1.12(中編)

 世界が、止まった。


 僕も、カスピエルも、黒い瘴気を纏った石造人形ゴーレムも。




 石造人形ゴーレムの大剣が、カスピエルの身体を斬っていた。




 届かぬ声。


 動かぬ足。




「……ぁ……」




 カスピエルのその声を発端にして。


 世界は、動き出した。


 右肩から斜めに斬られたカスピエルの身体が、鮮血を撒き散らしながら地に転がる。


「あああああぁぁぁぁっ!!!」


 怒り。後悔。悲しみ。恨み。


 それらがぐちゃぐちゃになって、声の塊が飛び出た。獰猛な笑みを浮かべ余韻に浸っている石造人形ゴーレムを睨みつける。


「カスピエルッ、逝くなああぁぁぁぁっっ!!!」


 眼が熱い。右眼が熱い。けるようだ。


 背中が疼く。身体が強張こわばる。


 カスピエルの息がある、と考えるのは容易だった。


 息がある、と考えたかった。


 でもここは、退くのが得策だった。


 未知の魔物。


 未知の能力。


 未知の得物。


 十分すぎる準備をしてからでも、遅くはない。

 だけど。


 大切なものを、目の前で奪われて。


 前以外には、進まない。


 不意に、あの日の出来事が蘇る。


 ミーシャとゲイブを奪われ、何もできなかったあの日。


 無力な自分を罵ったあの日。


 あの後、僕は――。




 力を、欲した。




 抗える力が、欲しい。


 護れる力が、欲しい。


 全部、全部。




 欲しい。




 パアァァァン。


 右眼が最早何も感じなくなった時、破裂した。痛みは感じない。


 それはまるで、僕の願いに呼応したかのようで。


 グン、と自分の身体が大きくなっていく感覚。


 翼が生える感覚。


 研ぎ澄まされる感覚。




 力が溢れる感覚。




 それらが、僕の心を満たしていった。


 力を得るって、こういうことか。


 どこか冷静な自分を心の奥底へ押し込め、変貌にたじろぐ石造人形ゴーレムを見据える。


「……復讐、だ」


 その言葉を合図に、戦いの幕が切って落とされた。


 ♠


 同時刻。


「……!」


 男性の影が、揺れる。


 彼の脳内感覚網ネットワークに存在した生命体反応が、一つ消えた。


「なん……だと……!」


 思わず呟きを漏らす。


 原因を突き止めに行かせた、警邏けいら班の一人。追跡を続けるという連絡が入ってから二日目が経っていた。


「まさか……やられたのかっ!?」


 いつもとは違う焦った口調に、彼の傍に佇んでいたもう一人の男性が慌てた声を出す。


「ど、どうなさいましたかっ、【Михаил】様!?」


「死んだ……【Разрушение Воплощение】に向かわせた【Каспиель】の生命体反応が、消えた……」


「……!」


 その事実を告げられた傍使いの表情が驚愕に染まった。


「【Михаил】様の御身を疑うわけではありませんが……間違い、ということは?」


 訝しむようにそう諫言する男性。それに対し、【Михаил】と呼ばれた男はかぶりを振った。それだけで、焦燥の念が浮かんでくる。


「【Азраил】は今、どこにいる?」


「【Азраил】様は……【Эрдиа】の【Атлантида Трейдинг Ко】と接触中です」


 彼らの会話には、所々が別の言語と混ざっているようだった。


「他にも……【Габриэль】様と【Рафаэль】様はもう一つの石を追跡中です。【Камаэль】様は塔の方を、【Уриэль】様は【Альф Автред】の居場所を見つけたようです」


