。豪腕の怪物達に一矢報いることもできないまま、のうのうと生き延びた。


 アルクでだって、結果からすれば良かったのかも知れないけど、実際は都合良く摩訶不思議まかふしぎな力が発現しただけだ。僕自身の意図がそこに入り込む余地はない。神の気まぐれで僕は『力』の実験台に選ばれたに過ぎない。そんな自己嫌悪の渦が、ぐるぐると脳内でうごめいた。


「それより、その部屋で何をするの?」


 カスピエルの一言で、僕は現実へと引き戻された。ハッとして周囲を見回すといつのまにか門下生達の影は消えており、木の扉で塞がれた部屋の前に立っていた。


「まあ、ざっとここの説明をするんじゃ。流石に事前情報皆無なのは問題じゃからな」


 あ、一応意識はしてたんですね、という言葉をどうにか飲み込む。ここで話を折るとまた威圧されそうな予感がしたので、黙って話を聞くことにした。


 ヤンさんに扉を開けてもらい、予想外に質素な応接間らしき部屋に入る。僕とカスピエルは奥に座るよう促され、おとなしく従った。


「……で、お前さん達も再来週の闘技大会に出るクチかい?」


「……!?」


 まだ何も言っていないのに易々とこちらの目的を看破され、うろたえる。そんな僕とは対照的に、カスピエルが素っ気なく首肯した。


「うん。私達も、ってことは、他にもいるの?」


「ああ。十組ほど、既に来ておるよ」


「じゅ、十組っ!?」


 思わず口から叫び声が漏れてしまった。


 闘技大会には大金が賭けられるため、例年数百組のユニオンが参加するらしい。単純な数の大小であればそれほど多くはないけど、それでも二桁に上るユニオンと同じような作戦を考えていたのは衝撃的だった。


「どうせあの一千万ギムスに釣られたんじゃろ? 無理無理、あんなもんやめとけ」


 ニヤニヤと性格の悪い笑みを浮かべながら、ヤンさんがこちらを眺めてくる。


「……単刀直入に訊くけど、私達を勝たせることはできる?」


 カスピエルも少しイラついているのか、若干の棘を含ませながらヤンさんに訊いた。


「ま、素質によるじゃろうな。あとは、努力」


「……努力なら、いくらでもします」


 エルディアに来てから今まで散々楽してきたのだから、文句は言えない。それに、ここでの努力で今後の生活が一変するかもしれない可能性を考えたら、あまり苦にはならない。


「私も、戦うのには慣れてる」


「ほう? まあワシはそれに見合う報酬さえくれれば仕事はする男ぞ」


「……後払いでも、いい?」


 金に五月蠅うるさいカスピエルが、苦々しい顔でそう尋ねた。


「優勝すると確信しておるのか? 面白いヤツらじゃのう」


 ヤンさんが不敵な笑みを浮かべる。


 出会った時から薄々感付いてはいたけど、この老人は中々にやりづらい相手のようだ。


 相手の論理の間隙を突き、容赦ない舌戦を繰り広げてくる。


 出会う度に疲労が蓄積していく系の人だろう。失礼だけど。


「……お前さん」


 と心の中で失礼なことを考えていると、不意にヤンさんが鋭い眼差しでこちらをすがめてきた。


「あ、いやっ、その……」


 まさか心中を見透かされたのかと慌てて謝罪しようとするが、


「……父親の名前、言うてみい」


 続けざまに放たれたのは、予想外の一言だった。


「父親……?」


 全く予想だにしなかった角度からの言葉に、絶句する。


 ただ、覚えてる限りは至って普通の父親だったと思っているので、率直に名を述べることにした。


「フェルシス、です」


「……そうか」


 なぜ僕の父さんの名前を知りたかったのかは分からなかったけど、ひとまず頭の片隅に追いやる。


 しばらくこちらの全身を凝視していたヤンさんだったが、やがて肩の力を抜いたようだった。その顔に笑みが宿り、声色も元に戻る。


「お前さん達、鍛錬は厳しいぞ?」


「……! と、いうことは……」


 その言葉に、カスピエルも僕も浮き足立った。


「ああ、引き受けた」


「……やったぁ!」


 カスピエルが飛び上がって小躍りしている。少し距離を取る僕。


 ヤンさんは知らないだろうけど、僕はカスピエルの『ポッキリト』を箱買いしたいという不純な動機をしっかり知ってしまっている。本当は優勝したら生活資金に回したいんだけど、カスピエルの願いも無下に断るわけにはいかない。一箱ぐらいで満足するかな……?


 思いを馳せながら、そこでふとあることに気が付いた。


「あの、謝礼の方は……?」


 カスピエルが石化する。そうだった、この天使様は金の亡者だった。まあ、僕も他人のこと言えないけど。


「ん? お前さん達、優勝するんじゃなかったのか?」


「も、もちろん!」


 と、ヤンさんの見え見えな挑発に迂闊うかつにも乗ってしまった。自分で言ってからそれに気付き、焦燥感に駆られる。


「あ、じゃなくて、えっと……」


「――流石に賞金は横取りせんわい。ただ……まあ、面白いものを、見せてくれ」


 ヤンさんが初めて、子供のような無邪気な笑顔を見せた。


「ここのヤツらはな、みんな飢えているんじゃよ。娯楽に、な」


「娯楽……?」


「そうじゃ。弱小ユニオンの二人がバッタバッタと強敵を薙ぎ倒していく姿、かっこいいじゃろ? それ以上に、この上ない娯楽になり得る」


 つまり、二週間でヤンさんは僕ら二人を極限まで鍛える、ということらしい。それが巡り巡って、自らの娯楽になるんだとか。


 正直、結構強引な気もしたけど、僕らが強くなれるのであれば引き受けない手はない。


 闘技大会。


 それぞれのユニオンから精鋭二人を選び出し戦わせる、いわばユニオン同士の代理戦争。


 その優勝賞金は、一千万ギムス。


 更に、裏で行われるトトカルチョにつぎ込まれる金額も含めれば、エルディア中の金が一気に集中することになる。


 僕らの生活を一変させられる大金のために、僕らは『ヤン道場』に入会することを決めた。

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