1.9

「あ! リョウ兄ちゃん、こっちこっち」


 聞き覚えのある声を耳にして、僕はキョロキョロと辺りを見回した。人ごみの中にあどけない樹妖精エルフの少年を発見し、人の波を掻き分けて歩みを進める。


 男性職員のカイアさんと別れて数分。ユニオン連合の建物から出てきた僕は、入り口の前で三人の到着を待っていた。


「リョウ! 見つけたー!」


「……ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……」


 天真爛漫の笑顔を湛えているミーシャと、その横に付き添うように立つゲイブ。傍で、荒く息を吐きながらしゃがみ込むカスピエル。その手には、パンパンに膨れた袋がいくつも抱えられていた。


「……え、えっと、二人はなにをしたのかな?」


「お菓子!」


「本……」


「カスピエルが全部持ってくれた!」


「……ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……」


 なんでだろう。悪気はないんだろうけど、カスピエルがすごく不憫。


 僕はさり気なく、カスピエルに同情の視線を送る。


「そう。楽しかったかい?」


「うんっ! ラビアにはないような珍しいものがいっぱい売られてた!」

「ぼろぼろの本がいっぱい」


「……し、死ぬ……」


 おっと、約一名瀕死の方がいますね。


「カスピエル……大丈夫?」


 ようやく回復してきたらしいカスピエルにも、声をかける。段々と落ち着いてきた息遣いとは裏腹に、心底疲れ切ったようなしわがれた声が、その口から漏れ出た。


「うん、なんとか……」


 こりゃあ、思った以上に大変だったようだ。……ごめん、カスピエル。尊い犠牲だったよ。


「この子達、予想以上に暴れまわってさ……」


 聞けば、ミーシャとゲイブは目抜き通りの商店群を軒並み見て回り、食べ物やら本やらを買い漁ったらしい。カスピエルが隠し持っていた雀の涙ほどの持ち金が、儚く消え去ったのだとか。ミーシャは甘い棒菓子の『ポッキリト』をいたく気に入ったらしく、何回もねだられた、と泣き声でカスピエルが伝えてくる。……お、お気の毒に。


 一方のゲイブは、ヒューマンの老人女性が細々と経営する古本屋に強い興味を持ったようで、なにやら禍々しい装飾で縁取られたぼろぼろの本を大事そうに抱えていた。


 ……と、いうことは。


「今私が持っている袋の中身、全部ミーシャ……」


「……っ!?」


 いよいよ僕らの行く末が心配になってきた。食費がかさんで路頭に迷うとか、洒落にならないからやめてほしい。


 しかし当の本人はどこ吹く風で、今もゲイブの持つ本を見せてくれと駄々をこねていた。


「えー、ちょっとぐらい見せてくれてもいいじゃん!」


「駄目だよ、これは大事な本なんだから……ミーシャは物の扱いが乱暴だから、破いたりするに決まってる」


 サラリと悪口を吐くゲイブ。ゲイブもゲイブで、将来の人間関係に一抹の不安が残る。


「あー、言ったなチビのゲイブ!」


「ほらね、そうやってすぐ強気になるのも短所……」


「……こんのぉっ!」


「……ミーシャは、僕には勝てない」


 最早何を争っているのか、分かったもんじゃない。バチバチと睨み合う二人に嘆息し、しばらく放っておくことにした。


「それより……カ、カスピエルは、その……」


 それよりも気になっていたことをカスピエルに訊くため、未だフラフラしているカスピエルに耳打ちする。


「――天使様、なんだよね?」


 そのまま僕の意識は、昨日のサレダッドへと舞い戻って行った。


 ♠


「実は――私、落ちこぼれの天使なの!」


「……ほぇ?」


 一緒に王都に連れて行って欲しいとカスピエルに言われ、その理由を伝えてもらう。そんなありふれた世間話から突如『天使』という単語が現れ、僕は過去最大級に間抜けな声を漏らした。


「……天使、様?」


「うんうん!」


 半ば食い気味に首をブンブンと振るカスピエル。


 ――天使。クレアが言っていた、諸悪の根源とでも言うべき存在。


 僕が想像していたのは白い翼だったり、慈愛の微笑みだったり、唯一無二の『神装具』だったり、後は卑屈な笑みだったり……。容姿端麗なのに偏屈で歪んでる、といった印象が植え付けられているのだが。


 それが、目の前の銀髪の少女からは欠片も感じられなかった。


 確かにその容姿はずば抜けて美しく、この世のものではないと言われても納得できる。街ですれ違ったりしたら、十中八九振り向くだろう。しかし、どこかあどけなさが残っている金の双眸や間延びした表情からは、どうしても『天使』という単語が想像できないのだ。


