1.4

 しくじった。


 僕の立てた計画は、粉々に吹き飛んでしまった。


 大人に縛られず自由に動けると知って、きっと舞い上がっていたのだろう。


 あるいは、王都に行ける嬉しさが僕を盲目的にしたのかもしれない。


 僕と子供達三人の楽しい旅になるはずが、僕は今、ミーシャを背負いゲイブの手を握るという事態に陥っていた。




 事態は数分ほど前にさかのぼる。


 グレシアの町がとうに消え去り、鬱蒼とした木々が一行を取り囲む頃。


 横一列になって粗く舗装された砂利道を歩いていると、不意に左隣を歩いていたミーシャが呟いた。


「……なんだか体が熱い……」


 そう言いながらふらりと体を揺らすミーシャ。


「……ミーシャ? 大丈夫か?」


 どうしたのだろう。直射日光を浴び過ぎたのだろうか。


「ちょっと、木陰で休もうか」


「……うん」


「分かった」


 そう二人に提案し、手近な大木の下へ歩み寄った。二人の手を引く。


 荷物を幹に立てかけ、二人を座らせた。心なしかゲイブの顔色も良くないように見える。丁度良かった、と思い涼ませる。


「……リョウ、私ダメかも……」


 その言葉が耳に飛び込んできた。はっとしてミーシャを見る。


 荒い息遣い。紅色に染まった表情。閉じられた目。


 傍から見ればいかがわしい場面だが、僕はそれを危険なサインだと悟った。急いでミーシャのもとに駆け寄り、支える。


 ミーシャの体が、不意に脱力した。


 一瞬の驚愕。


 すぐに額を触ると、明らかに正常ではない熱を感じる。


 ――熱中症!


 確かに今日の気温はいつもより高いと感じたけど……。まさかこれほどとは。拳を握りしめながら、僕はそんなことを考える。


 僕の考えではサレダッドの街までなるべく早く行き、そこで一晩を過ごそうという計画だった。


 それがこんな事態になってしまっては、予定通りに到着できるか雲行きが怪しくなってくる。


 なにはともあれ、まずはミーシャを医者に診てもらわないと。そう考え、座っているゲイブに声をかける。


「ゲイブ。早くミーシャをお医者さんに診てもらって、安全な場所で寝かせなきゃいけない。次の街まで全速力で、走れるか?」


 そう訊いた僕に、ゲイブは力無い笑みを送ってきた。


「……走れるよ」


 明らかに虚勢を張っている返答。まさか――。


「……! ゲイブ、しっかりして!」


 ゲイブまでもが地面に倒れ込む。


 ――まさか、ゲイブも熱中症に!?


 最悪のシナリオになってしまい、独り頭を抱える。


 どうすれば……!?


 こうなってしまった以上、予定通りにサレダッドに到着することはほぼないと言える。希望があるとすれば、まだ元気な僕が街まで助けを呼びに行くことだが、ミーシャとゲイブを置き去りにするのは危険だ。


 ここらへんの土地勘がないので、どんな危険な目に遭うか見当がつかない。もしかしたら危険な野生動物がいるかもしれないし、治安が悪いのかもしれない。


 まずは安全な場所に子供達を連れて行き、安静にさせなければ。


 木の下にいるとはいえ、この炎天下に長く晒されれば容態が悪化してしまうことは想像に難くない。


 とりあえず二人を安全に連れて行くために、背負ってきた荷物バックパックの中身を切り捨てる。ゲイブはまだ意識がはっきりしているみたいなので、身体を添えながら歩かせることにする。気を失ってしまっているミーシャは、空いた背中にせおう。


 捨てる荷物は、子供達の手荷物、それに予備の衣料品や非常食料など。ミーシャとゲイブには悪いが、一刻を争う事態なのであとで謝っておこう。資金は何を得るにも必要なので、麻袋に入れて腰に結びつける。


