1.10(前編)

「はあ……」


 寝台に腰を下ろし、何度目になるか分からない溜息を吐く僕。呆れた目で見てくるカスピエル。無邪気にベッドで戦うミーシャとゲイブ。


 絶望である。




 夕暮れ。西の空に太陽が沈む頃、僕達一行は寝床を恵んでくれた八百屋のおばさんに感謝して、二階の一室を借りさせてもらった。サレダッドで入手した荷物とミーシャが爆買いした食べ物を運び込み、一息ついての――この溜息です。そりゃあ、溜息も吐きたくなるよね。


 理由は明白。僕が、なけなしの所持金を全て、街中で落としたからだ。おかげで僕は無一文。カスピエルもミーシャのために隠し持っていた有り金をはたいてしまったらしく、僕らはエルディア到着後一日で最大の危機を迎えることとなった。


 ……改めて今の状況を整理してみたが、あまりに希望がなさすぎて、思わず乾いた笑みが零れる。


「えっと……この先、どうする?」


「んー……悩みの種だね……」


 格闘中の二人を横目に、カスピエルがそう返してきた。


 目下もっかの最優先課題は、現金の用意である。何をするにも現金がないと、この都市では生きることができない。それは食料品も同じで、娯楽目的の食べ物は無駄にあるが、他の野菜や肉類が絶望的に欠乏している、という僕らにとっては死活問題だ。


 現金を最も手っ取り早く得るのはやはり、アルク内に自生する植物や錬成された鉱石をユニオン連合の換金所へ持っていくことなんだけど……。残念ながら今の僕らに、戦力と呼べるようなものはない。ミーシャとゲイブは論外だし、僕は気弱な新人、カスピエルも絶大なまでの戦闘力は有していないはずだ。


 それに、僕達のような新人探索者ニュービーが到達できる深度はたかが知れている。よしんば多少の素材を手に入れたとしても、アルクの浅い場所で得られる鉱物はそう高くは換金できないだろう。


 ……要するに、八方塞がりです。ハイ。


「……とりあえず僕は、色々と酒場をまわって情報を集めてこようと思ってるけど……」


 と、この状況にいたたまれなくなった僕は苦し紛れの提案をしてみる。


「うーん……いいんじゃない?」


「軽っ!?」


「だって私もエルディアに関しては無知だし」


「そ、そうだった……」


 そういえばそうだった。カスピエルも色々と知っているなあ、と独りぽわぽわしていたけど、カスピエルもエルディアは未経験だった。


「こっちのことは気にしないでいいから、リョウは行ってきなよ。子供達もこのまま遊んで、食べ物の余りを与えておけば大丈夫だろうし」


「えっ……いいの?」


 逆にカスピエルに行けと勧められ、退路をなくす僕。まあ別に、悪いこともないか。


「……じゃあ、ミーシャとゲイブを頼むよ」


「うん。いってら」


 今は後がない状況なので、どんな情報でも喉から手が出るほど欲しい。その情報収集の場として、酒場は最適だ。現職の探索者ハンター達が数多く滞在し、酒を代償に情報を垂れ流していく。


 正直僕はあまりお酒の匂いが好きじゃないんだけど……この際仕方ない。この先の僕らの運命は、お金を稼げるか否かにかかっている。


 僕はカスピエルに子供達を任せて、軋む木扉を開けた。


 ♠


 エルディアの経済は、数多くの探索者ハンター達が落としていく金によってまわっている、と言っても過言ではない。唯一無二の存在であるアルクから採れる素材はここでしか得られないので、商会が大金を積んで手に入れようとするためである。それはつまり、彼ら彼女らを対象としたサービスも多く存在するというわけで。


 ――多数存在するサービスの内最も人気がある大衆酒場に、僕は来ていた。


「おいお前! 昨日俺の獲物奪っただろう!? しっかりとオトシマエつけさせてもらうからな!」


「ギャーッ! お助けを!?」


「あちょ、こぼすなこぼすな! 服が濡れるっ」


「お姉さん! 麦酒ビールあとふたつ!」


「はーい!」


「やっべ可愛すぎる! 俺今日こそ嫁にもらうぞーっ!」


「はいはい、後で【ビランクス・ユニオン】の人呼んでおきますから、しっかり絞られてくださいねー」


「鬼っ! やっぱ鬼だわ!」


 喧々囂々けんけんごうごうとする大衆酒場『黒猫亭』。僕らが一夜限りで借りている家はエルディア正門近くの目抜き通りに面していたが、『黒猫亭』は北に少し抜けたあたりに店を構えていた。


 この『黒猫亭』は、エルディアに存在する酒場の中でも多種多様な人種が入り乱れる有名な酒場だ、とレンさんが今日教えてくれた。数十種類にも及ぶ品揃えの中でもお手製の『ブラックシチュー』が絶品らしく、優しそうだったレンさんの目が途端にギラついたのが印象的だった。


 また、酒場の名に恥じぬお酒の数もウリだという。麦酒ビール火酒ウィスキーはもちろんのこと、他にも色々な種類の醸造酒を揃えており、その筋では『酒の市場』なんて揶揄されることもあるのだとか。個人的には東洋の珍品である焼酎ショウチュウが気になるといえば気になる。


 夜の街特有のむせ返るような臭いが鼻をつくが、どうにか堪えて店内に入った。「お一人様ですね、カウンターへどうぞ!」と僕を見つけた女性店員に案内され、向かって右側の、樽が並ぶカウンターに腰を下ろす。


「……と、とりあえず、麦酒ビールをひとつ……」


 やっぱり何か注文しないと駄目だよね、うん。


「承りました」


 カウンターを挟んで立つ無表情の土妖精ドワーフ店員が、端的に言葉を返してきた。


 ……………………。


 まずい。何も話すことがない。


 とりあえず、さり気なく脇を盗み見る。


 右には、一つ席を挟んで筋骨隆々の土妖精ドワーフの男性がチビチビと紫色の液体を飲んでいた。全身を鈍色の防具で包んでいて、歴戦の騎士みたいな雰囲気を出している。う、動きづらくないのかな……?


