1.11(前編)

 ギィッ、と木の床が軋む。静かに眠る部屋の主を気にかけながら、僕は扉に手をかけた。


「……」


 開けようとして、手を引く。しばらく黙考した後、進路を変える。


 ――力が欲しいと言っても、無知では駄目ですよ――。


 昼、カイアが僕に放った何気ない一言。その言葉の真意を図りかねた僕は、一人でアルクに潜ることにした。


 子供達は今頃、カスピエルともどもぐっすり眠っているだろう。そんなほんわかした光景を一瞬想像してしまい、慌てて頭の隅に追いやる。


 人通りが途絶えた夜の道を、静かに歩く。アルクまでは五分とかからない距離に泊めさせてもらっているので、考えを巡らせる時間はそう長くない。


 実際は天使様達が下界に落とした要塞アルク。最深部から無尽蔵に湧き続ける、おおよそ天使様達には似つかわしくない形相の怪物達。この街エルディアの抱える闇に、どこか一癖ありそうな住人達。整理すべき点はきりがなく、あっという間に僕の脳内を渋滞させた。


 ――実は私、落ちこぼれの天使なの。


 ふと、カスピエルが僕に言った言葉も、頭の中を駆け巡る。……果たして、この時機での天使との遭遇は偶然だろうか。田舎くさいヒューマンの少年にとても価値があるとは思えない、というのが現状の僕が持っている認識だ。もちろん、本当に偶然だったというオチもあるだろうけど。


 クレアの説を信じるならば、カスピエルは怠惰で落ちこぼれの極悪人ということになる。それを悪魔達が『正義』の下に断罪、反抗した天使様達が戦争をふっかける――。荒唐無稽とまではいかないが、普通の人が聞いたらまず耳を疑うような法螺話だ。


 逆にカスピエルの主張を信じ、大衆が妄信する理想の天使像にのっとって議論を展開するとなると、これまた事実関係の矛盾が生じる。


 まず第一に、アルクの存在そのもの。天使様達が悪魔達を遠い昔に制圧したのなら、そもそものアルクの存在意義が疑われることになる。言い伝えによると「悪魔達が召喚する魔物を殲滅するために、下界の住人の助けが必要」らしいが、肝心の『助け』がなんなのかについては詳しく触れられていない。実際、歴史上の神話が集められた『黙示録アポカリプス』には美談しか記載されておらず、また物語の狭間に当たる部分は全く補完されていないのが現状だ。


 更に、どちらの陣営も二千年もの間に一度も姿を見せていないという事実。これ自体は口伝によるもので信憑性のほどは定かではないものの、勝者も敗者も歴史の表舞台に現れないのは不自然だ。


 どちらにせよ、天使様達が語る歴史には誤謬ごびゅうが目立つ。


「……!」


 考え事をしながら歩いていると、いつの間にか正門近くにいた。衛士さんに真新しいユニオンの正式書類を見せてアルクへの立ち入り許可をもらい、僕はエルディアを出る。


 街の中は夜とはいえ人の気配を感じられたが、ひとたび外に出るとそこは静謐な森だった。ホーホー、とふくろうが鳴く声が暗闇に響く。軽く身震いしながら、点滅している誘導灯に沿ってアルクまでの道のりを黙々と歩いた。


「……ここが……アルク……」


 数分後。


 存外に近い距離にあったアルクの入り口に、僕は立っていた。改めて周囲を見回す。


 意味不明な古代文字が刻まれている石の祭壇ストーンヘンジのような乳白色の岩石が、中央に位置する入り口を取り囲む。どの岩にも蔦が巻き付いており、風化と浸食が始まっていることを雄弁に物語っていた。


 地下に広がる未知世界アルク天辺てっぺんに鎮座する突起物。


 それはまるで、アルクをアルクたらしめるような、象徴的なそれで。


 大きく口を開けるアルクが、まるで生き物のようで。


 僕は、場違いな感想をふと抱いた。


 ――美しい。


 古来。まだ文明が発達しきっておらず、満足に石を切り出すこともできないような時世に、どうして人の手でこんな芸術を創れようか。


 不本意ながら、これが人ならざる手によってこの地に産み落とされたのだと悟った。


 グガァァァン、と不意に地の底から空洞音が響いてくる。


「……」


 その咆哮が、僕をいざなった。覚悟を決め、一度背後を振り返ってから、地中への階段に足を踏み入れる。


 カツーン、カツーン。


 足音だけが壁に跳ね返り、心を刺激する。


 未だ、内部にいるであろう魔物達のうごめきは知覚できない。


 でも、いる。


 首筋がピリピリするような感覚に襲われた。階段を下りるごとに不快感は増していき、聴覚がざわめく。月光が淡く消えていき、常闇に包まれる――。


 そこで、明るい場所に出た。


 明かりが煌々と照らされていて、一瞬外に出たのかと錯覚する。が、床を覆う無機質な岩は現実を知らしめた。


 そこは、部屋だった。


 下りてきた階段を挟んで丁度反対側に、歪な壊れかけの大扉があった。左右は奇怪な紋様で閉じられており、このまま進むしかないことを告げてくる。半開きになった扉の中からはかすかに動作音が漏れ出ていて、内側に広がる地底世界を彷彿とさせる。


 まるで、アルクの本当の入り口。


 この部屋の存在意義を朧気に悟った僕は、こみ上げる得体の知れない感情を抑え込み、そのまま歩みを進めた。意を決して、扉の隙間を抜ける。




 森。




 それが、目に飛び込んできた景色。


 薄闇の中生い茂る樹木群が、視界一杯に広がっていた。


「わぁぁ……」


 思わず、感嘆の声を漏らす。


 下手すれば地上の森林よりも巨大かと思わせる大樹がそこら中に根を張っており、山なりの地形を形成している。空洞の天井は葉で覆いつくされており、薄闇という環境も相まって視認できない。生物の気配はなく、ここが地下だということを一瞬忘れそうになった。


