1.2
翌朝。
ステンドグラスから差す陽の光は予想外に強く、思わず顔を顰めた。と同時に、農業を営む人達が毎朝この日差しに晒されていると分かり、愕然とする。
これは厳しい一日になりそうだ、と考えながら、僕は軋むベッドから起き上がった。
外の喧騒とは裏腹に静けさが支配する教会内の一室。長らく放置されていたとはいえ神聖な教会である。どこか神秘的で静謐な空気を保っていた。
孤児院として再利用される前は、地域の住民の憩いの場としてよく活用されていた、とはシスターであるクレアさんの受け売りだ。なんでもここ、グレシアの人口が少なくなってしまい、ラビアにある教会支部と統廃合されたらしい。
今は孤児達の寝床として使用されているこの部屋には、あと二人の住人がいる。
「お~い、ミーシャ。朝だよ~」
一番最初に起こしにかかったのは、すぐ隣のベッドで熟睡している
いつもは美しい
間違って布団の端から覗く薄花色の尻尾を握ると寝起きがものすごく不機嫌になるので、慎重に行う。
「……う~ん、あとちょっと……」
寝ぼけて布団にしがみつこうとするミーシャを、ペリペリと布団から引きはがす。
「ほら、寝坊するとまたクレアにどやされるよ」
早くもお説教という切り札を使うと、ミーシャがスタリと立ち上がった。
「おっはよう、リョウ!」
「……毛繕いしておきなよ」
あたかも爽やかな朝を迎えたような顔をするミーシャ。僕は何も見なかったことにして、次のベッドに移動する。
「ほら、ゲイブも起きるよ」
ゲイブは聞き分けがいいヤツだ。同い年のミーシャとは大違い。性格も正反対で、勝気なミーシャに対しゲイブは寡黙。まるで姉弟みたいだが、ゲイブは
稀に異種族の子供が姉弟で生まれることがあるみたいだが、さすがにこの二人は違うだろう。主に性格的な面で。
そもそも、僕が働いているマルカス孤児院に双子はいない。というより、双子が揃って孤児院に引き取られるような事態は、こんな田舎ではまず起こらないだろう。
「……ん。リョウ兄ちゃん、おはよう」
僕が布団を軽く叩くと、ゲイブが眠そうに目をこすりながら覚醒し、上半身を上げた。幼さが残る出で立ちは、それでも
「おはよう、ゲイブ。朝ごはんだよ」
布団を畳むのに邪魔になるので、ゲイブをベッドから追いやる。
主のいなくなった布団カバーを畳みながらふと視線を移すと、ミーシャは既に奥のテーブルについていた。
「……全く……」
ミーシャの変わり身の早さに、僕は呆れる。本当に、調子のいいヤツだ。
そんな益体もないことを考えながら、僕はゲイブと連れ立ってテーブルに着いた。
「今日はなにかな~」
ミーシャは朝ごはんを心待ちにしている様子。どこまでも自分の欲望に素直だな。しみじみと、そう思う。
「そういえばリョウ兄ちゃん、昨日の夜すごくうなされてたみたいだったけど、大丈夫?」
ゲイブがそんなことを言ってきた。
「僕が?」
「うん。夜、トイレに行こうとしてリョウ兄ちゃんのベッドを通り過ぎようとしたら、苦しそうな顔で呻いてたよ」
「そうなのか? そんな悪夢はみなかったけどな……」
昨日の夢といえば、あの不思議なやつぐらいだし、あれは怖くもなんともなかった。
「見間違いじゃないかな?」
「……そうかも。気にしないで」
う~ん、後ろ髪を引かれる思いだけど、今は気にしないことにしよう。
すると神父が使う個室から、シスターのクレアさんがライ麦パンのバスケットと共に出てきた。
「みんな、おはよう。昨夜はよく眠れた?」
にっこりと笑いながら着席するクレアさん。その言葉に、真っ先にミーシャが反応する。
「うん、よく寝られたよ! あとそのパン食べたい!」
僕はやはり、ミーシャの将来は大丈夫なのかと心配になる。
「……熟睡。パン、早く」
まさかのゲイブまで。
「はい、よく寝られました。クレアさんは?」
なんだろう、なぜか仲間外れにされた感じがする。
というか、朝から早速頭が痛い……。
渡されたライ麦パンに噛りつき始めてしまったミーシャとゲイブ。脇目も振らずに口に放り込んでいるところをみると、余程お腹が減っていたらしい。仕方がないので、僕が話題を作る。
「ありがとう、リョウ。私もよく寝られたわ」
クレアさんが笑みを浮かべる。その可愛らしい仕草に、思わずドキリとした。
クレアさんはここ、マルカス孤児院のシスターだ。ヒューマンの父と
強いて言うならば、クレアさんの長い髪だろうか。ミーシャの毛と同じか、それより濃い水色の髪は、まさしく水を司る種族である。
