1.10(後編)

 暗殺。


 やみに紛れて、人をあやめる。


 その行為自体は古来から行われており、特段驚くべき言葉ではない。


 政治的な抹殺手段として頼られたり、個人的な怨恨の果てを託されたり――あるいは、それぞれの掲げる『正義』を実現するために、使われたり。


 依頼主の心中に渦巻く感情は多岐に渡るが、彼ら彼女らが望む結果は一つしかない。


 それはすなわち、標的ターゲットの死である。


 他人の生を呪縛から解き放つために大金を積み、自分の命は抱えて逃げる。彼らの行動は、とどのつまりそう表現される。


 要するに、暗殺者アサシンという職業は、死神である。


 見ず知らずの命を、金を見返りに簒奪し、何食わぬ顔で次の日を生きる。生死の境界線を跳び越え、強引に死をいざなう。


 それが、暗殺者アサシン達に課せられた罪であり。


 また、罰である。


 本来は神々が司る生死の領域を冒涜し、あまつさえそれが自分らの持つ職業だとのたまう。


 だから、暗殺者アサシン達は蔑まれている――。


「……暗殺者アサシン……」


 ローブの女性の口から飛び出した衝撃的な単語が、カイアから教えてもらった暗殺者アサシンという職業に結び付くまでに、多少の時間を要した。


「そう。依頼を受けて、人を殺す」


 いつしか、女性の声に氷のような刺々しい牙が宿っていた。


 まるで、暗殺者アサシンという職業を、忌み嫌っているかのように。


「それが、一番稼げる。依頼主はお金持ちだから、前金だけでも結構な額になります」


「……」


 人を、殺す。


 魔物ではなく。


 動物でもなく。




 ヒトヲ、コロス。




 その言葉が鉤爪かぎつめとなって、僕の胸中を暴れ回った。突如襲来した胸の苦しみに、思わず呻吟しんぎんを漏らす。


 他でもない、理性を持つ人の未来を、奪う。


 そんな権利が、果たして僕のような赤の他人にあるのだろうか?


 まるでもう一人の自分に問いかけるように、僕はその問いを繰り返した。体中の血管が収斂しゅうれんするような感覚に囚われる。


 転瞬。


 脳裏を、ある光景がよぎった。


 ――それは、森の中にひっそりと佇む集落。


 腰の曲がった老人が、仰々しく杖を振るっている。


 微笑む大人、無邪気な子供。


 そして――。


 咲く、紅の雛罌粟ひなげしと鮮血。


 燃え盛る紅焔こうえんと、沈む陽光。


 赤の像が展開され、瞬く間にそれは純白の光へと変わる。


「……っ!?」


 想像される死屍累々ししるいるいとした光景に、それでも嘔吐しようとするのを必死に飲み込む。


 これは……記憶? 僕のじゃない、誰か違う人の、視た、追想。


 いつの間にか背中が、焼けるような熱を帯びていた。


 視界が点滅する。


 ガクリ、とおかしな方向へ働く重力。


 身を包む浮遊感。


 そして意識が、手元を離れ――。


「……ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」


 寸前、ローブの女性の白い手がのびてきた。ほっそりとした腕に、しかし感じられる温かみに、僕の意識は鮮明さを取り戻す。


「っはぁ……はぁ……」


 動悸が収まらない。激しく肩を上下させる僕を、女性はじっと見詰めていた。


「――お酒を飲み過ぎたのですか?」


 どれくらいの時間が過ぎただろうか。気付けば僕は、ローブの女性の腕の中で静かな息遣いを繰り返していた。


 呼吸の落ち着きを確認し、彼女の顔を赤面しながらも見詰める。


 いつの間にか、被っていたフードはなくなっていた。そのかわりに、まばゆい金色の髪と澄んだ青の眼が僕の視線を引き付ける。雪のように白い肌は傷一つなく、いっそ清々しいほどまでに対照的な彼女の肌と服装が、整った顔立ちを秀麗に表現していた。