「マスター、紫芋酒をもうひとつ」と注文している姿は、失礼ながらちょっと怖かった。声はかなり低い。


 他方、すぐ左には全身を黒いローブで覆っている人物が空っぽのグラスを手に持っていた。ローブの端から見え隠れするすらりとした美脚は、恐らく女性のものだろう。パッと見ただけでは顔が隠れていて、詳しくは見えない。


 と、とりあえず話を聞かなければ……。


 意を決した僕は、まず右に座る男性に声をかけた。


「あ、あの……もしよければ、少しお話を伺ってもいいですか?」


 僕の声が聞こえないのか、こっちに全く反応せず酒をあおり続ける男性。


「あの、すいません……聞こえてますか?」


「……失せろ。ガキは家で寝てな」


「は、はいぃぃっ」


 駄目だった。想像以上に剣呑な人だった。というか、声がもっと低くて滅茶苦茶怖い。僕は肩を落とす。


 最初の印象が印象なだけに、次の左隣の人物に話しかけることがはばかられた。隣から見るだけでも「話しかけるな」オーラ全開なんだけど。ねえ、なにこれ怖い。


 ――いやいや、ここはミーシャとゲイブ(と多少カスピエル)のためにも勇気を出さなければ!


 心の中で一大決心をする僕。恐る恐る、ローブの人物に話してみる。


「すいません……お話伺ってもよろしいですか?」


「……?」


 すると僕の声に反応したのか、ピクリとローブが動いた。お、これは好感触かな?


「ちょっと質問したくて」


 そのまま言葉を紡ぐ。ローブの人物は依然として言葉を発さなかったが、こちらの話を聞いてはくれているようだ。


「あ、あの……お酒も奢ります」


 しょうがない。多少汚い手だが、露骨にモノで釣ってみよう。引かれたりしないかな。


 すると僕の予想に反して、ズイと体を寄せてきた。


「本当ですか?」


 その口から零れるか細い声は――紛うことなき、女性のそれで。


「えっ!? はっ、ええっ!? は、はいぃっ!」


 驚きやら恥ずかしさやらなんやらが全部ぐちゃぐちゃになり、自分でも訳の分からない返事をしてしまった。


「……じゃあ、いいですよ」


 ま、まさか本当にモノに釣られるとは。元はといえばこっちの責任なんだけど……なんだろう、なんか微妙な表情になる。


「あ、ありがとうございます……」


 なにはともあれ、話を聞かせてくれるみたいなので僕はホッと一安心。情報の鮮度はさておき、今の状況ではどんなものでもありがたい。


「……何が知りたいですか?」


「えーっと、手っ取り早く現金が稼げる仕事が……」


 そこまで言いかけて、いつのまにか女性の顔が照明に照らされてあらわになっていることに気が付いた。


 ――彼女の、揺れる碧眼も。


「……っ」


 一瞬彼女が目を落とすが、すぐに顔を上げる。


「……あなたが言っているのは、一般論として、ですか?」


 まるで問い質すようなその口調に、僕は自然と弁明めいた言葉を口にしてしまう。


「えっ、いや、その……もちろん、アルクの探索が一番なのは分かってます……けど……」


「なら、どうして? お金が欲しい理由は、まさか欲望を満たすためだけではないでしょう?」


 言い淀む僕の目をじっと見据えて、彼女は言葉を繋いだ。


 僕の奥底に沈む心まで見透かされたような気がして、僕は逡巡する。


 彼女に事情を伝えるべきか、否か。


 昼にあった同じような出来事を反芻しながら、悶々とした。


「……実は、同じユニオンのメンバーを養うために、早急にお金が必要でして……」


 迷った末に捻り出したのは、真実と嘘を織り交ぜた言葉。「リョウは、素直すぎるわ」というクレアの忠告が、ふと蘇る。


 真実――カスピエルは現在れっきとした僕のユニオンのメンバーとして登録されている。お金を失った彼女のためには、お金が必要である。


 嘘――ミーシャとゲイブは、厳密にはメンバーではなく補助団員サポーターである。怪我などの理由で正常な義務が遂行されない際に、探索系ユニオンに特例で認められる一時的な立ち位置ポジションで、原則アルクへの立ち入りは許可されていない。


 果たしてこの言葉が吉と出るか、凶と出るか。


「なるほど。そうしたら、一ついい案がありますよ」


 周囲を気にしたのか、彼女が小声で発したその言葉に、僕は安堵した。よかった、吉と出たみたいだ……。


「ほ、本当ですか! 是非、教えてください!」


 これで一筋の光明が見えた、と意気込んで彼女に迫った、その瞬間。


 続けざまに放たれたその内容が、僕の表情を凍りつかせた。




「――暗殺、です」


 どうやら、凶と出たみたいだ。

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