 万が一にも危ない目に遭った時に備えて、鈍色に光る短刀を鞘に納め腰に装着。このてのタイプは紐に結わえることができるので、麻袋を結んだ紐に一緒にする。


「ふぅ……」


 幹に寄りかかっている子供達にも気を配りながら荷物の取捨選択をしていたせいで、汗が滝のように流れ落ちる。なるほど、これほどの猛暑ならば子供達がやられてしまったのも納得できる。早くサレダッドに辿り着かなければ、僕も危ういかもしれない。


「よし、終わった。ゲイブ、あと少しだから頑張ってくれ」


 荷物を整理し終えて、ゲイブに声をかける。応急処置として木陰で休ませていたのだが、少しは良くなっただろうか。身体を少しふらつかせているあたり、あまり改善している様子は見受けられない。


 ……これはまずい!


 華奢なミーシャの体を背負い、ゲイブの手を繋ぐ。ゲイブが弱々しくも握り返してくるのを確認して、少しだけ溜飲が下がった。サレダッドに至るまでもってくれるといいけど……。


 荷物を捨てる前に一度地図を確認したのだが、詳細な現在地は判断できなかった。平地とはいえ周囲は鬱蒼とした森に囲まれており、目印になるようなものもない。あと少しで着く、というのも出鱈目だ。実際のところ、半分まで進んでいるかどうかも怪しい。


 とはいえ、弱冠十歳のゲイブに、余計な不安を与えたくなかった。要するに、自分が頑張ればいいのだ。


 そう自分を激励して、僕は足を進めた。




 約一時間後。


 僕達は、茨道の傍にあったこぢんまりとした洞窟の中で休憩を取っていた。というのも、ゲイブの身体がもう限界に近づいているためだった。


 再出発してからというもの、ゲイブがなにもない箇所で躓くことが多くなり、自然と歩くペースも遅くなった。ゲイブをいたわるため、そして僕自身の体調を回復するために休憩できる場所を探していたのだ。


 そんな時にこの洞窟が視界に入り、一旦休もうということになった。


「……はぁ、はぁ……」


 更に旅路を遅々としたものにさせたのが、僕の身体だった。


 この燃えるような暑さの中で、幼いとはいえ人猫族ケットシーを背負って歩き続けた結果、どうやら僕自身も熱中症に罹ってしまったようだ。


 この洞窟に立ち寄る少し前から激しい頭痛に襲われた。何とか涼しい洞窟内に入ったものの、現在は酷い吐き気を催している。子供の前では、と力を振り絞って嘔吐を耐え凌いでいるんだけど……。


 このままだと三人揃って満身創痍で街に到着、あるいは到着すらしないこともありえる。念のため、この洞窟内で夜を過ごすことも視野に入れなければならない。


 そうは言っても、荷物は先ほど捨ててきてしまった。果たして、この先どうなるのだろうか――。


 そんな僕の思考は、突如耳に入ってきた声によって掻き消された。


「Здесь патрульная команда!  Я обнаружил сомнительного человека три человека.」

 生理的嫌悪を呼び起こす、おぞましい声。何を言っているのか皆目見当がつかなかったが、こちらのことを話していたのは明確だった。


 声を発したと思われる醜い人型の怪物が二体、いつのまにか洞窟の入り口に陣取っていた。


 僕よりも幾ばくか高い体躯、異様に尖った耳と鼻、猛々しく隆起した腕、僕を見つめる鋭い眼光。洞窟の暗闇では認識し難い緑黄色の肌、手に持った荒削りの棍棒、首にあたる場所に彫られたくれないの紋章。


 本能的に、こちらに対する敵意を確信した。


「……っ!」


 話し合いが通じないという事実は、喋る言語が異なることから薄々察せられた。

 僕は素早く座っていた岩石から立ち上がり、彼らと入り口を挟んで対峙する。


 何としても、子供達は守らなければ。


 そう強く思い、僕の身体を子供達と怪物の間に入れる。


「……言葉は通じますか? 僕らは困っています」


 精一杯の声を出したつもりだったが、緊張と不安で掠れ、自分でもほとんど音が拾えなかった。


「Видимо, этот парень, кажется, говорит о человеческом языке. Давай убьём это быстро, даже полюбим милую девушку сзади.」