「えっと……僕の知っている天使様って……」


 カスピエルを問い質そうとし、そこではたと気が付く。


 クレアが語っていたのはあくまで裏側であり、カスピエルにとって僕は表側の住人なのだ、と。


「――もっと高潔で、慈悲深い人だと」


 ……。


 微妙に両側からの視点が混ざり合ったせいで、色々と申し訳ないような質問へと変貌してしまった。なんだ、この気まずい空気。物凄くいたたまれないんだけど……。


 これにはカスピエルも思うところがあったようで、挑発的な目で言い返してくる。


「まるで私が卑劣で、慈悲のない人と言ってるみたいね」


「それは……」


 まあ、ぶっちゃけそうなんですけどね。


「……でも、カスピエルはいい人ですよ」


「……いいのいいの。下界の人間達にはそう伝承されていると思うし」


 カスピエルがハッとしたような顔をするが、僕には何のことか見当も付かなかった。それよりも、カスピエルが予想に反して肯定する発言をしたため、僕は驚愕を隠せなかった。


「え……そういうのって、いいんですか?」 


「んーとね、いいと思う。だってぶっちゃけ、天使達もイイヤツばかりじゃないし。ていうか、怠慢なヤツが多いから」


「……」


 なんだろう。知りたくなかった、裏の事情。


「あ、もちろんこういう事情を知ってる人も下界にたくさんいるよ? ただ、あんまり言いふらさないでくれると嬉しいなあ、って……ね?」


 僕の心中を見透かしたように、そんなことをカスピエルが言ってくる。


「そ、そうなんですか……分かりました、他人には言いません」


 カスピエルが一瞬見せた天使の『威光』めいたものに気圧され、僕は渋々頷いた。


「ふふっ、ありがと。……んで、最初の話に戻るんだけどさ」


「ああ、エルディアに一緒に行きたいって話ですか」


「そうそう。そこの理由もぶっちゃけ、下界視点の街並みを楽しみたいっていう、まあ子供みたいな理由なんだよ」


 聞けば天使様達は、いつも暇を持て余しているらしい。なんでも、天界には何一つ不自由がないから、面白くないんだとか。


 そこで時々下界に降りてきて、様々な『無駄』や『不自由』を楽しんでいくんだそうだ。


 カスピエル曰く、同僚の方々がエルディアで売っている『ポッキリト』とかいう伝説の棒菓子を一目見たくて降りてきたらしい。……それはまた、大層な理由ですね。


 ……ただ、たかがお菓子の一つぐらいで降りてくるぐらい、天界は暇なのだろうか?


 まあ、いいか。僕はそこで思考を切り上げ、カスピエルに言葉を返した。


「そ、そんな理由だったんですね」


「うんうん……というわけで、お願いっ! ものすごく気になるのっ!」


 ♠


 そこで僕の意識は、現在に戻った。一通り喧嘩(という名のじゃれ合い)が終わったらしい二人を一瞥し、仲裁に入る。


「ほら、二人とも喧嘩はそこまでにして。エルディアに来て早々喧嘩なんて、縁起が悪いよ」


「……そうですよ、ミーシャ様、ゲイブ」


 カスピエルのミーシャに対する畏敬の念は、ホントどこからくるのだろうか。いやまあ、大体予想はつくけども。ていうか、いつの間にか『様』付けになってるし。


「むー……」


 渋々ゲイブから離れるミーシャ。その背中に、ゲイブが舌を出す。


「カスピエルも実はあのくらいの荷物はどうってことないはずだから」


 天使だからね。


「ゑっ」


「そうなんだ! カスピエル、力持ち!」


「ありがとう……」


「ゑっ」


 僕はそそくさとカスピエルの傍を離れる。


「ちょっ……リョウの裏切り者!」


 お菓子の袋を抱えながら泣き叫ぶカスピエル。


「絶対、あとでお金ぶんどってやるんだから!」


「カスピエル、それは甘い! 僕はさっきの事務手数料で既に所持金が残り九万七千ギムスなんだ! 食費が馬鹿にならないから、これ以上カスピエルには渡せないよ!」


「っっ!? こ、この……調子に乗っちゃって!」


 そう言いながら、僕は腰に結わえていた麻袋……を……あれ?

「……お金の袋が、ない」


「? リョウ、嘘はよくないよ」


「違うよカスピエル。本当にないんだって」


 ……まさか。


「ホントだ……リョウ兄ちゃんの袋がない」


「……お、落としたぁぁぁっっっ!?」


 最悪の事態になり、僕は道のド真ん中で絶叫した。




 ちなみに、ミーシャが仲良くなった八百屋さんのおばさんが、僕らを一晩だけ泊めてあげると申し出てくれた。


 ……出だしは最悪です……。

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