1.3
「……ここ、閉めるの」
私はそう彼に切り出した。彼の顔がキョトンとなり、続いて段々と驚愕の表情に変わっていく。
「えっ、ここを閉めるって!? どういう……」
彼が言い終わる前に制止のジェスチャーをする。
「いい? これはミーシャやゲイブには聞かれたくないの。彼女達がこんなことを知ったら、悲しむでしょう?」
諭すようにそう告げる。ミーシャ達のことを引き合いに出せば彼は断れないだろうというのは、私は前から感づいていた。要するに、甘いのだ。
案の定、彼の表情が何かに気付いたようになった。少し間を置くと、喋りだす。
「……教えてください。なぜ、そんなことを考えたんですか?」
彼も頭が回らない人間ではない。私の心中を察して、いきなり核心を突いてきた。
「……実はね、最近ここの運営に限界を感じだしたのよ。身勝手なのは百も承知だけど、ミーシャとゲイブはもっと伸びる。必要なのは、より良質な環境で育つこと」
私は、ほどよく本音を混ぜながら話した。
人は案外単純だ。一片の真実を混ぜれば、その話が嘘でも真実だと認識する。いくら頭が回ると言っても、私の本心は見抜けない。
「……!」
彼の表情が再び驚愕の色に染まる。
やはり、彼の短所は感情が分かりやす過ぎる点だ。幼子に対しては充分かもしれないが、これからの社会で生き延びるために素直さは弱点となる。
「それに、外を掃除しているリョウ君なら分かるでしょう? この教会の老朽化が深刻なことに」
これに関しては、彼が前々から気にしていることが分かっていた。彼と一緒に屋根の修理をしていた鍛冶屋の店主が、酒の席で洗いざらい話してくれたのだ。修理するほどではないが老朽化が目立っている、と。
元々女手一つで立ち上げたこの孤児院だったので、いつかは手放すであろうことはあらかじめ分かっていた。思ったより時間はかかったが、目的も果たすことができた。
用が済んだら、使い捨てる。なんてことない、この世界の道理。
「確かに、前から老朽化が目立っていました。この孤児院を閉鎖するのもやむを得ないことかもしれません……ただ!」
「ただ、自分達はどうなるのか。そう言いたいんでしょ?」
「……はい。それに、クレアさんも」
ここまでは、彼の計算通り。
「大丈夫。私は一応、中央聖教会のシスターだから、職に困ることはないわ」
安堵の表情。
「……リョウ君達のことだけど……王都に行ってちょうだい」
恐らく彼が最も気にしていたであろう質問に、答えを出す。彼の身体がビクンと跳ねた。
なんだか小動物みたいだな、と益体のないことを考えてしまい、慌てて振り払う。
「お、王都……それは、なぜ?」
努めて冷静さを保っているようだが、喜びを隠しきれていない。肩が小刻みに揺れている。
彼が常々王都の地を踏みたいと願っていたのは、もはや周知の事実だった。王都の「お」の字でパッと輝き、嬉々として彼の地について語りだすさまは、恐らく彼の日課なのだろう。
「行きたいんでしょ、王都」
「そ、それはもちろん……」
単刀直入に訊くと、モジモジしながらそう返ってきた。まだまだ子供ね、と心の中で思う。
「それに、ミーシャとゲイブのためでもあるの。隣にあれがあるから、彼女達にとってこの上ない良質な環境でしょう?」
再びミーシャとゲイブのことを話題に出す。
「……クレアさん、僕がミーシャ達に甘いことを知ってて言ってますよね?」
「さあ、どうかしら」
嫣然と笑みを浮かべ、顔を近付けた。
「ちょっ、クレアさん!?」
彼の静かな息遣いが熱を帯びる。互いの体温が感じられるほどまで、身体を近付けた。
じっ、と
「……は、離れてくださいっ!?」
顔を真っ赤にして、彼が飛び退く。
「ふふっ、冗談よ」
微笑み、腰につけた麻袋を手渡す。
「十万ギムス。旅費に使って」
♠
「ばいばーい!」
ミーシャが元気な声でクレアさんに手を振る。その隣では、ゲイブも静かに別れのサインを送っていた。
昼。クレアさんから衝撃発言とその他諸々を受け取った僕は、彼女の話をうまく要約してミーシャとゲイブに伝えた。
万が一嫌がったりしたらどうしようと考えていたのだが、杞憂だったようだ。二人とも気負いすることなく、嬉々として荷物を作っていた。
あるいは、彼らなりに気を利かせてくれているのだろうか。これが永遠の別れになるかも分からないのだ、僕は彼らほど楽観的にはなれなかった。
とはいえ、念願の王都エルディアである。ワクワクしていないと言えば嘘になる。
王都でどんな暮らしが待っているのか思いを馳せながら、僕はクレアに向き合った。
「行ってらっしゃい、ミーシャ、ゲイブ。楽しんで」
クレアさんもの正門に出てきて、別れの挨拶を告げる。やはり、向こうとしてもミーシャとゲイブに閉鎖のことはなるべく耳に入れたくないようだ。平静を装っている。
「じゃあ、行きますね」
軍資金や衣料品、子供達の手荷物などを入れたバッグを背負い直して、僕もクレアに別れを告げる。そして、教会とは反対の方向へ歩き始めた。それを、ミーシャとゲイブが追う。
それにしても随分とあっさりした別れだったな、と思う。のっぴきらない事情が裏にあるとはいえ、もう少しクレアさんが涙を浮かべたりすると思ったのだが……。なんというか、素っ気なかった。
まるで、何か他の重要な事が頭にあるような――。
「……!」
そこで、僕はそれに気が付く。
なるほど、クレアさんが素っ気なかったのも納得だ。思えば、最初からクレアさんの掌の上で転がされていたのかもしれない。
まあ、あの出来事は正直、赤面ものだったけど。
そう考えながら、僕はこれから行く方向の空を見上げる。
「……まさか……生きているとでも……?」
何気なく呟いた一言だったが、きっちりゲイブに聞こえていたようだ。
「……? どうかしたの、リョウ兄ちゃん?」
僕の発言が気になったらしく、そう問うてくるゲイブ。
「いや、なんでもないよ」
僕はそう言って、ゲイブの気を逸らす。
蒼穹に
そして、歩く僕らを静かに見つめている、クレアから。
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