物腰柔らかくいつも周囲を気にかけている存在で、南西にある迷いの森で遭難していた僕を、ここグレシアに連れてきてくれたのも彼女だ。町の人にも優しく、まさしくシスターというべき人物。なるほど、子供達がクレアさんに憧れるのも納得である。
もっとも、僕とクレアさんの出会いは少々特殊だったため、孤児としてではなくお手伝いとしてここに居候させてもらっている。
そんなことを考えながら、僕は朝ごはんを食べ終えた。
黙々と食べていたので気付かなかったが、ふと見ると他の二人は既に食べ終わっており、着替えの服を取りに行っていた。
「ごちそうさま。美味しかったです」
こぼれたパンくずを集め、手際よくバスケットに放り込む。
「……ふふっ、リョウ君に食べてもらえてよかった。手作りなの、そのパン」
ふと、そんなことをクレアさんが口にした。手を止め、彼女の方を見る。
「そうなんですか。今朝、作ったんですか?」
「そうね。早朝に起きて、近所のパン屋の方と一緒に作って来たのよ」
な、なんと……。僕が呻いていた二、三時間前にはもう活動していたのか。心の中でこっそり、クレアさんに敬意を払う。
「……美味しい?」
「はっ、はい、美味しいですっ」
不意に顔を近づけてくるクレアさん。ほんのりと甘い香りがして、心臓の鼓動が早まる。
「……ふふっ、頑張った甲斐があったわ。じゃ、朝のお仕事よろしくね」
ほんのりと顔を赤らめながら、クレアさんは修道服を翻して立ち去っていった。
取り残された僕は、独り顔を赤くする。
い、いい匂いだった……。
♠
マルカス孤児院での業務は、大きく分けて三つある。
一つ目は、教会内外の清掃。当たり前だが、自分達が使う場所は自分達で綺麗にする、という意識を孤児達にも徹底させている。
そのため、お手伝いの僕だけでなくミーシャやゲイブ、クレアさんも働き、隅々まで掃除をするのだ。
ミーシャ達はクレアさんと共に教会の中を担当し、主に雑巾がけをしたり壁を拭いたりする。教会内には備品が置いてあるので、それらを使って部屋を清潔に保っている。
一方の僕は、教会の外を主に掃除する。外壁などは半年に一回程度だが、通路の清掃や植木の手入れは毎日欠かさず行う。
これとは別に、大規模な修理――屋根や壁の損壊など――が必要なときは、グレシアの町人にも助けをお願いして、複数人で直すことも時折ある。とは言っても僕が来てから大規模な修理が行われたのは二回しかないので、これは滅多にしない。
二つ目の業務は洗濯。これはやんちゃな孤児達にやらせると大惨事を招く、ということが立証されて以来、僕とクレアさんだけが行うことになった。
とは言え孤児達が着る服は限られているし、僕もファッションにはあまり興味がない。唯一、クレアさんは色々なコーデを有しているみたいだけど、あまり共用洗濯槽に入れたがらない。なぜだろう……?
そんな状態なので、この業務は楽だ。一日のうち一時間ほどで終わるので、あまり時間もかからない。
三つ目は、社会奉仕。これは一日の大部分を占めており、最も重要だと言えるだろう。
その業種は多岐にわたる。町人のちょっとした手伝いはもちろん、トラブル解決やイベントのボランティア活動など、その種類には枚挙に暇がない。
例えばお祭りのボランティア。社会奉仕とはいえまだ幼い孤児達にはそんなに仕事がないが、僕のような使い勝手のいい労力は散々こき使われる。
物資の搬入・輸送、調理場の裏方、ウェイター、会場の後片付け、エトセトラエトセトラ……。
これが毎日続くわけではないが、その分祭りの日は死ぬ気で働く。一日の終わりには夕食をとるのも忘れてベッドに倒れこんでしまうほどだ。そんな時にミーシャとゲイブがねぎらいの言葉をかけてくれるのが、唯一の心の安らぎなんだけど……。
はっきり言って、町の人は僕の能力を買いかぶり過ぎていると思う。
理由は分からないけど、皆こぞって僕のことを『神童』だとか『奇跡の子』だと持てはやす。クレアさんが何か吹き込んだのだろうか……?
そんなことを考えながら正門前の石畳に水を浴びせていると、教会の扉が開いた。中から、白と黒の修道服に身を包んだクレアさんが出てくる。
「リョウ、ちょっといいかしら?」
「クレアさん……? いいですけど、どうしたんですか?」
水を撒いていた手を止め、僕はクレアさんと向き合った。
「ちょっと、ミーシャとゲイブには聞かれたくないの」
そう告げると、クレアさんは衝撃の言葉を口にした。
「……ここ、閉めるわ」
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