 また、怪物が何かを発した。相変わらず背筋を悪寒が走ったが、辛うじて耐え立ち続ける。


「……このまま何もしなければありがたいのだけど……」


 そんな儚い希望を口に出してみたが、当然何も返事は返ってこなかった。


 その代わりに、右側に立っていた怪物の無造作な横蹴りが襲ってきた。


「……っ!?」


 突然の蹴りに僕は成す術もなく吹っ飛ばされ、無様に転がる。右脇腹に荒く当たったため肉体的なダメージは少なかったが、激しい痛みが脳天を衝く。


「……がはッ」


 続けざまにその怪物から放たれた爪先蹴りが丁度起き上がろうとした顔面に当たり、眼窩の真下を掠めていった。脇腹を蹴られた時よりも強い衝撃に襲われ、右の瞼が痙攣を繰り返す。


 右眼がまるで自分のものでないように、視界を映してくれなかった。


「……くっ!」


 震える足を鞭打って立ち上がろうとするが、左目だけでは焦点が合わずフラフラする。


「Этот парень еще встанет. Повесьте его на стену.」


 体躯の大きい方の怪物がそう言うと、僕を痛めつけたやつが近づいてきた。


 近づけまいと両手を持ち上げ、威嚇する体勢をとる。が、容易に近づかれ鳩尾に強烈な突きを入れられた。


「ぅあ……がっ……」


 不意に、視界が歪んだ。口から真紅の液体が飛び出したのが辛うじて見える。身体中からふっと力が抜け、平衡感覚が狂っていく。


 力尽きて倒れようとした時、怪物の剛腕が僕の首を掴んだ。


「かっ……はっ……!?」


 微睡みに沈もうとしていた僕の意識が一気に覚醒し、左目の視界が明るくなる。


 と同時に、首を掴まれた息苦しさに支配される。


 首を掴まれたまま、乱暴に脇に投げ出された。上半身を洞窟の壁にあててくずおれる。


 洞窟の奥で横になっているミーシャとゲイブへ怪物達が歩み寄るのを見て、奴らが次に何をしようとしているのかが想像できた。


 絶望。


「……や、やめ……子供たひに……手を出す……な……」


 途切れ途切れに放った言葉。腹の奥から血が溢れてきて、呂律が回らない。


 果たして彼らには聞こえただろうか。聞こえていたとしても、気にも留められなかったか。


 彼らは僕の言葉を無視してミーシャとゲイブの前に立った。


 懸命に四肢を動かそうとするが、痺れたようにどれも動かない。


 怪物がそれぞれ、ミーシャとゲイブを乱暴に掴んだ。


 ミーシャはぐったりとして動かない。人猫族ケットシーの麗しい尻尾がぶらりと垂れ下がる。


 ゲイブはまだ意識が残っていたらしい。あらん限りに目を見開き、過呼吸を起こしている。


 こんな状況なのに、どこか冷静に戦況を分析している自分がいた。


 ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべ、奴らが棍棒を振りかざす。




 瞬間、僕の中で抑えきれないが爆発した。




 心が黒く塗りつぶされ、何も考えられなくなっていくのが分かった。


 痛みを訴えていた脇腹が即時に癒えたように感じ、奪われた右目の視界が戻ってきた。


 憎悪、怨恨、憤懣。


 彼らの横暴に対しても、自分の弱さに対しても。


 そんな感情が、衝動的に湧き出た。


 ミーシャとゲイブを助けられるなら、右目がまた奪われてもいい。


 殴られてもいい。


 虐げられてもいい。


 死んでもいい。


 だから。




 どうか、力を――。

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