 紛うことなき、樹妖精エルフの風貌。


「少し、刺激が強すぎたようですね」


「あ、いや、えと……まあ、そんな感じです」


 未だ気持ちの整理がつかないまま、僕は彼女と言葉を交わす。


「あの……さっきの話なんですけど……」


「ああ、暗殺、ですね。あれは極端な例ですから、気にしないでください」


 先ほどの口調とは打って変わって、平坦な声で彼女が答えた。


「アルクに潜って、換金してもらうのが最善でしょう」


「いや、そういうんじゃなくて……その……」


 彼女の提案は合理的で、僕の心情的にも負担が少ない。だけど僕は――それ以上に気になっていたことを問うた。


「……もしかして、暗殺者アサシンと何か関わりがあるのかな、なんて……」


 彼女の声色に宿っていた、どこか剣呑な雰囲気。そこに違和感を感じた僕は、ついそう口にしてしまった。


 途中で僕の言葉が至らなかったことに気付き、慌てて訂正する。


「あ、いや別に決して悪い意味ではないんですけど……ちょっと、気になってしまって」


「いえ、大丈夫です」


 ローブの彼女が首を振る。


「関わりがある……そうですね、ある意味では関わりはあるのかもしれません。ただ、詳しくはちょっと……」


「そ、そうですよね。不躾な質問をして、すみませんでした」


 そこで言葉を濁す女性に、慌てて謝る。


「ただ……そうですね、私も少し前までは、裏社会に居場所を求める人間でした」


「えっ……」


 困惑する僕をよそに、彼女の独白は続く。


「最初は、軽い気持ちで足を踏み入れたんですけど……ずるずると沼にはまっていくような感じで」


「……」


「断れませんでした、依頼が。……数をこなすごとに、血の温度が感じられなくなっていって……」


 それは、まるで懺悔のようで。


「……怖かった……自分が、恐ろしかった……!」


 暗殺者アサシンという明確な言葉さえ言わないものの、彼女が何を言わんとしているのかは察せられた。


 ――今まであやめてきた、罪の数々。


「……すいません。初対面の人にこんなこと、言うもんじゃないですよね……」


「いや……」


 ――大丈夫です。そう言おうとして、僕に彼女を赦す権利なんかないことを思い出し、口を閉ざす。


「……」


「……」


 二人の間に降りる、暗い沈黙。酒場の叫び声が、いやに五月蠅うるさく感じられた。


「そういえば……お名前、聞いていませんでした」


 重くのしかかるような雰囲気を変えようと、僕は努めて明るい声で尋ねた。


「……アリス、です」


 桃色の唇から、彼女の真名が零れ落ちる。


 ――アリス、逃げなさい。


 ――やめてええぇぇぇっ!!


 アリスの名が、反響する。次いで唐突に響く、少女の絶叫。


 ……まただ。


「僕は……リョウ、です」


「リョウ――」


 アリスが、僕の名前を噛み締めるように呟いた。その声は虫の鳴き声のようにか細く、酔っ払いの叫び声のせいで後半はうまく聞き取れなかった。


「……ありがとう、リョウ。少し、救われました」


 ふとアリスが顔を上げ、フードを被り直す。


「こんな私ですが、困ったりしたら言ってください。何か、相談に乗ってあげられるかも知れない」


 はにかみながら、アリスが見詰めてくる。


「いえいえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました」


 僕は感謝の意を伝え、淡く微笑む。


「では、もう夜も遅いので、僕はこの辺で……」


 気付けば外はすっかり暗くなっており、店内に留まっている人数も少しまばらになってきているようだ。


「はい。気を付けてください」


 何に、という主語が抜け落ちた言葉を投げかけられる。夜道のことだろうか、と益体もないことを考えながら、僕は席を立った。


 と、そこで。


「あ……お酒、奢るって約束したの、忘れてました」


 アリスとの約束を思い出し、ぽりぽりと頭を掻く。


「いいですよ。リョウは……お金がないんでしょう?」


 僕の言葉にアリスは、悪戯っぽく笑った。


 ♠


「……んで、どういう風の吹き回しだ?」


 リョウが店を出て、しばらく経った後。『黒猫亭』の営業終了時間も近づき、道の人通りがめっきり減った真夜中。


 相も変わらず一人でカウンターに座っている土妖精ドワーフの男性が、席を空けて酒をあおる黒のローブの人物に吐き捨てる。


「……何がだ?」


 フードの中で、口がうごめく。


じゃないか、珍しい」


「……」


 直接的な言い方を避け、声を潜める大男。それに対し、もう一人は無言で応じた。


「……には関係ないだろう? 依頼さえ遂行すれば」


 剣呑な口調で、ローブの人物がそうのたまった。


「そうだが……俺には、関係ある」


「……」


 気を紛らわすように、『銀弾シルバーブレット』を勢いよく飲み干す。


「これでも、お前の能力は高く買っているんだぞ?」


「……この、呪われた能力が?」


 気のせいか、ローブの人物が発する声が震えていた。


「……? おいおい、呪われたなんて言うなよ。最高じゃねえか」


 一方の土妖精ドワーフは、心底嬉しそうな表情をしてそう語った。ぎりっ、と歯を食い縛る音。


「……お気楽な土妖精ドワーフに、何が分かる……!」


「さあね。ただ、お前と同じような、汚ねぇ過去は背負っているぞ」


 互いに刺々しい言葉をぶつけ合う。パリン、と土妖精ドワーフが握るグラスが砕け散った。


「……もういい」


 先に張り詰めた空気を緩めたのは、フードを目深に被った酒飲みだった。グラスを押し、幾ばくかの硬貨を添える。


「依頼のこと、忘れてないよな?」


 荒々しく席を立つ背中に、土妖精ドワーフが念を押す。


「……ああ、分かってるさ」


 振り向かず、言葉のみが返された。


 店を出る。


 無意識の内に、左肩を抱く。




「本当に……呪われてるッ」




 その呟きは、闇夜に紛れて誰の耳にも届くことはなかった。


 ローブが風に吹かれてなびき、右肩の裂傷を露わにした。


「……」


 静かに、手でローブを戻す。


 漆黒の影は、そのまま脇道に消えていった。

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