 いつの間にか手元に用意された資料に目を通しながら、傍使いがスラスラと答えていく。


「くっ……【Разрушение Воплощение】に誰か早くつけなければ! 誰かいないのかっ!?」


「僭越ながら……【ксерофан】はこちらに借りがあるので、利用してはいかがでしょうか」


「いや、それは駄目だ。あいつは【люцифер】と繋がっている。こちらの動きが丸見えになってしまう」


「そこを逆手に取るのです、【Михаил】様。【ксерофан】に【

 кукольный магия】を実行してください。思うような手駒になってくれるかと存じます」


「……なるほど」


 男が、少し考え込むように顎を引く。


「よし、やれ」


「御意に」


 スススッと立ち去る男性。その背中を見詰めながら、【Михаил】と呼ばれた男はおもむろに立ち上がった。


「……使えないな」


 そう呟きを残して、彼は翼を広げた。


 ♠


「シッ!!」


「Gаааааааааааааа!?」


 金属のぶつかり合う音と、時折響く咆哮と呻吟。それらが、この場を支配していた。


 カスピエルが操っていた『アクア・スラント』を使い、石造人形ゴーレムの持つ粗悪な鉄の大剣に応戦する。


 どこで手に入れたのか、分かる術はない。別に、分かる必要もなかった。


 目の前に敵がいて、武器を持っている。それだけだ。


 『力』で強化された動体視力で石造人形ゴーレムの斬撃を見切り、いなす。もしくは、躱す。


 カスピエルがしていた戦い方を、忠実に再現した。


 隙を見せるまで耐え、一瞬に全てを込める。


「……遅いッッ!」


 大きく大剣を振りかぶった石造人形ゴーレムの脇を抜け、後ろに回る。


 決定的な隙。


 だけど――。


 そのまま一回転して横薙ぎの刃を繰り出してきた石造人形ゴーレムに、しかし難なく対応する。


 意図的な隙と、致命的な隙。


 それを見分けるために、最初は様子を見る。


 


 まさか避けられるとは思っていなかったのか、石造人形ゴーレムは勢い余って藪に激突した。


「Gyа!?」


 醜い叫びが森に響く。


 まだ、『力』の全力は出していない。


 いや、出し切れない。


 右眼という代償を払っても、全貌が窺えない。


 恐らくカギとなるのは『創造』と『破壊』だろうと予想がつくけど、今の僕には何もできない。


「……」


 黙って左手を見下ろす。


 未だヒューマンの手の原型は辛うじて残しているものの、鉤爪かぎづめになっている指先や隆起した筋肉は『力』によるものだろう。来ていた服も散り散りで、とてもこの姿で外には出られない。


 ……もう外だけど。


「Gаааааааааааааа!!」


 ボロボロになりながら起き上がった赤眼の石造人形ゴーレムを一瞥し、向き直る。


 知能は、あるのだろうか。


 アルクの最深部で生まれてくるらしいけど、同一個体も一つとしてないはずだ。


 ……感情は、あるのだろうか。


 そんなことを考えながら、石造人形ゴーレムの左突きを『アクア・スラント』で受け止める。ギシッ、と石の装甲が潰れる音が漏れた。


 転瞬。


 渾身の突きを止められてがら空きになった石造人形ゴーレムの胴体に、右の足で蹴りを叩き込む。


 打撃でふらつく石造人形ゴーレム


 間髪入れず、剣を左手に持ち替えて回転ターン。回転の勢いで石造人形ゴーレムの肩に向けて剣を突く。無数の傷を受けた石造人形ゴーレムの躯体は血塗れで、むしろ立っている方が不思議なくらいだった。


「……死なない?」


 これまでに数十回は『アクア・スラント』を石造人形ゴーレムの身体に刺したはずだ。これだけの数の傷を負ったら、どんな生物でも普通は死ぬか、よくても瀕死だと思うけど……。


「Gаааааааааааааа!!」


 それでもまた立ち上がった石造人形ゴーレムの、執念とでもいうべき強靭な意志に瞠目する。


 何か、おかしい。


 そう思えた箇所はいくつもあった。


 もしくは、ただ単に僕が石造人形ゴーレムを深く知っていなかったからかも知れないが、今となっては遅い。


 異様なほどにどす黒い眼と同じ色の瘴気を新たに纏い、目にも止まらぬ速さで突きが繰り出された。


「……ッッ!?」


 今までとは明らかに違う機敏さ。咄嗟に右に避けようとするが間に合わず、脇腹に鈍重な痛みが走る。


 痛む場所を押さえながら、距離を取る。兇暴きょうぼうな笑みに、ゾクリと鳥肌が立った。


 ――何か違うっ!?


 悠然と歩み寄ってくる石造人形ゴーレムを警戒し、後ずさった。


「Gаааааааааааааа!!」


 と、不意に石造人形ゴーレムが猛烈な速さで僕めがけて走ってくる。


「……!!」


 その速さが、尋常じゃなかった。


 今までの石造人形ゴーレムとは全く別の相手と戦っているような感覚。


 瞬時に左前転、進路コースを外れる。


 石造人形ゴーレムが、嘲笑したような気がした。


「Gаааааааааааааа!!」


「……んなっっっ!?」


 石造人形ゴーレムが僕の背後にあった大樹に激突し、ミシリと音を立てて枝が落ちてきた。


 その差、一瞬。




 瀑布ばくふのような音を発しながら、木がまるごと崩れ落ちんとしていた。




 石造人形ゴーレムの一挙手一投足は逐一警戒していたが、木のリーチには目がいっていなかったっっ!!


 逃げる僕の背中に幹が迫り。


 第一階層の天井ほどまである膨大な木が倒壊し――。




 轟音。




 地が揺れ、石造人形ゴーレムの歓喜の絶叫が、第一階層に響き渡った。

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