 所々に岩肌が露わになっており、足場はそう悪くないように見える。流石に渓流のようなシロモノはないが、外界の純粋無垢な自然をある程度は模しているようだ。


 ザッ、という心地よい音と共に足を踏み入れる。アルク内の底面は存外に柔らかく、地上の土と何ら変わらないように感じられた。


「……」


 無音の空間の中、僕の衣擦れの音だけが鮮明に耳に残る。無心で歩き続けている内に、いつの間にか扉からかなり踏み込んだ、鬱屈とした場所までやってきていた。


 魔物を一目見たい。


 そんな単純な理由が、僕の足をここまで運んだ。


 単純だった。




 単純すぎた。




 魔物に慣れておらず、ましてや戦闘にも慣れていない。


 純粋に場数を踏んでいない僕がのこのことアルクに出向いて、はずがなかった。


「Ваааааааааааааааааааа!!」


 どこかで聞き覚えのある咆哮が、空気を切り裂く。


「……っ!?」


 続けざまに響く重い足音。


 ――ここに出没するヤツなんて、魔物以外に考えられない!


 身の危険を感じ、咄嗟に近くの茂みに潜り込む。毛が逆立つようなゾワゾワする感覚が、再び襲来した。


 ザザザッッ!


 転瞬。勢いよく黒い影が茂みの前を通り過ぎ、息を呑む。


 ――石造人形ゴーレム!?


 カイアから教わっていた容姿と、目の前の光景が重なった。


 人工的に造られた珪質岩石の体を持つ、歩く戦車ウォーマシン。その剛腕から繰り出される粗雑な一撃は鋼をも砕くとわれ、新人探索者ルーキー達の前に立ちはだかる関門たる存在である。攻撃動作は基本的な格闘技のそれと同じで、その図体にさえ振り回されなければ余裕を持って対処できるというのが通説だ。


 しかし。


 カイアから託された机上の情報と、その姿を目にしてからの情報には、雲泥の差があることを思い知らされた。


 動けない。


 石造人形ゴーレム自体が放つ威圧感だけで、僕のような経験のない者には絶望的な状況になり得る。


 単純で、それゆえに純粋な、生物としての恐怖。


 それに、抗えない。


 平常心を保つことができていたら、あるいはそのままやり過ごせたかも知れない。


「……ぁ」


 だけど、初めて経験したその感情に、頭が麻痺してしまった。口が勝手に動き、呻き声を漏らしてしまう。


 果たして、石造人形ゴーレムは僕の想像通りに、微細な呻吟にもしっかり反応した。赤黒く染まった双眸が、ギロリとこちらに向けられる。


「Ваааааааааааааааа!」


 間髪入れず放たれた威圧に、茂みが耐え切れなくなって自壊した。中にうずくまる僕が露わになり、その目に暴力的な野心が宿った。


 その想いは、殺戮。


 その願いは、勝利。


 ニィッ、と醜悪な笑みを浮かべた石造人形ゴーレムが次に繰り出してきたのは――雑な殴打。


 反応すらさせてもらえず、そのまま吹っ飛ぶ。


「くっ……!」


 頬への激しい衝撃で、脳震盪のうしんとうを起こしたような浮遊感が身を包んだ。視界がぐにゃりと歪み、色彩が曖昧になる。


 駄目だ。


 気を抜けば、殺される。


 ここ《アルク》は、そういう場所だ。


 妙に冷静な頭で、そんなことを考えた。




 ――殺さなければ。




 次に思ったのは、激しい血への飢え。血のたぎるような熱い闘いを渇望する本能が、巨大な波となって胸中に衝撃を与えた。


 そのまま波動は身体全身に行き渡り、隅々まで浸透した。いつか感じていた背中の発熱に、再び感覚が鮮明になる。


「あああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 たける。限界まで時間が引き延ばされる。


 コマ送りのようにゆっくりと近付いてくる石造人形ゴーレムの第二撃をすがめながら、左へ回避。先ほどまでとは全く違う行動のキレを見せる僕に驚いたのか、石造人形ゴーレムの動きが硬直する。


 その隙を、見逃さない。


 咄嗟の機転で落ちていた枝を拾い、受け身を取ろうとしている石造人形ゴーレムの肩の隙間に突き刺す。


「……!?」


 正確には、石造人形ゴーレムは石造りではない。


 人間の目には、だけ。


 その正体は、石を纏った人型の魔物である。


 それゆえ、石と石の間や関節は、構造的に守れない。


 カイアが熱弁していた、『魔物達の仕留め方』。


 今何をすべきか、頭が教えてくれる。


 本能が教えてくれる。

「Gаааааааааааааааа!」


 的確に弱点を突かれ、石造人形ゴーレムが呻吟を漏らした。


 だけど、構ってる暇はない。


 動きに身を任せながら後ろに回り、鈍くなった石造りの大男に後ろから蹴りを入れる。


 最早声を出さないあたり、こちらに全集中が向いたようだ。


「……甘いっ!!」


 止まっているように見える石造人形ゴーレムを振り切り、次なる攻撃を繰り出すために腰を落とした。


 背中の疼きに、気付かない。


 知覚が、断絶する。




 その後。


「……これを、僕が……?」


 意識が、戻る。


 視界がひらけると。


 深紅の地面に。


 漆黒の羽根と、無残な石造人形ゴーレム亡骸なきがらが。


 転がっていた。

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